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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第3章
15/193

3−4

 天井の高い廊下、朱塗りの柱や金の欄間を見ながら歩いていると、道なりにいる人々がひれ伏す。戦慄するような違和感でいまにも倒れそうなほど激しい目眩に襲われる。

 だって、普通じゃない。

 いくら花嫁でも、異種族の長の妻になったとしても、これは一介の市民が受ける歓迎の仕方ではなかった。あまりにも世界が違いすぎる。

 一歩一歩が別世界へと踏み込んでいた。戻れない道を進んでいる。

 たどり着いた部屋では大勢の美しい女性たちがアマーリエを待っていた。豊かな髪を丁寧に結い上げた彼女たちは、きっと王宮に仕える女性たちなのだろう。赤い衣装は制服に違いない。

「お支度をお手伝いいたします。さあ、こちらへ」

 そんなことを思っていたアマーリエは導かれた隣の部屋で、突然服を脱がされて声もなく悲鳴をあげた。

「――――!!?」

 軽く押されて靴が脱げると、それを奪われた。

 そして手を引っ張られたかと思うと、奥に続く湯気の篭る暑い部屋に押し込まれそうになる。

「では、お清めを……」

「ま、待って、待って待って、待って!」

 外聞をかなぐり捨てた制止の声を迸らせて、アマーリエは下着姿のまましゃがみこんだ。女性たちは布や石鹸を持ったままぴたりと動きを止めている。

 持久力走で四キロ走りきったような疲労感と苦しさに喘ぎながら、アマーリエは落ち着け、落ち着こうと自分に言い聞かせる。

 さあ、ここはどこだ? いまから何をされる?

 歩いてきた廊下とは異なり、木造の部屋だ。扉の向こうから流れてくる熱気は、かすかに木の香りと水のにおいがするから、きっと風呂なのだ。お清めという言葉は旅の汚れを落とす、あるいは禊を意味しているのだろう。だからこの女性たちは入浴の手伝いをするためにここにいるのだ。

 そこまで考えて、少しだけ落ち着いた。勇気を振り絞り、喉をかすかに引きつらせて告げる。

「ひ……一人で、入れます」

 女性たちは顔を見合わせる。

「手助けは必要ございませんか?」

 髪を縦に長く結い上げ、その先を肩に垂らした優美な女性が、アマーリエのそばに膝をついてそう尋ねた。

「だ、大丈夫です……! 何かあったら呼びますから……!」

 そう答えはしたものの、まったく大丈夫ではなかった。いまにも倒れそうなほど精神の糸がきりきり悲鳴をあげている。

 頼りない回答に彼女たちは納得しきれない困り顔になった。困らせたくはないが、知らない大勢の美女に裸を見られたり洗われたりするくらいなら、わがままだと思われても譲りたくない。

「……かしこまりました。外で待機しておりますので、何かあったらお呼びください」

 丁寧な口調で告げて、彼女たちはアマーリエを浴室へ送り出してくれた。

 一人になったアマーリエは身につけているものをすべて取り払い、そこにある桶やらスポンジめいた何かやらの使い方を想像しながら、なんとか全身の汚れを落とした。

 落ち着かなくてすぐに湯船から出てしまったが、まとめていた髪を解いて整髪料を落としてしまうとずいぶんさっぱりする。

 お風呂から出て行くと、待機していた女性たちがさっと布を広げてアマーリエを包み、下着を差し出してきた。しっかりしたキャミソールのような内着には内側に胸を支える布製のカップが入っており、下穿きはゴムなどを使わず紐と布で覆うものだ。これがリリス族の下着らしい。どちらも細かなレースに覆われていて、布の質感はともかく、都市で売られているものとあまり変わりないように見える。

 下着の上から白い肌着を着せられ、さらに隣の部屋に移動して椅子に座らされた。後ろに立った女性たちに髪を乾かしてもらう間、他の女性たちは次々に衣装や靴を用意している。

「御手を、失礼いたします」

 甘すぎない香りのする香水を、手首と首筋につけられる。乾いた髪にもとろっとした香りのいい油がつけられ、少しずつ結い上げられていく。そうしていると足袋を履かせられた。

