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十四話 未来のない若者に訪れたチャンスと葛藤

 武器蔵での幻怪たる尋問から三日――。

 すでに陽も暮れ尽くし、動物も眠り始めている静けさの中、しかし人の目ばかりはところどころから感じる不気味な伊賀鍔隠れの里に一軒の家があった。忍者集団である鍔隠れ内にも当然貧富や身分の差というものはあって、裕福な者や権力のある者は山から流れる水を引いた濠や土塀を備えたそれなりの屋敷に住んでいるが、この家はそのように大したものではない。とはいえ、木の柵に区切られた狭っちい庭はあるし、平屋で部屋数も台所と風呂場と横にちょっと長く作られた生活用の部屋の三つしかないがとにかく長屋ではなかった。そんな家の中に障子をつけた窓から透ける淡い月光を浴びた新瑞清十朗が一人ぽつりと坐っていた。

 彼は何をしているのかといえば、あぐらをかいて右手の中でじゃらじゃらと何かを転がしているのであった。清十朗がビュっと腕を振るうと、その手の中の何かが床に転がった。くすんだ角砂糖みたいなそれは六つのサイコロであった。月光に浮かび上がったそれを見ると清十朗は一人、「よしっ」と右手を軽く振り上げて拳を握った。

 彼がそんな喜色とした反応をしたのも当然だ。六つのサイコロに出た目は全て「六」であった。


 

清十朗は前のめりになって六つのサイコロを足元に寄せ集めると、次はそれらとはまた違う、あらかじめ左手の中に握り込んであった六つのサイコロを振った。今回それらは全て「一」の目を示した。

 満足げに頷いた清十朗はサイコロを全て集めると、左右の手に六つずつ握り込んだ。そして、真面目な顔で鳥が羽を広げるように腕を開くと、一度ピタリと止まり、両腕を同時に振って手の中の一二個のサイコロをいっぺんに放った。出た数字は今度は一見みなバラバラであった。しかしよくよく見ると、「一、二、三、四、五、六」の数字が二つ一組を成していた。


「よしっ!」


 晴々しく笑った清十朗が両膝を叩いた。

 三度連続でこのような有意的な出目が出たということは、これは単なる偶然とは思われない。事実として、椀の中に放ろうが床に向かって投げようが好きな出目を出せるというのは清十朗のちょっとした特技であった。ただこの特技を以って何かを成すというわけではない。この特技を知っている鍔隠れの面々は清十朗とサイコロ勝負をしようとはしないし、わざわざこの特技を引っ提げて何とも胡散臭い賭場に向かうということも彼は好まなかったからだ。では何故このようなことをするかというと、これはただの彼の趣味、暇つぶしであった。しかし、いくら夜の暇つぶしがそう無い時代柄とはいえ、家族がないため他に誰もいない薄暗い家の中で一人サイコロを振って喜んでいる十七の青年の姿は悲しいというかむなしいというか何とも言えぬ光景であった。やがて――清十朗はサイコロを片づけ、布団を敷いた。そして、彼が静かに布団の中に入ったそのとき――不意に戸が荒々しく叩かれた。清十朗は布団の上でガバと身を起こし、目を見開いて戸を見詰めた。彼は驚いたのである。それは突如戸が叩かれた驚きというより、その戸を叩いた人物が家に近づいてきたことを全く覚れなかったことに驚いたのである。その点、清十朗は三年間に及ぶ毎朝の修業で自信を持っていたのだ。

 跳ね起きて布団の上に仁王立ちになった清十朗は一度戸を透かすように眺めてから恐る恐るその前に進み、囁くような声をかけた。


「誰です?」

「わしだ。蓑毛猛蔵だ。お前に急ぎの話があって来た。戸を開けてくれ」

「あらっ、猛蔵どの?」


 清十朗はまたもや驚いた。猛蔵が数日前に何事かの用で江戸へと向かったことは詳細は教えられずとも彼も知っていたのである。清十朗が横開きの木戸を開くとそこにいたのはたしかに男のものとは思えぬ艶やかな髪をなびかせる髭面の大巨漢、猛蔵であった。


