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GRAYHEATHIA*グラィエーシア  作者: 瀬川月菜
第16章
106/193

16−6

 アマーリエはその後、隔離され、著しく行動を制限されることになった。様子を見に来るのは、王宮医官のハナと医官長のリュウ夫妻、そして命山からやってきた使者たちだった。

 一日が経ち、二日経ち、三日を超えても、アマーリエには何の変化も現れなかった。最も疑いの強いフラウへの感染も、その他の何も起こらず、ただハナだけがカルテを遡って非常に難しい顔をしていた。

「……何か気になることがあるんですか?」

 あまりにも深刻なので尋ねてみたが、彼女は「思い過ごしかもしれないので」と語ろうとしなかった。代わりに、リュウには相談しているから大丈夫だと言って、アマーリエを安心させようとする。そうなるとしつこくするのもと思い、他に気を取られる事柄がたくさん散らばっていることもあって、問いを重ねることは控えた。

 四日目になっても、予測されていた症状が起こらなかったので、アマーリエには面会の許可が下りた。その人は開口一番、リリスの王宮側の不満を零した。

「『お役所』というのはどこも同じね。娘に会うだけでこれだけ煩雑になるなんて。不慣れな状態でよく秩序を保っていると褒めるべきなのでしょうけれど」

「じゃあ私は、お褒めの言葉ありがとうございます、って返せばいいのかな」

 白衣を揺らして現れた母アンナは、アマーリエの笑い混じりの台詞を聞いて、安心したようだった。

 治療薬を手に入れるために、父である市長を脅迫するに当たって、アマーリエは次の布石を打った。都市とリリスのやりとりの際に間に入る者と、薬が到着した後それが本物であると確認できる人物の配置。浮かんだのは、異種族交流課にいる従姉イリアと、医師である母アンナだった。安易に頼ることはできない、ということはすぐに理解できた。イリアは市政に属していて、アンナは一般市民だ。協力を請うた結果、都市に離反することになって、二人が路頭に迷うかもしれない。

 それでも、頼れるのは二人しかいないと思った。携帯端末の使用は傍受されている可能性を考えて、人や手紙を使った。リリス族には都市に独自の情報網があるらしく、手紙は無事に届き、二人はこうしてリリスに来てくれた。イリアはいま、リリス側に属しつつも都市との話し合いのために、こちらの外交官とともに常に動き回っている。

「調子はどう? 発熱や嘔吐はしていない?」

 アンナは医師として、現在も拘束中の医療チームに代わり、診察や治療を行なっている。王宮医官たちとはうまくやっているようで、特にハナとは気が合っているらしく、お互いに刺激し合っていると彼女自身からも聞いていた。

「全然。動かないせいでお腹が空かないことがちょっと気になるかな。あんまり食べたくならないの。できることも少ないし、つい横になってうとうと居眠りばっかりしてる」

「締め切った部屋に引きこもっていると、自律神経が乱れるから、昼夜逆転しやすいわね。少し身体を動かしなさい、と言いたいところだけれど、なるべく安静にしているようにと言われているんだったわね」

 絵巻物を眺めたり、リリス族の祭礼について調べてもらったものを読んだり、勉強の途中になっていたものを持ってきてもらってひたすら読み、書写をして筆記の上達を試みたり、と、個人でできることはある。一人で過ごすことはまったく苦にならないつもりだったけれど、こんな状況だからか、誰かと話したいし、状況を教えてもらいたくなる。

 だが、アマーリエは現在保菌者である可能性が高く、接触する人間は少なくしなければならない。それに命山の使者からは、心体に負荷のかかることはできるだけ避けるように、と言われていた。緩やかに始まるはずの変異が突然加速し、命を脅かす可能性があるのだという。ただこのことは母には話していない。あくまでリリス族の専門家の診断だと告げてある。

「そういう母さんこそ、大丈夫? こっちの生活で不便なこととか、困ったことはない?」

「大丈夫よ。皆さん、とてもよくしてくださるわ。大勢の世話係に出迎えられたときには何事かと思ったけれど、いまは案内兼護衛の人が一人だけだし、私があなたの身内だとわかると丁重に扱ってくれるしね。それを利用して、ここでの文化や医療について聞きまわっているくらいだから、心配しなくて大丈夫よ」

