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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第3章
13/193

3−2

「っ!?」

 どおんと硬いもの同士がぶつかる轟音がしたが、アマーリエはぱっと目に付いた扉の上部の天井にあった取っ手を掴んで転倒を免れた。

 だが倒れたと当時に鍵が弾け飛び、扉が解放される。何事かと考える間もなく、開いたそこに襲撃者を見た。

 その顔は影に黒く塗りつぶされてよく見えない。扉に足をかけ、アマーリエを連れ去ろうと手を伸ばしてくる。

 だが次の瞬間相手が吹き飛んだ。

 突然すぎて何が起こったのかわからない。どさりという物音、ぎゃあという潰れた声、かんかんという金属音の後、再び扉を覗き込む者の姿を見て、アマーリエはそこにあったクッションを振り上げる。

 けれどよく見れば、それは見覚えのある覆面と漆黒の瞳の持ち主だった。

 夜が迫る。地平線が燃えて天からは夜が染み出していた。空の光の名残が邪魔をして姿がよく見えず目を細めていると、彼は、笑ったようだった。

「……気を失わぬ上、身を守ろうと足掻くか。なるほど、度胸はあるらしい」

 その言葉は彼が跳躍した後に聞こえた。

 急いで馬車から出ると、軽々とアマーリエと馬車の上を越えていく彼の姿があった。獣とも鳥とも違う。あくまで人の形をしながらも、もっと超然とした生き物のような姿だ。

 驚異的な身体能力を恐れる以前に、見惚れた。

 なんて綺麗な姿。夜空の色がまるで翼のよう。

「ユメ御前!」

「はっ!」

 呼ばれたあの女性がアマーリエの側につく。他の親衛隊の者たちも周囲に散って警戒態勢を取っている。誰もが白刃、あるいは弓矢を手にしているのを見て、アマーリエはぎくりと周囲を見回した。

 馬車は横転し列も乱れてしまっているが、死傷者が出た様子はなかった。だが襲撃者の影もないのは奇妙だ。少なくともアマーリエに見える範囲では、まるですべて遠ざけてしまったかのようにどこにも姿がなかった。

 しばらくするとふっと空気が緩んだ。

 警戒していた何人かが合図して、次々に抜き身の剣が鞘へと収められていく。危機は去ったのだと見て取れた。

「申し訳ございませぬ。列の真横から襲撃されてしまいました。お怪我はございませぬか?」

「大丈夫です……」

 肝は冷えたが落ち着いている。自分でも不思議だが、まだ襲われたという実感がないだけかもしれない。

 近付いてくる蹄の音に顔を上げると、黒っぽい色の馬に乗った人物がこちらを見下ろしていた。

「連絡事項だ。このまま野営するとのことだ」

 感情のない声だ。機械音声より冷たく感じるのは抑揚が省かれた肉声だからだろう。見上げた目の色は灰色だったから、氷や雪を想像させて余計にそう思うのかもしれない。

「急ぎ準備を行えとの指示があった」

「このまま、でございますか? 領主家に宿を請わず?」

 対する女性は困惑顔だが、指示は淡々と降り注いでくる。

「長老どもの目があろう。あの者たちは伝統を重んじる。花嫁の列が他の者の元へ立ち寄ることを決して許すまい」

「否やを申す権利は私にはございませぬが……シン様はこのような状況に慣れていらっしゃらないはず。御身を大事にしていただく方が重要なのではありませぬか?」

「仕方がなかろう」

 取りつく島もない物言いだった。少しの沈黙の後、女性が答えた。

「……承知いたしました。そのようにいたします」

 銀の瞳の彼が馬首を返して去ると、彼女は軽く息を吐き、じっと様子を伺っていたアマーリエに微笑んだ。

「どうやら今夜はここで野宿をしていただかねばならぬようです。大事なお身体ですのに、無理をさせて誠に申し訳ありませぬ」

「だ、大丈夫です」

 その場に跪かれてはたまらないので慌てて言った。

「その必要があるなら協力しますし、何事も経験だと思いますから」

 女性は目を丸くし、くすりと小さく噴き出した。

「シン様はお優しい方でいらっしゃる。わたくしどもの不手際、何卒お許しください」

 差し出された手に手を預けたのは二度目だった。

 支えてもらいながら進むと、馬車から離れたところにテント、恐らく天幕と呼び表すものが組み立てられ始めている。先ほど襲撃があったのにもう働いているなんて。

「あの……怪我人とか、被害はどうだったんですか? 襲ってきた人たちは、どこに……?」

「まだ確認できておりませぬゆえ、まとまったらお知らせいたしまする。しかし幸いにも怪我人は出ませんでしたので、ご安心ください。まあ、御手が冷うございますね。早く火の近くへ」

 天幕の近くに火が焚かれていた。周囲を見回してみれば、あちこちに火の光が見え、薄闇の草原に目印のように輝いていた。火の近くに腰を下ろして、その温もりに当たっているとほっと息が漏れた。指摘された通り、ずいぶん指先が冷たくなっていた。

