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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第17章
110/193

17−3

 キヨツグの決定は、内々ではあったが速やかに関係者に伝えられた。アマーリエを取り戻すための準備期間を回復に費やしながら、滞った政務と、引き継いだ仕事を処理しながら、一つ、重大な事項を決めた。

 アマーリエを奪還するに当たって、キヨツグに万が一のことが起こったとき、後継を誰にするか。公子と呼ばれる候補者を推挙したのだった。キヨツグは順当にリオンを指名し、長老方はそれを受諾した。これで未練なくリリスを離れることができる、と思ったが、勝手に族長位を投げつけられたリオンはたまったものではなかろう。顔を合わせたときに一日文句を言われるのは覚悟しておかねばならない。

 そして、決行の日が来た。

 キヨツグは都市の略装、以前身に着けたものよりも安価なスーツに袖を通し、特徴的な瞳を隠すために色付きの眼鏡をかけ、ヒト族に見えるよう変装を試みた。長い髪をまとめてしまえば、リリスの地には異質すぎる姿が出来上がる。

 だがそれを見たイリアとアンナは苦笑していた。問題があるのかと問うと、二人揃って首を振る。

「あまりにも格好良すぎるんです」

「上流階級の出身に見えてしまうのよ。問題といえば問題かもしれないけれど、仕方がないと思うわ」

 そういうものか、と着替えを見守っていたハルイやヨウは不思議がっている。

 この場にいるのは、キヨツグが後を託す者たち――ハルイやカリヤといった長老の一部と、キヨツグ付きとアマーリエ付きの筆頭女官が二人ずつ、そしてヨウやユメなどの護衛官。そして彼らに都市のことを教えるイリアとアンナだ。

 込み上げてしまうといった様子で笑っていた二人、特にアンナは、やがて表情を真剣なものに変えると、キヨツグをまっすぐに見上げて、言った。

「どうか、無事で。娘のことをよろしくお願いします」

 力の限りを尽くす、と決めた。何があろうとも取り戻すと決めて、近しい者以外には伝えず、夜が更けた時間に見送りもなく、イリアが用意した公用車に乗り込んだ。

 いまからキヨツグは、イリアの下に配属されている一人の市職員という身分になる。出来る限り目立たず、というのは身長もあり、アンナたちの反応を思い出せば難しいことかもしれなかったが、気配を殺すのも、身を隠すのもどちらかといえば得意だ。王宮を離れて暮らしていた幼少期に身につけた技が、こんなところで生かされるとは思わなかった。

 唸りを上げて、車両は夜の草原を走る。鉄の獣が高速で走っているかのようだ。運転しているのはイリアで、悪路だろうに時々「ん」だの「おっと」だのと呟く以外は、暗い道を走ることを恐れてはいないようだ。

「少し時間がありますから、休んでいてください。近くなったら起こします」

 車中の鏡越しにイリアが笑った。キヨツグはじっと彼女の視線を注ぎ、口を開く。静寂に満ちたこの空間で、その話をするのは最も適していると思ったからだ。

「あなたは、エリカとコレット市長を見て、何か感じるものはなかったか」

 種族間の対立という危険を冒してまでも、娘を取り戻そうとする、その理由はなんだ。

 悪い顔をした猫のように、イリアは目を細めた。

「父親の情はあると思います」

「だがそれだけではない」

 リリス族とヒト族の混血である胎児が、都市にも広がった死病を駆逐する手立てとなる。アマーリエは母体として大事にされることだろう。だがそもそものきっかけは、コレット市長、もしくは他都市の市長との結託による、モルグ族とリリス族への攻撃なのだ。

 イリアは沈黙していた。キヨツグから目を逸らし、舗装されていない道をひた走る。キヨツグは待ち、やがて彼女は耐えきれなくなったかのように、口を開いた。

「私にはわかりません。当事者が真実を明かさない限り、何を語っても空論にしかならない。……ですから、いまから独り言を言います」

 ふっと、イリアは息を吐き、前方に広がる暗闇に投げ込むようにして、静かに語った。

「アマーリエは、コレット市長の実のお姉様によく似ているんだそうです。マリア・マリサさんといって、優秀で華やかな方だったそうですが、若くして亡くなりました。その亡くなり方は、コレット家にとって醜聞でした。なにせ、一年間の失踪の後、妊娠した状態で連れ戻され、情緒不安定なまま、亡くなられたということでしたから」

 子どもを宿したまま死んだ女性。

 アマーリエと似ていて、かつ、何かが決定的に違うという印象を受けた。たとえばそれは、選ばなかった選択肢。ありえたかもしれない自分という可能性めいた相似性だ。

「噂になったのは、マリアさんを崇拝するような方も多かったからのようです。その筆頭が、弟であるコレット市長。お姉様にとても懐いていて、行方不明になったときには血眼になって捜索していたといいます。だから変な噂が立ちました。『順番が逆だったのではないか』という」