 饒舌に、そして楽しげに語る母を見るのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。まったく見知らぬ土地で、異なる文化に触れて、それらを吸収するという行為が楽しいという人だったのだろう。アマーリエを心配させないために、無邪気さを装っていたとしても、リリスのことを受け入れてくれているなら、とても嬉しいと思う。

 だから、アマーリエの気がかりは一つだけ。

「……ワクチンは、来るかな」

「来るでしょうね」

 言い切られるとは思わず、アマーリエは目を見張った。

「あなた自身が危険にさらされているんだから、ジョージは必ず動くわ。スタッフの拘束やあなたの脅迫でリリス族と敵対することになれば、対応はそれだけ遅れる。その間にあなたは発病するかもしれないと考えるでしょうから。あなたを助けるために薬を届ける方が先だと思っているはずよ」

「……私を助けるため『だけ』に?」

 アンナは険しい顔で瞑目し、腕を伸ばして、そっとアマーリエを抱き寄せた。耳元で、深く悲しいため息が聞こえる。幼い子どもに戻ったような気がして、秘めていた疑問が口をつく。

「母さんは、どうして助けに来てくれたの……?」

「私は母親として失格だけれど、娘の危機に駆けつけない母親にはなりたくなかったの」

 アンナは抱きしめる腕に力を込めた。

「それに、あなたの夫には恩を返さなくてはならないと思った。いまとこれからのあなたを守ってくれるのは、私でもジョージでもなく、きっと彼でしょう」

 そっと離れて向き合う母の目には、諦念と悲しみがあった。いつも心の奥底に隠していたそれを、この人は初めてアマーリエの前で明らかにしている。母親として、一人の人間として、娘はいつか自分たちの手を離れて選んだ誰かと遠くに行くのだと確信していたのだ。ずっと昔から。アマーリエが恋を知らない頃から。

「……ジョージのことを許さなくていい。でも忘れないで。私たちはあなたを愛しているの。私たちには、親として、あなたのしたことを怒る権利も悲しむ権利もあるのよ」

 胸を突かれて、アマーリエは込み上げたものを飲み込んだ。ずるい、というシキの言葉を思い出す。

 私はずるい。たくさんの人を蔑ろにしておきながら、謝罪することもできない。愛しているとも返せない。何故ならその言葉は、たった一人に捧げられるものになってしまった。実の母親が相手でも、口にすることは躊躇われた。

 だからアマーリエはずっと、いまに至っても、父と母のことを許せていないのだ。

「真様」

 切羽詰まった声が呼んだのはそのときだった。気付けば、静寂の向こうにかすかな焦燥の気配を感じる。

「はい。どうかしましたか?」

 アマーリエが答えると、医官は震える声で告げた。

「薬が――都市から、特効薬が参りました」

 アマーリエとアンナは同時に腰を浮かせ、顔を見合わせた。アマーリエはごくりと喉を鳴らし、落ち着けと自らに言い聞かせながら、さらなる答えを返す。

「わかりました。リュウ医官長、それからカリヤ長老とハルイ長老をお呼びしてください。こちらにはハナ医師を呼ぶか、私が外に出る許可をいただいてください」

「かしこまりました」

 そうして母に何か言われる前に、素早く囁く。

「私にも確認させてほしいの。それにワクチンを最初に摂取するなら、私が最適だと思う。本当に薬なのか、試す人間が必要でしょう」

 アンナは眉をひそめ、アマーリエから目を背けた。何か言いたいことがあったようだが、飲み込んでしまったようだ。前髪を掻き上げ、息を吐いた。

「……先に行ってるわ。多分イリアが来ているでしょうから、状況を説明してくる」

「うん。お願いします」

 母を見送って、一人になると、急に速くなった鼓動の音が耳についた。呼吸が乱れ、息が苦しくなる。

(やっと来た。やっと……!)

 これで助けられる。キヨツグも、みんなも。これ以上の感染を食い止めることができる。その興奮がアマーリエに目眩をもたらす。

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