「江戸へ向かったと聞いておりましたが、もうお帰りになられたのですか。どうぞ、中へ」


 と清十朗が戸から身をよけると、猛蔵は手を差し向けて、「いや」と断った。


「この後、まだ行かねばならぬところがあるためそうゆっくりとはできん。ただまずお前に話があって来た。重要な話だ。集中して聞け」

「はい」


 戸の前に出た清十朗が少し表情を引き締めて頷いた。


「ところで、お前は相模に謎の大地が現れたということを知っているか?」

「はい。その噂がここ鍔隠れにも入っており、その話を集めるためにみなが里の外に出入りしていたのですが、ついに先日、その役目を拙者にも任されまして。その際に知りました」


 と清十朗が引き締めた顔を崩し、微笑して言った。忍者ならではとは言い難いが、少なくとも農作業よりはそれらしい仕事をしたことに彼はちょっと達成感を得ていたのであった。


「大地が現れるとはにわかには信じがたいことですが……現として今、その大地にある国と幕府が戦を起こしているとか」

「そうだ。それでこの度、わしと柔膳、四季右衛門がその国へ忍び込む命を受けたのだが、それに清十朗――お前も連れていくことになった」

「え?」


 清十朗は目を丸くした。そして、目を丸くした清十朗は喜ぶよりもまず、何やら重要そうな任務を唐突に任されることに狼狽して、

「しかし、拙者いくつかの基本忍法こそ習得しておりますが、猛蔵どのたちのように忍法秘奥には至らず……特技といえば投擲術ぐらいのものしかございませぬが」

 と思わず言った。


 忍者に必要な能力は走る、泳ぐ、飛ぶ、見る、聴く、嗅ぐ、などなど多岐にわたる。が、確かにこの若い忍者は中でも投げるという能力に特別な才能があったと見えて、投げる物の材質や形状、大きさや重さに関わらず腕力の及ぶ範囲である限り、風の具合なども計算して狙った場所へ寸分違わず投擲することができた。突き立てた針の穴に同じく針を投げて先端を通すことのできるそのコントロールには、伊賀の先輩忍者たちもこれだけは我らも及ばない――と感嘆した。先ほどのサイコロ遊びもその才能から長じたものであろう。しかし他の者より秀でているのは所詮それだけだということは彼自身も言った通りだ。清十朗はこの技能が特別役に立つものとは思えなかった。才能というものはたとえあったとしても状況に即し有用性がなければ何の価値もないのだ。それが人間世界というもののどうしようもなさと言ってもいい難しさであった。だが、猛蔵は首を振った。


「いや、お前を呼ぶのは忍法に期待を持ってのことではない。お前が修行中の身であることは知っておる。ではなぜお前を呼ぶかといえば、こういうことがあったからだ――」


 猛蔵は武器蔵での尋問について語り始め、それから例の聖女様うんぬんの話に結んだ。


「そのため、お前の力が必要になった。まさにお前の顔を貸してもらわねばならなくなったのだ」


 話を聞いた清十朗は身じろぎもせず黙り込み、猛蔵の目を探るようにじっと見た。じっと見つつ彼の脳中には様々な考えが去来していた。

 それには驚愕もある。アスファイヤに関する話を集めたという清十朗はアスファイヤの者たちが妖術を使うという話も仕入れて知っている。だがいくらなんでもあの大地が別の世界からやってきたなどとは誰も口にしなかったし、そもそも清十朗には異世界という概念からしてよく理解できない。彼はそんなわけのわからない場所に向かうぞ、と言われているのだ。しかも行くとはつまり命を賭けるということであった。

 そして驚愕の他にぐっ、と気詰まりする感覚もあった。何せ、アスファイヤに忍び込んでからやれと言われたことがことだ。彼は理由なく人を殺めたり苦しめたりするつもりこそ毛頭ないが、その理由あらば不徳の至り――人の命を奪うことにも覚悟を持っていた。忍者としての習いだが、戦国の世からまださほど時が経っていない時代に産まれた者ならではの割り切りでもあった。しかし、その清十朗でもこの話には気が引けるものがあった。すなわちこの話――女を魅惑し誑かし、強姦か、和姦にしても腹に一物持っての裏切りの睦み事をしろということに他ならないからだ。しかも猛蔵の語ったペーチャーの話では、聖女というのは性質穏やかで清浄な人物だという――。なおさら不道徳感の高まるものがある。


 が、彼の脳中にはその想いの陰で、

 ――これもたしかに忍者としての仕事ではある。

 という観念もあった。清十朗がそのような考えを巡らせていると彼と同時にその目を見つめていた猛蔵が、

「嫌か、清十朗。……嫌でもやれ」

 と静かだが厳然と怖い声で言った。


「これは将軍家からの命だぞ。しかも此度のことはどれほど玄妙な技を持った剣士にもできぬ、ただ忍びの技を体得した忍者にしかやり果せぬことだ。さらにその中でもお前にしかできぬことなのだ」