 順番、と胸の内に呟いた、途端、嫌な予感を覚える。

「妊娠していた彼女は心を病んでいた、その逆で、ある人物の子どもを宿したから病んでしまったのではないか――」

 華やかな姉。彼女に執着していた弟。子を宿したまま死んだ。

 要素だけをつなぎ合わせていくと、醜悪な邪推が完成する。そう、悪意のある憶測だ。キヨツグの感じたものを見透かすように、イリアは首肯した。

「ええ、口さがない人たちの噂話です。それも凄まじく趣味が悪い。でももしかしたら、それだけマリア・マリサという人は魅力的で、その弟は彼女を深く愛していたのかもしれません」

 私も人から聞いただけですから、と言って、彼女は息を継いだ。書類上は身内だが、家族とはいえないキヨツグには、あまり聞かせたくはない話だったに違いない。疲弊するのも無理はなかった。だが、キヨツグには情報を集める必要性があった。

 アマーリエには最初から、何かに囚われていた。それを気にし、恐れ、忘れられないでいるようだった。思い当たる節はあったが、いまになってそれらが牙を剥いたのだとキヨツグは考えている。ならば、彼女をその軛から解き放つのも、いましかない。

「……そんな過去の後、コレット市長は結婚して、アマーリエが生まれました。そんな彼は、妻との離婚の際、親権は絶対に譲らないと断言したそうです。アマーリエは父親に引き取られて、裕福な環境で育ちました。コレット市長は多忙でしたが、家庭教師や家事使用人が家を十分に整えてくれていて、何不自由なく育ったと、彼女自身も言っていました」

 その後は、キヨツグも知っている。コレット市長は自らの立場から否応無しに娘を手放し、アマーリエは逆らえないままリリス族の花嫁となった。

 そして、彼がここまで強硬な手段でアマーリエを取り戻そうとするなど、誰も想像しなかった。

 コレット市長はアマーリエに、否、恐らくは未だマリアに執着している。

 関係者たちには、アマーリエに対する愛情は、本当に娘へ向けるものなのか、と疑われる、行き過ぎた行動ばかりが目につく。だがすべて疑いきれずにいた。彼の人間性や社会的立場から、悪意ある憶測は妄想でしかない、と思いたかったのだろう。

「最愛の姉とその子どもを失った弟は生まれた『娘』を偏愛していると、そう思われても仕方がないと考えてしまう理由が、あちこちに転がっている。私は、そう思います」

 語りは、それで終わりだった。薄ら寒い沈黙が漂い、イリアは「寒いですね」と呟いて、機器を操作し、車中を温風で満たした。どこか後悔するように硬い顔つきでいたイリアは、自身を慰めるように、これまでよりずっと小さな声で呟く。

「コレット市長の真意は誰にもわからない。市長が娘に強く執着しているのは事実で、その愛娘を政略の道具にしたという矛盾も本当のこと。見通せるとしたらきっとアマーリエだけ」

 ――誰が、何を思い、どのように守ろうとしているのか。

 政治家らしい重みと華やかな空気をまとっていたコレット市長を思い浮かべる。彼は深くアマーリエを愛してきたことを、キヨツグは我が事のように感じることができた。何故なら彼は自分と同じ種類の人間だからだ。

 人を動かし、心を読み、望むものを手にすることができるのに、己の命よりも重い『絶対的な存在』を欠いている。平等を知り、平等を与える立場でありながら、己のすべてを捧げる唯一の存在を、キヨツグも彼も持っていない。持っていなかった。決定的に違うのは、キヨツグにとってそれは過去であり、コレット市長にとっては現在であるという点だった。彼は、彼にとって唯一だったマリアという人物を失っているのだから。

 喪失を抱えた彼は、アマーリエをその身代わりにしているのかもしれない。もうこれ以上失っては生きていけないと、縋るように。

 キヨツグは、静かに、だがイリアに聞こえるように、呟いた。

「彼は、己の精神が不健全である自覚があるはずだ」

 ぱっとイリアが顔を上げ、深く吸い込んだ息を吐きながら「はい……」と答えた。キヨツグが出した結論が、コレット市長とアマーリエを知る者たちの縁となっているのだった。

 闇が深く、鏡のようになった窓に映った己の姿越しに、都市の建築物の明かりを捉えながら、キヨツグは思考を深めていく。

(……コレット市長の矛盾した言動の理由は、それか。彼には二つの側面がある。マリアとエリカに執着しているのは姉を失った弟としての彼。政略のために娘を道具にすることを承諾したのは市長としての彼)

 ならば、いずれ均衡を崩すときがやってくる。もしくはすでに起こっているか。少なくとも、薬を渡したことで他都市の市長たちには追及されているはずだ。病を作る行為が、第二都市の考えだけで行われたとは到底思えない。コレット市長をも手駒にしている人間がどこかにいる。恐らく第一都市市長だ。

 都市が、近付いてきた。イリアは速度を変えず、淡々と車を進めていく。

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