 近くにいた親衛隊の人に「あの」と声をかける。

「もし怪我人がいるようなら、言ってください。応急処置くらいならお手伝いできますから」

 花嫁行列に流血騒ぎなんて、縁起が悪い。そう思うから本当のことを本人には伏せたのではないか、とアマーリエは考えていた。

 アマーリエの言葉を聞いた親衛隊は、覆面の下でにこりと笑った。

「かしこまりました。ユメ御前にそのようにお伝えします」

「シン様。天幕が完成いたしましたので、よろしければ中でお休みください」

 声をかけられて完成したばかりの天幕に案内される。天幕の中には毛皮の絨毯と大量のクッションが敷き詰められて、いつでも横になれるよう整えられていた。絨毯の上にはランプが置かれ、ほのかに内を照らしている。

 案内にお礼を言って、アマーリエはクッションに倒れこんだ。

(……ドレス、皺になるかな……)

 柔らかい枕に顔を埋めていると急に眠気が強くなってきた。靴を脱がなければと思いながらも、アマーリエはそのまま意識を失うように眠りに落ちた。



 ふと目を覚ますと辺りはしんと静まり返っていた。

 ぼんやりと身体を起こして毛皮のコートを膝に置き、乱れた髪を撫でつけて、自分の置かれた状況を思い出す。

(野宿することになって……眠っちゃったんだ。いま何時だろう。鏡、見たいな……)

 馬車の中でもうたた寝をしてしまったし、よほど精神的疲労が大きいようだ。目的地に着いて新しい生活を始めることになったら毎日昏倒してしまうかもしれない。

「……あれ?」

 履いたままだったはずの靴が、いつの間にか脱がされている。というのは少し離れたところに綺麗に揃えて置かれているからだ。

 何の疑問も思わずに膝にある毛皮も、誰かがかけてくれたのだろう。あまり嗅いだことのないいい匂いがした。人工的なフレグランスはアマーリエの好みではないけれど、このコートから感じるのは、花か草か風かというような優しくて落ち着く香りだ。

 そんな風に座っているとなんだか目が冴えてきたので、靴を履いて天幕の外に出る。

「わ……!」

 外の世界は青く染まっていた。

 満天の星だ。無数の光が空を覆い、比べることのできない美しい輝きが降り注いでくる。都市の夜景なんて遠く及ばない。星が集まるとこんなに青白く空は輝くものなのだ。

「……如何いたしましたか?」

 アマーリエが姿を現したのに気付いた警護が声をかけてくれた。夜でも彼らは覆面を取る気はないらしい。何かの決まりかしきたりのようだ。

「あの……少し、歩いてきても、いいですか?」

「護衛の者が付き添いますが、よろしいですか?」

 快く了承する。一人で歩くのは不安だ。

 アマーリエがいる天幕の他にも別の天幕があちこちに建てられ、その周りに親衛隊のみんなが待機しているようだった。見回り役とすれ違うと立ち止まって一礼され、座っている者たちもみんな立ち上がって頭を下げることがわかり、アマーリエは急いで人気のない方へと足を向けた。

「お寒くはございませんか?」

「大丈夫です。……すみません、わがままを言って。もう少ししたら、戻ります」

 子どもの頃、天体観測をしたことを急に思い出した。

 小学校の夏休みの学習プログラムのひとつで、学校に泊まり込んで行われたものだった。両親が同行している子もいたが、アマーリエはもちろん一人で、同じように一人で参加している同級生たちと望遠鏡をなんとか調整し、月のクレーターを見たのだった。

 真白い月の光とその形を目に移したとき、アマーリエが感じたのは、どうしようもない寂しさだった。

 月の、優しく淡い色。神々しく、人の手には届かない光。ため息が出るほどの眩さ。

 どうしてこれを一緒に見てくれる人がいないのだろうと思った。同じものを見て「綺麗だね」と言ってくれないのかと。光ひとつで満たされる裏に、寂しさの風が吹く。星を隠す夜雲のように心に悲しい影が射す。

 アマーリエは友人たちを振り返り、両親と一緒にいたり、それぞれに望遠鏡を眺めているみんなに遠慮して、再び一人で月を見ていた。

(そんなことを思い出したのは……多分、私が一人だからなんだろう)

