十三話 華麗なる伊賀忍者の拷問
そしてその夜――、その間そこでなにが行われていたのか、彼らは武器蔵へと是非お越し下さい、といった旨のことを使いを通して将軍に願い出た。将軍がいつも就寝するという十時ごろよりも前、小姓と碁を楽しんでいるときであった。
将軍を呼びつけるとはとんでもないことだが、事が事だけに家光は春の夜のまだ肌寒い空の下、伊豆守と共にひそひそと武器蔵に向かい、乗り物を降りると忍者たちが来たため外に追い出されていた見張り役の男たちを横目にその中へ入った。一層ひやりとする蔵の中は槍や刀、鉄砲などの武器がおびただしい数、壁にかけられたり木箱にまとめて入れられたりしているのは当然だが、奇怪なものとして蔵の中央には木で作られた台がでんと置かれていた。そしてそれが奇怪な原因として、蝋の淡い灯りに照らされるその台の上には明らかに日本の人間とは異なる桃色の髪をした男が手足にかせをはめられてうつ伏せに寝かされていた。しかもその男は尻に布をかけられているだけの裸であった。
忍者たちはその台の前に三人横並びに平伏していた。その内の一人が、
「上様、そして伊豆守さまに御足労いただけましたること誠に恐縮と欣快の念に堪えませぬ。拙者、名を移木四季右衛門と申します」
と言った。
耳朶を打っては心臓にまで響く、小さな地鳴りのように低く落ち着いた声であった。今、彼の顔は伏せられているが、その声に似合って風貌の方も沈毅重厚、それに加えて優しげな影があり見る人をも落ち着かせる暖かみのある、あまり体格は大きくない三十ばかりの男である。
あとの二人も、
「蓑毛猛蔵」
「冷餅柔膳」
と、それぞれ名乗った。
それが終わると四季右衛門が、
「誠に恐れながらここへ御足労願いましたのは他でもない、尋問の手筈が整いましたためでございます」
「では、つまり?」
「はっ、これより尋問を行います。よって是非上様にはその様子をご覧いただきたく――」
「四季右衛門」
家光が眉を寄せて口を挟んだ。何やらちょっと不機嫌な語調である。
「手筈が整いつつもまだ尋問を行っておらんのか。余はてっきり何かわかったものと思うてここへと参ったのじゃ。うぬは尋問の様子を見せたいと申したが、余はそんなものは見とうない。このことを咎めはせぬから余が出ていったら早ういたせ」
こう言った家光は蔵を出て行こうとする。それに顔を伏せたままの四季右衛門が慌てて膝を進めた。
「あいやっ、上様、お待ちくだされ。これより行うのはただ痛々しくお見苦しい牢問ではございませぬ。忍者ならではの尋問にございます。忍者の問いは一つの芸。きっと上様を驚かせるものをお見せできると存じます」
背にかけられた四季右衛門の声に家光がびたりと足を止めた。四季右衛門がここまで尋問を見せたがるのはこの機会に自分たちの忍法、ひいては任務の果たしようをアピールしたいからだろうが、むろん家光はその想いをわざわざくみ取ったわけではない。彼はもともと活発な質だけにたしかに忍者の尋問とは何するものかと興味をそそられたのだ。くるりと身を返した家光は、
「よし、やってみよ」
と命じた。
命じられた四季右衛門、ついでに後の二人はニッとすると弾むように立ち上がって台に寝るアスファイヤの男の側に集った。そして二人を背後に控えさせ、ひとり台の前に立った四季右衛門が荘重な顔つきで男の腰の辺りを指圧していく。なんの意味があるのか、まるで医者の触診のようだが、指圧しながら四季右衛門が言った。
「やってみよ、と仰せではございますが、もはや術を施し終えてある以上、実は拙者がやるべきことはもうあまりないので。あるとすればこの按摩と、後は問いかけることぐらいでございます」
「なに? 責めをせぬと申すのか?」
「はい。それだけで口を割ります」
家光はいぶかしい顔をした。このアスファイヤの男がいかなる責めを受けようとも口を割らなかったのは彼も聞いたことだ。事実として男の体にはその責めがあったことを物語る無数の傷が残っている。そんな男がただ指圧をされただけで口を開くとはどういうことだ?
