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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第19章
128/193

19−4

 神々しい光が一筋、きらめく。

 しゃん、と抜いた輝く細身の剣を手に、朱い装束をまとった黒髪の娘が、あどけなくも凄絶な笑みを浮かべる。首を傾げた拍子に、右の耳だけに下がる耳飾りが髪の間から覗いた。笑う漆黒の瞳に一族のしるしがないことを見て取り、キヨツグは一瞬、己がどのように振る舞うべきかを見失った。この女性(もの)の名を、どの立場で口にしなければならないのか。

「どうして彼で最後だなんて思ったの? 私の名を言ってごらん」

「リリス――」

 結局、事実を口にするだけの面白みもない呼び声になったが、一族に名を冠した女神は満足げにからからと笑った。

「そんなに緊張しなくていいよ。ご覧の通り、ただ長く生きただけの人間だ。どんなにありがたがられても、私の本質は変わらないし、変わらないよう努力してきたつもりだから」

 そうして柔らかな微笑みを向ける。

「類い稀なる使い手と戦えるのは光栄だ。剣士として、守護者と呼ばれる者として、言っちゃあなんだけどすごくわくわくしてる。他にも言いたいことは山ほどあるし、あなたにもあるんだろうけれど……」

 剣を掲げる、見慣れぬ構えでリリスは言う。

「……その続きは、試しが終わってからにしようか」

 キヨツグも異存はなかった。どこからともなく歩み寄ってきた神官が手当しようとするのを、構わずともいいと断り、そのまま戦いに臨む姿勢を取る。目の前に立つ女性がどれほどの使い手か見極めようとして、そう思う自分が、彼女と同じく、この戦いをどこか楽しみにしていることに気付かされた。

 血の繋がりがある、という感覚はほとんどない。リリスもそうだろう。神に挑む者の来訪を歓迎するのは、途方もない野心を微笑ましく思っているからだ。剣士として、と宣言した彼女は、度を越した力を求める族長の前に立ち塞がる者として、ここに立っている。

 ならば、どこまでも真摯であろう。妻を取り戻す、その一心で神に挑戦する。まるで伝承や物語に登場する、真正直な(おっと)として。

 剣が交差する。

 その一撃で、勝敗が決した。

 鳴り響くはずの刃は、噛み合った瞬間、高らかに砕けたのだ。それも、神々しい光を放っていた女神の剣が、まるで玻璃のごとく、呆気なく。

 さすがに呆気に取られて動きを止めてしまったが、リリスは衝撃にわずかに身を竦めた直後、ふっと噴き出したかと思うと、響くほどの大声で笑い始めた。これにもキヨツグは狼狽した。笑っている理由が、まったくわからない。

 そこへオウギがつかつかと近付いたかと思うと、リリスの額を鋭く突いた。

「あ痛っ!」

「お前、いい加減にしろ。乱入した挙句にその態度。馬鹿か?」

 罵られているリリスは、ひたすら呻き声を殺して耐えている。かなり素早く強く突いていたのでさぞ痛かろう。涙目で抗議する。

「いや笑うって。だって私の愛剣なんだよあれ。手入れを怠ったことないって知ってるよね。なのにこの瞬間折れる? ああもう完敗だってなるでしょうが」

 キヨツグの懐疑の答えを、女神はこちらを見つめてながらはっきりと告げた。

「完敗だよ。悔しいけど、私の負けだ」

 そう言いながらも、晴れ晴れとした笑顔だった。

「あなたの望みを叶えよう、当代族長キヨツグ・シェン」

 その瞬間、キヨツグは膝から崩れ落ちた。いまさらながら、疲労とそれによる震えが襲ってくる。肩で息をし、目の焦点は合わず、汗がしとどに流れる。心臓は暴れ狂い、全身が悲鳴を上げていた。まだ緊張を緩めるべきではないとわかっていたのに、限界を迎えてしまったのだ。