 少しずつ準備が進んでいく。

 髪を整えると化粧を施された。それが終わると衣装を一つ一つ着せかけられていく。着物のような衣を何枚も重ねていくと、身体が重みを増していった。胸を締め上げれるように豪奢な帯を結び、再び座らされると髪に金銀の髪飾りをつけられる。手には扇を持たされた。

「準備、整いましてございます」

 赤を基調した単衣には、きらびやかな花々と複雑な文様が縫い取られ、まるでそれ一枚が絵画のようだ。身じろぎするだけで金と銀の光を放ち、艶かしい赤色の輝きをきらめかせる。

 アマーリエは真っ青になってされるがままになっていたが、身につけているものはどれも故郷のものではなく、異国の土地の民族衣装でとんでもなく高額であることを想像すると、とても何か言う気持ちになれなかった。

「……あら?」

 小さな声に落ちて消えそうだった意識がそちらに向いた。アマーリエの目に飛び込んできたのは、荷物の中から取り出された白いもの。

「何かしら、これは」

「ま、待ってください! それ……」

 驚いて立ち上がると、女性たちも身を浮かす。

「シン様のものでございますか? お荷物の中にございました」

 この場所にそれほど不釣り合いなものもない。白く滑らかでありながら、角がえぐれて傷が付いている――アマーリエの携帯端末だ。

 どこかにいってしまったと思っていたけれど、やはり荷物の中に紛れ込んでいたのか。

「それ……大切なものなんです! ずっと探していて……」

 アマーリエの手に渡る前に、それはあの髪を垂らした女性の元へと手渡された。

 それがどんなものなのか確認していた彼女は、しばらくすると少し考えるように沈黙し、アマーリエに向かって静かに首を振った。

「申し訳ございません。目録の中にないものでございますので、一度担当の者に預けさせていただきたく存じます。ヒト族の機械ならばリリスに持ち込むことは禁じられていますので、確認させてくださいませ」

 そう言って近くにいた女性にそれを手渡して、どこかへ持って行かせてしまう。

 待って、と追いすがることは衣装が重くて不可能だった。アマーリエが倒れるようにして崩れるのを周囲が支える。そのとき初めて、心から嫌だと思った。

 嫌だ。嫌だ。帰りたい。

 私を帰して。

「大丈夫ですか!? 誰か、水を」

 持ち上げるようにして椅子に座らされたときだった。

「少し帯を緩めておあげなさいな。そんなに締め付けては息もできなくてよ」

 たおやかな声が響き、衣擦れの音を響かせてその人が現れると、全員が深く額ずいた。

 振り返った部屋の入り口で美女が微笑んでいる。まっすぐな長い黒髪。小さな顔に潤んだ大きな目。歳はアマーリエの三つか四つ上だろうかというくらいなのに、唇にある淡い笑みはまるで何十歳も大人びて見えた。淡いピンクや水色の花束を抱えているのがふさわしい、柔らかな空気をまとっている。

 けれどその瞳はやはり異種族の縦長のものだった。

 するすると近付いてきたその人は、アマーリエを見下ろしてにこりとした。アマーリエがなんとか立ち上がると、目元に皺を寄せて笑みを深くする。

「初めまして。ようこそ、リリスへ。都市の花嫁さん。わたくしはライカ・シェン。現族長キヨツグの母で、あなたの姑に当たります」

 飛び上がりそうになって慌てて挨拶する。

「それは……! あの、初めまして……!」

 慌てて頭を下げたものの、いたたまれなさは払拭されなかった。本当はいますぐ帰りたい。

 俯いていたところで、ふと疑問が沸き起こる。

 族長の見た目は二十代前半だった。その母親ならば、年齢は三十代後半以上だろう。だがこのライカという人の見た目はどう見ても二十代、ともすれば十代後半でも通りそうだ。若作りにしても奇妙だった。後妻で血のつながりはないのか。でもまるで――歳を取らないかのような。