……いや、そういえば、何やら先ほど術を施してあると言ったな、と家光が寄ってきて目を細めて男を眺め出した。男が口を開かないというのは何度か示されたことだが、今もまた彼は一切声を立てず、顔を伏せて微動だにしようとしない。彼が口を開かないのはむろん情報を相手に渡さないためだが、そもそもそんな強い目的意識がなくともこれでは口を開く気力もでるまい、
――こっぴどくやられたな、と家光は傷を眺めながら思った。そしてふと、彼は数々のみみず腫れや青アザの中に切り傷が縫われた小さな痕を見つけた。腰の下の方――尻にかけられた布に半ば隠れた辺りであった。家光は首をひねった。いくら口を割らせるための責めとはいえ相手の命を失わせてしまっては元も子もないため、とうぜん体を切り付けたりするなどという危険な真似はしない。よってこのような縫合痕があるのはおかしい。しかもこれは古傷ではなく明らかに真新しい縫い痕であった。
家光がそれを注視したとき、四季右衛門が、
「では始めたいと思いますが、その前にひとつ、上様を驚かせるために面白い趣向を施しまする」
と言って頭をぐいと持ち上げたアスファイヤの男の口に何と太く短い綱を噛ませ、その上から布で縛るといういわゆる猿轡を噛ませ始めてしまった。
家光はいよいよ目を丸くした。これから尋問をしようという人間に対して口を塞ぐようなことをしてこれでは本末転倒――意味がわからない。しかし、猿轡を噛ませ終えた四季右衛門は何のこともないように、
「では問いかけます。おい、お前の名は何と言う?」
と尋問を始めてしまった。
呆気にとられていた家光はそんな彼にすぐに胡乱げな目を向けた。はっきり言って何がしたいのかわからず白けた気分となった。のみならず、四季右衛門に対して、こやつ頭がおかしいのじゃないか? とすら思った。
が――、
「……俺の名前はペーチャー・クチャット」
という地の底から響いてくるような細い声が不気味に蔵の中に広がると、
「な、なにっ?」
と家光は飛び上がって周囲を見回した。伊豆守もまた目を剥いて警戒するように辺りを見回している。
「今の声は誰のものだ。誰が言った?」
周囲を見回す家光がこの言葉を発すると共に三人の忍者たちに目を止めた。
「うぬらだろう。余に見せたいと言って、やることはこの腹話術か。……たわけっ。何故このような真似をする? これは幕府の大事にかかわる尋問だ。そのような場でかようなからかいをするとは何たる奴らっ……!」
家光が彼らにこういった怒りを向けるのは理にかなっていることである。何しろアスファイヤの男は猿轡を噛まされて喋れるはずがないからだ。しかし三人は他ならぬ将軍家光にこのように言い責められても狼狽する様子もなく恬然としたままであった。むしろ重厚な微笑をすら浮かべる四季右衛門が、
「これは腹話術ではございません。よって我らこうしております故、どうか御自らこの男に何か問いかけてみて下さいませ」
と言って、後ろの二人と共に五本の指で唇を摘み閉じてしまった。
家光は気勢を下げて怪訝な顔をした。これでは腹話術ですらまともな声を出すことはできない。そしてそんな彼らに家光はサッとうそ寒い感覚を覚えた。三人がここまでするということは彼らはこれから起こることに自信を持ち、自分からの叱責を恐れていないということだ。では、先ほどの声は?