 風が変わって低い位置で吹き始めた。

 けれど音はない。空の高いところで何かが鳴いているような、こおぉという音がしていて、アマーリエの知らない静寂と闇に支配された世界が広がっている。

 進んでいった先に二つの人影を見つけて立ち止まった。

 背の高い一方と、それよりも低いもう一人。あの黒い瞳の男性と、親衛隊を指揮する女性だ。二人とも、すぐこちらに気付いた。

 女性がアマーリエのところに近付いてきて尋ねる。

「寝付けませぬか? それともお寒くてお目覚めに?」

「あ……あの、ちょっと目が覚めてしまって、散歩を……」

「そうですか。襲撃がありましたゆえ寝付けぬのも致し方ありませぬ。気が休まるお茶などを用意させましょう」

 そう言って天幕に誘導されそうになったので「あの!」と声を上げる。

「襲ってきた人たちって、何者なんですか……?」

 女性は困った様子だった。

「断定はできませぬゆえ……」

「……可能性が高いのはモルグ族だろう」

 それまで黙っていた男性の方が静かな声で割り込んだので、アマーリエは驚いた。だがすぐに思考を巡らせて尋ねる。

「他にも可能性があるということですか?」

「……どう思う?」

 逆に尋ね返されて眉を寄せてしまう。だが何もしないまま答えを求めるのは、自分が考えなしだと思われるようで嫌だ。知っていることをつなぎ合わせて、なんとか推測してみた。

「……ヒト族の花嫁がやってくることを認めていないリリス族の方がいる、とか」

「……あり得ぬことではなかろう。だがリリス族の長、ひいては長老会が認めたものに意を唱えることができる者は多くはない。『テン』の意思に背けばそれはそらの意思に逆らったことになり、ひいてはリリス族すべてを敵に回す。だがリリスは草原でしか生きることができぬ」

 現状未だ鎖国状態にあるリリス族で、もし追放の憂き目に遭えば、リリス族の国で生きることはできない。他種族の国へ逃亡するしか道はないという意味だろう。

「……そして襲撃によってヒト族の花嫁が失われれば、それはヒト族の怒りを買うことに繋がり、新たな戦が始まって、リリス族は滅ぶやもしれぬ」

 アマーリエとリリス族の長の結婚は、ヒト族とリリス族の同盟のためのものだった。もしリリス族の国でアマーリエに何かあれば、ヒト族は黙っていないだろう。同盟を破棄し、リリス族とも戦争を始めるかもしれない。

(私に何かあるとまずいんだ。だからこんなに大事にしてもらえる……)

 そこで疑問が差す。

 アマーリエに何かあるとヒト族とリリス族が戦争をする。だがもし、ヒト族が戦争をしたがっているならアマーリエを襲う理由になるのではないか。

(まさか。そんなことあるわけない)

 同盟のための結婚だ。ヒト族の平和のためのもので、戦争のために嫁ぎ、そこで命を奪われるというなら、それでは本当に生贄だ。

 血の気が引いて急に寒気を覚えたとき、アマーリエの肩に毛皮が着せかけられた。

(……あ、この香り……)

 ふわりと感じた香気は、天幕で眠っていたところにかけられていた毛皮と同じものだった。

 見上げた彼の目に、アマーリエはぎくりと身を強張らせた。かすかに光って見える目は、アマーリエがどんな恐ろしい想像をしたのかをはっきりと見透かしていた。だがそれについて彼が言及することはなく、代わりに言った。

「……思考を止めぬことだ。それがお前の身を助くだろう」

 アマーリエは頷いた。

「……他に何が知りたい」

「え? あ……あの、怪我人はなかったんでしょうか? それからこれからの予定はどんな風になったんでしょう……?」

「……こちら側は軽傷者が数名、どれも擦り傷程度のもので、全員手当を終えている」

 みんな秘密主義なのかと思いきや、どうやらこの人は教えてくれる気があるようで、静かに答えてくれる。

「……明朝、準備が出来次第、行路を再開する。午後には王宮に到着するだろう。到着後は夜を待って婚姻式が行われる。……理解できたか?」

「はい。ありがとうございます」

 毛皮の前を握りしめる。

 これから自分はどこに行くのか。未来が見えなくて、いまは閉ざされている気がする。真っ黒に塗りつぶされて消えてしまったような。朝になればこの不安は消えるのだろうか。新しい生活を迎えて考える暇もなくなればいいと、少しだけ思う。

「……襲撃者は恐らくモルグ族だ。王宮に入ればその手が届くことはあるまい。このようなことは二度と起こさせぬ」

 はっと顔を上げると、黒い瞳とぶつかる。

 けれど何も見通せない黒ではなく、星のようなきらめきが散る美しい目で、深い闇の中でもその瞳にあるような光を頼りにすればなんとか進んでいけるのではないかと思った。

 アマーリエは頭を下げ、毛皮を返そうと肩から外そうとすると、構わないと手を振られた。

「……己を大事にしなさい」

「……っ」

 急に込み上げた。

 なんてことのないいたわりの言葉なのに、ぎゅうっと胸が苦しくなって慌てて顔を伏せる。

 どうして泣きたくなったのだろう。目が優しいから、それとも声が? 穏やかだった都市の生活から遠ざかっていることを実感したからだろうか。

 アマーリエは一礼すると彼らに背を向けた。泣き顔を見られる前に天幕に戻りたかった。

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