 そろりと目を上げると、ライカは言った。

「あなたの疑問はもっともです。その推測は正しいですよ」

 びっくりして息ができなくなりそうだった。

(心を読んだ……? まさか)

 いやそれよりも、疑問と推測が正しいのならば。

「わたくしたちリリスはヒト族の二倍ほどの寿命があり、二十歳を過ぎると老化が遅くなるのです。わたくしの年齢は訊かないでね。あまりに生きすぎてはっきりと答えられないの」

 アマーリエはぽかんと口を開けて、にこにこ笑うライカを見つめていた。

 寿命が二倍。老化が遅くなる。

 長寿種族であることは知られていたが、外見のことを知る者は多くはないはずだ。実際にアマーリエは知らなかったし、誰もそのことについて教えてくれなかった。リリス族と対面できるのは都市でも外交官に当たる人々だけであり、そのときリリス族の人々は顔を隠していると聞いた覚えがあるから、あえて伏せられていることなのか。

(……そういえば、さっきの人たち……)

 入り口の出迎えの人々。王宮、つまり政治を司る場所の要職に就いているはずの人々の中に、お年寄りと呼ばれるような見た目の人はいなかった。みんな二十代から三十代の外見だったのだ。

「――……」

 覚えたのは――怖い、という感情だった。

「リリスを怖がらないで」

 寄り添うような言葉は、アマーリエを怯えさせるだけだ。

 けれどライカの表情には悲しみが潜んでいた。

「ここにあなたの敵はいません。あなたが正しい行いを続ける限り、あなたを敵とみなすことはありません。あなたにはリリスをよく知ってもらいたいと思っています。わたくしも」

 アマーリエが怖がっているからこの人は悲しそうな顔をするのだろう。

 胸が痛んだ。リリス族の人々は女性も高身長らしく、ライカは少し身を屈めてこちらに視線を合わせてくれている。

 周囲の女性たちも黙って待機しているが、やり取りは聞こえているしアマーリエの反応も見ているだろう。胸が痛かった。自己嫌悪でじりじりする。この人たちに嫌な思いをさせたいわけではないのだ。

(怖い。……怖い、けれど)

 アマーリエは息を整えた。

 揺らぐのは仕方がない。故郷のものが目前にあればそちらに手を伸ばして戻りたいと思ったり、異種族の国にいることを実感して怖いと思ったり。覚悟が決まって心が落ち着くまでは、こうやって何度も迷ってしまうのは当然のことのはずだ。

「……すみません。ふ、不束者ですが、よろしくお願いいたします……」

「こちらこそ、あまり役に立たない姑だけれど、何かわたくしにできることはある?」

 はっとした。この人ならなんとかしてくれないだろうか。

「あの……携帯端末を、返して、いただけませんか?」

 ライカは少女のように首を傾げた。

「けいたい……大切なものなのね。ああでも……」

 何か思い出すように目を閉じたライカは、アマーリエに同情の眼差しを向けた。

「あなたには申し訳ないけれど、リリスにヒト族の文明を持ち込むことは禁じられているの。特に、機械は。これからの生活はいままでとはまったく異なっていて、あなたに不自由させるでしょうけれど、どうか許してちょうだいね」

 表情も声もいたわりに満ちていたが、失望は免れなかった。

 けれど無理を言ったこともよくわかっていた。

「すみません……無理を言ってしまって……」

「力になれなくて申し訳ないことをしたわ。でも、あなたが故郷を懐かしがっていることは伝えておくから、安心して」

 誰にだろうと思いながら、アマーリエはなんとか微笑んだ。

 本当は帰りたい。けれど逃げる勇気もない。自分は醜い。

 そのときアマーリエの手が温もりに包まれた。

「あなたがこの地で幸せになれますように……。巫女のわたくしの祈りは効くのですよ。だからあなたは大丈夫」

 温かくて優しい手は、どこか母の手を思い出させた。

 けれどその温もりはライカが去ってしまうとすぐに失われてしまった。

 刻限が来たことを告げられたアマーリエの周囲はにわかに慌しくなり、そして迎えがやってきた。

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