家光は三人の忍者がちゃんと唇を封じているか上目で見つつ、おずおずとアスファイヤの男に口を寄せて聞いた。
「うぬの生国はどこか?」
「……アスファイヤ大陸、ソーラコア王国」
「おおっ」
家光はのけぞった。またもや蔵の中に地底より響いてくるような陰々とした声が広がったのである。のけぞった家光はバッと三人の忍者の顔を見た。しかし、彼らは今もそうしているように先ほどまでも確かに唇を封じていたのを家光自身が見張っていた。なので彼は残る伊豆守の顔へとふり向いた。が、彼は、――いや、と心中で首を振った。幼いころから小姓として伊豆守を側に置いている家光はこの人物の性格をよく知っている。知恵伊豆と評され、政務に長じている彼は真面目も真面目、とても家光に対してイタズラを試みるような男ではない。
家光は何が何やらわからず悩乱して四季右衛門へとまた顔をふり戻した。
「四季右衛門。これはなんじゃ? どうしたことだ?」
この言葉に唇から指を離した四季右衛門が渋くニコ、と笑った。そして、
「この男の体に縫い痕があることを見つけましたでしょうか? 実はその縫い痕はこの男の腹にもあります。それは拙者の施した術の痕にござる。そしてその結果、この男にはもう一つの口が産まれもうした。本来の口はこの通り塞がれておりますが、その口が今、代わりに口を利いたということです」
「そ、その口とはどこにある?」
「その口は……ここにござる!」
四季右衛門はアスファイヤの男の尻にかけられた布を取り払った。言うまでもなく、男の尻が露わになる。家光ならばそこに何があるかよくよく知っている!
「と、ということはつまり……」
「物を言うには口と同様穴が必要でござる。そしてそこには穴がある。これぞ体内をいじり、そこにある穴を物言う口へと変じさせる術。伊賀忍法――陰口快弁と申します」
家光は唖然たる面持ちになった。そのまま少し間を置いて、
「し、しかし四季右衛門……それによって吐かれる言葉、それは真のことか? 嘘や間違いがあるのではないか?」
「この忍法をかけられた者は嘘をつくことはできませぬ。また問いかけを無視することもできませぬ。何せ、そこの穴には舌も唇もありませぬので。……とは言え、この忍法をかける者を二、三人ご用意して下さるならまだしも、この場にてそのことを証明する手立てはございませぬ。しかし、男の目をよくご覧下さいませ。この己の意思を超えて心の内を漏らし始めてしまった驚きよう。これこそが何よりの証左と存じまする」
家光はアスファイヤの男の目を見た。たしかに彼は目を見開いて瞳を揺らめかせている。家光は信じた。男の不安と絶望、恐怖の目を見て信じたわけではなく、先ほど四季右衛門が言った舌も唇もないからなどという妙な理屈に納得したからでもなく、この現象が異常であるだけにかえってそういうものかなという説得力を感じて信じた。さしもの将軍家光といえども奇怪至極な伊賀忍法にただただ圧倒されてしまったと言える。そして信じた彼は、「おお」と声を漏らした。ということはつまり、この尋問によって正確なる情報を得ることができるということだ。
四季右衛門はそれに満足げに頷いた。
「伊賀忍法、ご感心いただけましたでしょうか? ではこれより、本格的な尋問を始めます」
四季右衛門は目を細めてアスファイヤの男――ペーチャー・クチャットを見下ろした。
それから四季右衛門と伊豆守が次々とペーチャーに対し質問を投げかけていった。あの大地はどうして現れたか? 聖女とは何者か? ソーラコアとはどのような国か? どのような歴史をたどってきたのか? お前たちのあの妖術は何か? お前たちは全員あのようなことができるのか? そもお前たちは人間か?
