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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第19章
134/193

19−10

 ――来た。そう言ったのは誰だっただろうか。

 最初に声を上げたのは、待機しているリリスの氏族たちだった。草原に住む者は市街地で生活する人々よりも五感が鋭い。だから誰よりも早く、空からやってくる影を見つけることができた。

 飛来したそれはみるみる姿を大きくする。途方もない速力で近付くそれらは、草原に雲よりも広く濃い影を作り出す。風が立ち、草が流れる。ごうっと凄まじい音がして、巨大な生き物が首を竦める人々の上を通り過ぎていった。

 リリス族が鬨声とも呼ぶべき歓喜の声を上げる。

 ――オォオオオオオオォ……!

 それに応えるように、竜が、咆哮した。

 ヒト族の人々は、途端に恐慌を来した。慌てた様子で数人が逃げ、車の影に隠れ、あるいは身を低くしようとしゃがみこむ。あの顎に捕らえられればひとたまりもない。あの巨体にのしかかられたとしても命がないだろう。それがいま、一体だけでなく、三体、五体と数を増やしていくのだ。さらに動きを追っていれば、規則正しい輪を描くそれらが高い知性を持つ生き物だということがわかる。

「止めろ、撃つな!」

 ボードウィンが叫び、武器を携行していた護衛たちは、引き金を弾きたい衝動と戦わねばならなかった。

「賢明な判断だ。一度でも攻撃すれば、我らはお前たちに報復する」

 皮肉っぽく言うキヨツグの耳元で、耳飾りの揺れは小さくなっていたが、嵌め込まれている赤い石が時折不思議な輝きを放っていた。それに宿る何らかの力が、強大な力を持つ生き物を呼び寄せていた。

「…………だ……」

 いまにも攻撃せよという号令を口にしそうなキヨツグに向かって、手を伸ばす。

 キヨツグがはっとした。

「……エリカ?」

「…………」

 大丈夫だから、と、虫の息でアマーリエは言った。

 ゆっくりと視線を巡らせると、殺意でもってアマーリエを狙ったモーガンと、目が合う。呆然とする彼に、ゆるゆると首を振ってみせる。

「…………その、人は……違、い、ます……」

 激痛のせいで言葉になっているかわからなかったが、全員がこちらを見ているのできっと聞こえているのだろう。だが呼吸するだけで勝手に動く身体が、常に痛みをもたらして、どうにもすることができない。するとキヨツグが、抱くようにして身を起こすのを手伝ってくれた。

「何故……」

「マリアを殺したのは、その人ではありません……」

 何度か呼吸を繰り返していると、本当に少しずつだが痛みが和らいでいく。代わりに、とんでもない高熱を発していた。全身の血が沸騰しているかのようだ。つうっとこめかみから汗が伝う。

「ち、違う! 何故……」

 そう否定したモーガンも、どう言い表していいのかわからないようだった。

 アマーリエは自ら押さえていた肩から手を離す。血に染まった手だけではなく、全身がひどいことになっていたが、新しく流血することはない。傷が、塞がり始めているからだ。

「変異」

 ジョージが呆然と呟いた。アマーリエから目を離すことができないまま。

「そういう、ことなのか……?」

 そう、と、心中で頷く。

 ヒト族ならざる治癒力の向上。だが、きっと、それだけではない。

 アマーリエが行なった『儀式』の結果、ある者はそれを『不老不死』と呼んだ。

 だが本当に死なない身体になったわけではない、と思う。五感は元のままで、痛覚もある。だが、どうやら以前のような普通の人間ではなくなったらしい、と気付いたのは出産の後だった。開腹手術をしたにも関わらず、あまりに治りが早いことを医師たちが訝しんだのだ。

 そしてコウセツの検査とともに、アマーリエを調べるに至った。切り刻まれなかったのは、変異したという確証を得られなかったのと、アマーリエがどのようにしてその体質を得たのかを知りたがったからだ。しかしアマーリエは口を閉ざした。いつ聞かれても、わからない、と答えた。ただ、アマーリエがフラウ病に感染したリリス族の血を輸血したことは知られていたから、関係者はその辺りのことを調べるつもりだったようだ。

 だが、フラウ病の罹患者を連れてきたところで、同じことが起こるとは限らない。儀式に臨むとき、アマーリエは何も起こらない可能性が高いことを聞かされていた。

 キヨツグだから、そしてアマーリエだから起こった変異なのだろう。

 それでも、銃弾を受けて無事な身体になっていたとは、想像もしなかったけれど。

 血に濡れた手を握りしめ、化け物、と呼ばれたことを反芻する。だからこそ、都市で一生幽閉されることも覚悟したのだ。老いず、長い命を得たのなら、見守ることができる。いつまでもリリスを守るために生きていけると、そんな風に。

 目を閉じる。リリス族の聖地で微笑んでいた、彼女のことを思う。儀式を強行するのを静かに見守っていた、彼を思う。心に浮かべることで、強さを貰おうとして。

 果たしてキヨツグは、何を思うのだろう。どんなことを言われるのか想像もつかず、アマーリエは彼の腕の中で小さくなっていた。彼が慈しんでくれた頃の自分は、もういない。みっともないほどに奇跡に縋り、醜くそれを手に入れた、ヒト族よりもリリス族よりも長く生きるであろう、何かの生き物に成り果てた。

(こうして生きていくのが正しいのか、わからないけれど)

 いまこのときになって変異を明かしたこと、それに至る身勝手を謝罪しようと、覚悟を持って顔を上げる。

 だがその前に、伸ばされた手が触れていた。

 震えている。

「……なら、私は、お前と別れる日のことを恐れなくとも良いのか……?」

 微かで、掠れていて、頼りなく弱々しい問いに、アマーリエは撃たれるよりも強い衝撃を受けた。

 忘れてしまうのは、私の方だったはずなのに。

 もし別離を迎えたなら、彼はきっと深く悲しみ、喪に服した後、それを受け入れて当たり前の毎日に戻っていくのだと思っていた。彼は強い。立場もある。いつまでも引きずることなく、変わらない若々しい姿で強くなっている未来を想像した。なのに。

 俯いたキヨツグは、まるで泣いているように見える。

「キヨツグ様……」

 はらり、と、流れ落ちたたった一つの雫は、アマーリエが初めて目にしたキヨツグの涙だった。

 落涙は、きっと彼の本意ではなかったのだろう。けれど失敗したようなそれは、あまりにも透明で、綺麗だった。波紋を描くように、喜びが、さざ波となってやってくる。

 この人の悲しみを想像できなかった自分がいた。自分の悲しみにばかり囚われていた。自分の気持ちの方が大きいとばかり。

 けれど、彼はこんなにも。

(この人と、生きていく)

 この人の隣にいたい。一瞬でも長く、永く。居場所を作ろうと必死になるアマーリエを見守っていてくれるだろうところを想像して、笑みが浮かび、やがて涙が滲んだ。恋が生み出す涙だった。

 伸ばした手を取られたとき、キヨツグの瞳には薄い涙の幕があったけれど、その輝きに添えるように淡い微笑みが浮かんでいた。立ち上がったアマーリエを、キヨツグの羽織ものが包んだ。

 そうしてアマーリエは、モーガンとジョージを見て、もう一度告げた。

「マリアを殺したのはその人ではありません。だから、銃を降ろしてください」

 私が知ることをお話しします、と、アマーリエは胸に秘めていた刃を取り出すように語り始めた。竜の出現によって乱された会談の場は、その周囲だけしばし静まり返った。

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