 そこへ、しゃがみこんだリリスはキヨツグの顔を無垢な瞳で覗き込むと、真顔で手を伸ばしてきた。手は、キヨツグの頭をするすると撫でた。

「…………」

「…………」

 撫でる側と撫でられる側が無言でいると「……おい」と苛立った声がかけられる。

「キヨツグはいつも通りだが、お前。あの無駄によく回る口はどうした。何か言え」

「なんだよ、自分だってどう接したらいいか悩んでたくせに」

 苛立ったリリスの手が離れて思ったのは、残念だ、寂しい、という感情で、キヨツグは戸惑い、何度か目を瞬かせた。

「威厳が台無しだな。女神の称号が泣く」

「うるさいな、息子と接するんだから女神じゃなくていいの!」

 子どもっぽい言い方で言って、彼女はキヨツグに向き直る。ばちん、とすぐさま視線が交差したことに驚いたようだったが、次の瞬間、照れくさそうに、いまにも「えへへ」とでもこぼしそうな笑顔になった。キヨツグは静かに胸を打たれ、そう感じた自分にまた、感動した。

(彼らが、私の二親なのだ)

 頭を垂れた。力を失ったのではなく、深い敬意と感謝を表すために。

「ほら見ろ、その息子に笑われているぞ。母親としての威厳も皆無だな」

「人のこと言えないでしょ。息子に越えられた父親としていまどんな気持ち?」

 ぽんぽんと言い合う二人を置いて、命山の神官たちが、キヨツグの手当と汗を拭うために再び近付いてきた。今度は拒まず、処置を受ける。その合間に、砕けた剣の破片は一つ残らず丁寧に拾われ、白布の上に元の形になるよう並べられていた。

 それらが終わっても、まだ二人は言い合っている。口喧嘩ほどの刺々しさはないから、これが常の光景なのだろう。その子だというのに、どうやらまったく口数は似なかったらしいキヨツグだった。口を挟むのは野暮だと感じるくらいには、彼らのやり取りは趣深い。

「まったく口が減らないやつだ。族長殿には時間がないんだから、いつまでも突っかかってないで、さっさと済ましてやれ」

「その減らず口が好きなくせに!」

 ふんと鼻で笑ったリリスの勝ちだった。ぐっと黙ったオウギは、苦々しい顔を背ける。敗北に甘んじるのは、彼女の口撃が事実だからか。

 近付くリリスを立ち上がって迎えたが、彼女は感じていた以上に小柄だった。キヨツグに手を出すよう促し、外した耳飾りを渡す手も、剣を握る者ならではの骨ばったものではあったが女性の繊細な手だった。

 彼女の耳で揺れていた飾りは、楕円型の金板が連なるものだ。中央には真紅の石が輝いている。

「これは私が成人の証としてもらったものだ。私の身分を証すものであり、いつしか私の権威の象徴にもなった」

 金の板に指を滑らせると、何か彫られているのに気が付いた。だが長い時を経てほとんど消えかかってしまっている。目を凝らしてみるが、まったく読めなかった。どの記録にもない、古く忘れ去られた言語なのだ。

「これをあなたに預けよう。私の権限をすべて託す。同胞(・・)の力を借りることだってできる」

「俺からはこれを」

 オウギからは、花を模した魔除け飾りを受け取った。桔梗を思わせる形の中心に、甘い色を帯びた真珠が飾られている。古びているわけではないのに、その希少な宝石だけが不思議なほど厳然として感じられた。

「アマーリエに渡してくれ」

 刹那、リリスがちらりとそれを見た。だが何も言わなかった。キヨツグが気付いたならオウギにもわかっただろうに、反応しなかった。どうやらどちらにも由縁のある品らしいと推察し、丁重に懐に入れた。