ペーチャーはこれらの質問全てに素直に答えた。いや、自分の意思によらず声を漏らした。彼が漏らした言葉には魔法だの、魔族だの、この場にいる者たちには理解し難い単語が混じっていたが、とりあえず尋問は進められた。そして今パッと思いつく質問はあらかた聞き終え、問答が途切れると、少しの間のあと猛蔵が言った。
「何やら……世界を越えてきただの、魔法とやらを使うだの、この世のものとは思えぬ連中ですな」
今まさに、口を塞がれた人間が違う穴から喋り出すという幻怪な場にいる者が言ってはちょっとおかしいような気もするが、たしかにさしもの伊賀忍法も異なる世界から大陸ごと突如現れるなどという大スペクタクルな技にはスケールで及ぶまい。柔膳もまた顎に手を添えて「うむ」と頷いて、
「思えばこの男の髪……南蛮人には金の髪や赤い髪をした者もいると聞くが、桜みたいな色を持つという者はさすがに聞かん。これは本当に黄泉か地獄か、この世ではないところから来た者たちかもしれんぞ」
と、こう言った。柔膳もさすがに真面目な顔をしている。
蔵の中は沈黙した。なにしろそんなどこの者とも知れない者たちといま戦をしているのだから、蔵の中だからではなく、彼らの背にじーんとした冷感が走らざるを得ない。だがややあって家光が、
「ええい。たとえ相手が何者であろうとも戦を始めたからには勝つのみよ」
と、高らかに声を上げて、「四季右衛門!」と彼を見た。
「この術を施されたものは真のことしか言わぬとは間違いないのだな?」
「陰口快弁に嘘はありませぬ」
と、四季右衛門は自信満々――重々しく頷いた。
「ではこやつらが他の世界から来たというのは真なのであろう。いくら荒唐無稽であろうともじゃ。だがそれはどうでもよい。それよりも、こやつらが陣の前に張っているという結界。それをどう破ればよいのか知らねば。あれさえ破れればひとまずこちらにも反撃の目が出てくる」
「その通りでございまする。で、どうだ? その結界とやら、そもそもいったいどのようなものか仔細を漏らせ」
四季右衛門がペーチャーに言うと、彼は陰々とした声を出し始めた。
「……あの結界……名をオッフェンバック断結界という。いかなる武器、魔法、能力が通ぜず、どれほど強力な攻撃であろうとも破ることも、消すことも、機能を失わせることもできない。穴を開くことや攻撃をすり抜けさせることができるのは魔族はもちろんただの人間でも不可能で、ソーラコア兵のみ……。唯一の例外があるならばオッフェンバック断結界を張っている当人、聖女様だと思われる」
話を聞いて蔵の中の男たちは一斉にうめいた。
「いかなる攻撃も通ぜぬ結界か……敵方の攻撃のみこちらにすり抜けるとはこれは厄介だな」
「しかし、何事か破る方法はあるはずじゃ。完全な物事にも必ずや綻びはある。どうだ? 言ってみよ」
ひげをつまぐりながら言った猛蔵に家光はこう返し、ペーチャーに言った。
「……わからん」
「わからん? おい、四季右衛門」
「知らぬのでしょう。おい、お主の推量でよい。漏らせ」
「……おそらく、結界を張っている聖女様がお命を失うか、魔力の支えたる処女性を失って力が弱まれば、さしもの聖女様でもオッフェンバック断結界ほどの超越的魔法を維持できず消滅するだろう」
「おう、やはり余の言うように方法があるではないか。で、その聖女とやらはどこにおるか?」
「……ソーラコア王国、王都」
「王都とは?」
「ソーラコア王国が首都」
「む……」家光は鼻白んだ。「そうか、当然と言えば当然だが、結界の中か。結界の中に誰も入れぬ以上、結局は破る方法がないも同じではないか」
家光は悔しげに歯噛みをした。そんな彼に仲間の二人と目を合わせ頷き合った四季右衛門が勇躍して言った。
「いや、上様、結界の向こうに入り込むことは可能かもしれませぬ」
「なに?」
家光は驚きの声を上げた。
「何か策があると申すのか?」
「はっ。その策を用い、砂浜の前に陣を張る兵たちにちと手を貸してもらうことで少数……具体的に申せば我ら忍者三人だけならば。そして入り込んだ我々が聖女とやらを討てば、この男の推察に従って結界は破れるかもしれませぬ」
「おお、うぬらやれると申すか。そうか、うぬらなかなか頼りになるではないか」
家光がそう言って喜んでいると、「しばし」との声がかかった。伊豆守である。彼は忍者たち三人を深沈と見据えた。
「お前たちの言う結界越えの策――この信綱には何となく察しがつくぞ」
「つきますか。さすがは伊豆さま」