 将軍家からの命――これに違背できるものが今の天下にあろうか。忍者ならば尚更である。それに、将軍家からの命ということはこれは清十朗が果たして来るのかと感じていた機会というもののうちでも最上のものであった。


「どうだ? やるか?」


 と猛蔵に目を細めて問われた清十朗は少しの間顔を伏せていた。


 が、ややあって上目遣いになると、低く呟くようでも決然とした声で、

「言うに及ばず。その任務、承りましてござる」

 と言った。


「よし。出立は明日の早朝だ。わしが迎えに来る。支度を整え今日は寝ろ」

 と言い残して猛蔵はどこぞかへと歩み去って行った。


 清十朗は夜の闇に消えてゆくその背を黙々と見送ると木戸を閉めた。木戸を閉めた彼は家の中を歩き、部屋の隅に置かれている二つの櫃の前で膝立ちになった。その櫃の中には衣類や様々な道具など清十朗の財産が納められていた。彼は明日の準備を始めたのである。まず右の櫃の蓋を開けた清十朗は中からこげ茶色の着物と黒いたっつけ袴を引っ張り出しては畳みなおして重ね置いた。これは闇に紛れる忍者衣装だ。そして次に彼は左の櫃からいくつかの道具を取り出しては横に並べていった。――黒髪をより合わせて作られた細長く柔軟な縄。独特のにおいのある白い粘体が入った褐色になめされた拳大の皮袋。彼にとっての切り札である四本の棒手裏剣。立ち上がった清十朗はさらに二つの櫃の隣の壁に立てかけられた一口の刀を手に取った。この刀と家が狂死したという両親が残した主だった遺産であった。

 清十朗はその刀を抜いた。それなりに流麗な抜き様であった。刀身を月光に照らしてそれを鍔から切っ先まで眺めた清十朗は、鞘を床に置くと続いて何を思ったか、家の中で素振りを始めた。はじめ左薙ぎにし、次に袈裟がけに振った。しかしこれまで真面目な顔をしていた清十朗が上段に構えた刀を振り下ろすと、「あっ」と声を漏らして慌てて天井を見上げた。彼の目の先では梁が裂かれていた。むろん今の上段振りで裂かれたのである。刀とはいえ太い木の梁を引っかからずに裂いてしまうとはこれはなかなかの剣の腕前だと言えた。


「……」


 ただ、天井を見上げている清十朗は妙に冷静な顔つきになると刀を鞘に納め、そそくさと布団に入ってしまった。――それから数分ののち、布団の中の清十朗が天井を見ながらぽつりとつぶやいた。


「機会がきた。……。聖女……か」


 目をつむった清十朗はしばしして眠りについた。すぐに朝は来た。とはいえまだ薄暗い時間帯であった。目を覚ました清十朗は昨夜用意しておいた衣装を着て、左腰に刀を差し、その辺りに皮袋をぶら下げ、胸元に縄をしまい、両の腿にとりつけた皮鞘にそれぞれ二本ずつ棒手裏剣を納めた。そのように支度していると戸が叩かれた。開くとそこにいたのは猛蔵であった。彼は清十朗を迎えに来たのだ。だが迎えに来たのは彼一人ではなかった。清十朗が家の外に出るとそこには深編笠を被った五人の人物もいた。顔を隠しているのだから誰かはわからない。だがその人物たちは全員、笠の隙間から清十朗を光る目で見詰めていることだけはわかった。


「支度はできたか?」


 猛蔵が聞くと、清十朗はちょっと家の中をふりかえった。そして部屋の中を目に映すと木戸を閉めて「はい」と頷いた。


「よし、では行こう」


 一瞬ののち七人は飛ぶように走り出し、里を抜けて山の中へ入った。あらかじめ家光より帰城無用と言いつかっていたため七人は直接戦場たる砂浜に向かった。

 さて、突如日本に現れることとなった神変神秘のソーラコア王国に対して四人の忍者たちによる戦いが始まる。

 人体の可能性を極めし幻怪たる彼らが相対するは人智を超えた魔法使いたち。果たして四人は如何にして魔族ですら抜けられなかった結界を抜けるのか。そして任務を果たすことができるのか。

 いざ、相模――。



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