「……感謝します、お二方とも」

「こちらこそ。――頼ってくれて、ありがとう」

『甘えさせてやれなくてごめん』と言いたいのを、その言葉に変えたのだろう。微笑みに入り混じる悲哀と後悔を、キヨツグは首を振ることで仕方がないことだと表した。恨んだこともないし、怒りもない。ただ普通とされる家族ではなかった、それだけのことなのだから。

 それに、と思う。己が何よりも慈しんでいるアマーリエを大事にしてくれていることが、キヨツグ自身を甘やかされるよりも、どんなものにも勝る愛だと感じている。

 それらを確かに口に出した方がいいと知りながら、ただ黙してしまうのは、実の両親を前にすると、キヨツグも人並みに気恥ずかしさを感じるという証左かもしれない。リオンやカリヤ辺りが知ったら大笑いされそうだ。

「行くのか」

「……はい」

 オウギの問いに頷きとともに答え、キヨツグは改めて、並び立つ二人に向き合った。

 話さなければならないこと、問いただしたいことは多くあるが、最初に感じていたほど強い望みではなくなっていた。彼らが考えた末に、その選択をしたのだろう、思い悩み、責められることも覚悟の上だったと、剣を交えたことで深く理解できたからだ。

 三人の道が交わることはそう度々あることではないだろう。できれば重ならない方がいいのかもしれない。力を借りる必要がある現在のような状況は、頻繁でない方が幸いだ。そのことは彼ら自身が身に沁みて理解しているはずだ。

 キヨツグに出来るのは、その途方もない時間を、彼と彼女が別たれることなく寄り添って生きてきたことを、祝福することのみだった。

「……必ず、お返しに参ります。そのときは」

 知らず、微笑みが滲んだ。

「……私の妻を、紹介させてください」

 息を飲んだ二人が浮かべた微笑みを、もしアマーリエが目にすることがあったなら、キヨツグに似ていると言っただろう。

「……うん。うん、待ってるよ」

 どこか泣き笑うような表情で、リリスは手を振った。

「いってらっしゃい」と見送りの言葉と眼差しを贈られたそのとき、三人は恐らく、自分たちらしい家族になったのだ。


 そうして逸る心で王宮に舞い戻ったキヨツグは、リオンやカリヤを巻き込んで、厳重な根回しの後、長老方を交えた御前会議で、アマーリエの奪還計画を提案し、決議させた。反論を封じ込める一瞥をくれるキヨツグの右の耳には、女神から預かった耳飾りが揺れる。

 だが、それらが上手く回ったのは、キヨツグ不在の間、巫女ライカの言葉があったからだった。

『キヨツグが始祖と女神に挑み、勝利した。証の耳飾りは、御柱の力を使うためのものだ』

 そんな預言が徐々に広まっているところに、キヨツグが見慣れぬ耳飾りを着けて戻ってきたのだ。先の命山の言葉もあって信仰心が高まっているところに、キヨツグを推す声はますます大きくなったらしい。だがそんなリリスの状況も、動き出した計画に忙殺されて、ろくに構うことができなかった。

 手を止めたキヨツグは執務室を出て、ふらりと王宮前の広場へ足を向けた。常ならば静寂に満ちたそこは、いまやシャドの灯が霞むほどの篝火と天幕でひしめいている。それは街の外にも広がっている。地の果てまで続く勢いだ。

 一年ほど前は、これは病に倒れ、怯え、救いを求める者たちの集まりだった。いまは違う。キヨツグの呼びかけに応えて集った一族の、勇敢と慈悲深さの輝きだ。

 これほどまで安らかに、どこか後ろめたくも味方がいるという心強さを感じながら、リリスという地や一族のことを思ったことはなかった。王宮が、政の中心で、族長の住まいで、巫女や祖霊を祀る場所だけではなく、様々な人の思いが集まるところなのだということも。

 自身が守ってきたもの、それらに生かされている。

 生きている。

(エリカ)

 いまとてもお前に会いたい。きっと新しい形でお前を愛することができる。

 未来を決めるための戦いは、すぐそこまで迫っていた。

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