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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第2章
11/193

2−4

 通勤を始めた人々とは逆方向に、アマーリエを乗せた車は東ゲートへと向かっていた。

「寒いですか? 空調を調整しましょうか?」

「……いえ、大丈夫です」

 頬は熱いが身体は寒い、体温調節がうまくいっていない状態で、小さく震えているのを見咎められたのだ。首を振り、過ぎ行く景色を眺める。

 あらかじめ連絡されていたからか、間を置かずゲートを通過した。

 金属製の扉が、上部の赤いランプを点灯させて左右に開かれていく。扉の向こうから光が差し込み、風が巻き上がったのが音の響きでわかる。

 アマーリエが昇り始めた太陽の眩しさに目を細めている間に、車は都市外の道を走り出した。

 都市の外には農業区が広がっている。開けた視界の青々とした緑野に、草を食む動物たちと牧場の建物、そして都市の食糧供給を支えている広大な耕地があった。都市の灰色に霞むことのない自然が息づいているところだ。

 その真ん中を貫く道路は都市と都市を繋ぐ街道でもある。途中の標識を東に曲がれば、ヒト族の勢力圏を少しずつ離れていくことになる。

 次第に車が揺れる、整備されていない道が続く。この辺りは『境界』に近いということで開発の手が入っておらず、道が出来ていないのだ。

 三十分ほど走っただろうか。アマーリエの座る後部座席からでも、その壁を見ることができた。

 ――『境界』。

 アマーリエの躊躇など関係なく、只人には決して開かれることのない国境の門が開かれ、車を通過させた。

 そうしてしばらくも行かないうちに停車する。

 下車した市職員に促されて、アマーリエは一度目を閉じた。そして意を決するとそこに降り立った。

 風が強かった。ベールをさらわれないよう手で押さえる。しかし行き場がないからぶつかり合う都市の風と違い、自由に動き回るようなものだった。大地には見渡す限り冬枯れの草に覆われ、思ったよりも柔らかく心もとない。

 後続車両が到着し、荷物を運び出していく。その様子をぼんやり見ているアマーリエの肩に、市職員が毛皮のコートを着せかけた。

 やがて響いてくる地鳴りのような音に、アマーリエは身を竦めて周囲を見回し、現れた一団を見て言葉を失った。

 地平線から現れたのは、馬と人の群れと馬車だった。芸術品のような民族衣装に身を包む彼らは、全員覆面をしており、とても一人のための迎えとは思えない数の異様な集団だった。

「お嬢さん」

 呼びかけられて振り返ると、荷物を運ぶ後続車両に乗っていたビアンカが丁寧に礼をした。それに合わせて、荷物の運搬を終えた市職員や運転手たちも頭を下げる。

「お迎えが参りましたので、私たちはここまでとなります。名残惜しくはありますが、この先のお嬢さんのご多幸をお祈り申し上げます。どうぞ、お元気で」

 呆然と彼女たちを見て、理解する。

(……これで、最後なんだ……)

 ここから先、ヒト族は行くことができない。唯一通るのがアマーリエだ。都市市長の娘。政略結婚の花嫁。

 遠く離れた都市は霞んではいたが、その最も高い市庁舎と周囲のビル群を見ることができた。生まれ育ち、一生をそこで終えるはずだった、永遠の過去と刹那の現在、約束の未来があったはずの世界だ。

 けれどそれを選ばせてもらえず、ここにいる。

 礼をしたままの市職員たちの内心は窺い知れない。自責の念があるのかただ職務に従事しているだけなのか。何があってもこの状況を変えることができないと思い知っているのかもしれない。

 だが見送りがあることはアマーリエの心を少しだけ穏やかにしてくれた。

「……ありがとうございました。どうか、皆さんもお元気で」

 心からの感謝と願いを口にした。

 でなければ、自分が救われない。ここまで世話をしてくれた彼女たちに謝辞も言えず、憎んだままこれまでの世界と別れるなんて。

 ビアンカや複数の市職員の肩が揺れたことには気付かず、アマーリエは歩き出す。

 踵の高い靴は大地を行くのには向いていない。白いドレスも。上質なベールも。

 けれど振り返らない。振り返られない。振り返ってはならない。

 アマーリエ・E・コレットの都市での未来は失われる。だが悲壮な顔をしてはならない。後悔、未練や憤怒といったマイナスの感情は見せない。与えられたのは花嫁としての役割だ。ヒト族の印象を悪くしてはならないと自分を律する。

 自分一人の未来を犠牲に九百九人の未来を救えるのなら、アマーリエは己を捧げずにはいられない。見捨てられるほどの心の強さを持たないから。

 立ち止まり、正面に並ぶ人々を見据える。

 馬を降りて近付いてきたのは先頭の人物だった。アマーリエより頭一つ分背の高い人物で、頭と口元を布で覆っている。

 その人が、不意に膝をついた。

 続いて下馬した全員がばらばらと金属音や衣擦れの音を響かせて一斉に跪く。ぎょっとして言葉を失ったアマーリエに、涼やかな声が告げる。

「ようこそ、リリスへお越しくださいました。我々はあなた様付きになる親衛隊にございまする。これよりあなた様を王宮にお送りさせていただきます」

 ざっと立ち上がった先頭の人物が、手を差し出した。

「御手をお預かりする名誉を賜りたく存じます。……よろしいですか?」

 滑らかな口上の後、手を差し出され、おろおろとその人と手を見比べる。

(え、ええと……? 手を預かるって言ったよね?)

 そろそろと右手を乗せると、こちらへと美しい声で言ったその人によって、壮麗な馬車へと案内される。

 黒く光る多角形の馬車には、金の装飾が施され、車輪にも精緻な模様が彫り込まれている。それを引く馬は四頭とも白馬で、角や翼といった異種の特徴は見られず、純粋馬と呼ばれる血統種だと思われた。

 扉を開いて待つ者たちが足場を用意してくれる。

「御足元が不安定かもしれませぬが、支えておりますゆえ、ゆっくりお上がりください。御裾にお気を付けて」

 そのとき気付く。

 驚きのあまりその人の顔を見る。丁寧な口調、高くも低くもない声、この長身だけれど。

(……女の人……?)

 細身の男性だと思い込んでいたのは、腰に刀剣を帯びていたからだ。武術に携わっている人なら、触れている手の感触にも納得がいく。けれどふと声に混じった気遣い、目元や視線の配り方が、とても立派で美しい女性のものだと直感した。そして気付く。

(目の形が違う)

 別の生き物のように虹彩が縦に長い。光の加減で緩やかに丸くなったり細くなったりしているのが見える。

 長い間見つめてしまったのだろう、彼女は目を細めて微笑んだ。不躾で無遠慮な眼差しを注いだことに赤面しつつ、アマーリエは小さな声で言った。

「あ……ありがとう、ございます……」

 アマーリエが馬車に乗り込むと、彼女は一歩下がって一礼し、扉を閉めるよう命じた。

 やがて「出発!」の声が上がる。ゆっくりと馬車が動き出す気配にはっとしてアマーリエは背後を振り返りそうになったが、自身の決意を思い出してぐっと拳を握りしめた。

 振り返らないと決めていたのに、振り返りたくなってしまう自分の弱さと情けなさに唇を噛み締める。高価なルージュで彩られた唇はきっとぼろぼろになっていることだろう。

 涙の出ない瞳を閉じ、別れを胸の中で囁く。


 花嫁を乗せた馬車とそれを守る親衛隊は、行列を成して緩やかな速度で起伏の多い草原を進んでいく。

 ここはもうリリス族の国。アマーリエが選ばされた世界だった。

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