四季右衛門は微笑した。伊豆守は続けて、
「しかしその策、今となってはやや難しいと思う。何せ、砂浜に陣を張る敵方の兵たちは前の経験からもはや結界から出てこようとはせぬと報告があるからじゃ。それに、たとえ入り込めたとしてお前たち三人で本当に聖女をどうにかできるか? 聖女がおるという王都が我らでいう江戸ならばおそらくおびただしい兵、つまりは妖術師たちの巣であるぞ。しかも、聖女は間違いなくその巣の中で厳重に守られておるはず。命の危うい大難の仕事じゃ。それでもできると申せるか?」
四季右衛門は伊豆守の言葉を途中目をつぶって身に沁み込ませるように聞いていた。そして聞き終えると、目を開いて重厚に頷いた。
「この目でその王都の様子を見ておらぬ以上、今なにを言おうと放言と受け取られてもやむなしでございますが、しかし結界に入ることにも聖女を討つことにも自信はあります。相手がどのような妖術を使おうと我らには忍術がある。拙者の忍法は陰口快弁だけではなく、またこの二人もそれぞれ伊賀忍法秘奥の術を体得しております。一つ、それを振るってみとうございます。――お前たちはどう思う? やれると思うか?」
四季右衛門が猛蔵と柔膳の二人を向くと、同朋の二人は頷いた。
「妖術師の巣とは言っても何もそれら全てを駆除して回るというわけではない。正面切って戦わずとも隠密のうちに聖女だけ討って、ひそかに戻ってくればいい。そういうことは我ら忍者、大得意であるからな」
「それに、どうせやるなら難儀な方が忍者としての腕も見せられ、何より面白い。是非やってみたい」
猛蔵と柔膳の二人が口々に言うと、それを聞いた家光が、「よく言った!」と、手を叩いた。
「よし、ではこの件、うぬらに任す。褒美はうぬらの望みのままに委ねるゆえ、幕府のために命を賭して力を振るえ」
自身も武芸を好み剣術を体得している家光は陰口快弁という忍法を知り驚いたことで、三人の技を振るいたいという言葉が気に入ったらしい。快然と笑いだしさえした。しかし、彼はすぐにその笑いを止めて訝しい表情となった。自身の高い笑いに合奏するように、低い笑い声が重なっているのが耳に入ったからである。家光が笑うことを止めても続くその音のこもった笑い声は、ペーチャーの塞がっている口から出ていた。
「なにがおかしい?」
憮然として家光が聞いた。
「……お前たちが聖女様を討つなどと言っているのが」
ペーチャーは当然に答えた。むろん、物を言うのは塞がっている口ではない。
「なぜじゃ? 討つことの何がおかしい? うぬは聖女とやらの身を案じぬのか?」
「……お前たちは決して聖女様を討つことなどできない。聖女様を討つ方法があるとは到底思われない」
「なぜそう思う?」
と四季右衛門が聞いた。
「……聖女様には御身を守る術があるからだ。オッフェンバック断結界などというものを張れる聖女様が自分を守る方法を持っていないと思ったか。いや、守るという意思すらなく、聖女様の御身は常に守られているのだ。その身にまとう結界によって」
「また結界か。それはどのようなものだ?」
「……それは聖女様がオッフェンバック断結界を初めて張った際に意思によらず自然と自身に張られたものだという。以後、断結界の有無にかかわらずたとえ眠っているときにでも聖女様の身を守っていると聞く。そしてそれは聖女様自身に張られているだけにオッフェンバック断結界よりもさらに物凄く、あらゆる武器、魔法、暗示、呪い、能力だけでなく人の声からすらも聖女様を守るという。まさにあらゆる害、災難を遮断するものだ。この結界にはソーラコア兵であろうともどうすることもできず、声を届かせることもできない。この結界をすり抜けることのできるただ一つの例外は聖女様が余程心を許した相手のみ。……お前たちは先ほど、聖女様を隠密のうちに討つと言っていたがそんなことは不可能だ。闇討ちはもちろん、この結界に加えて聖女様は真実の姿を見抜く目もお持ちのため親しき者に化けて近づくこともできない」
「ならば毒を盛ればよかろう」
「……毒や薬も無理だ。聖女様に近づいたそれらはその成分を消滅してしまうという。それに聖女様はその目によって含まれた毒や薬を見抜くし、もし飲まれたとしてもすぐさま治すことができなさるに違いない。どうだ、どんな方法でも聖女様を討つなど不可能だろう。それがわかったか」
声を途切れさせたペーチャーはまたも塞がれた口で笑い始めた。その音のこもった笑い声に包まれてあとの面々は声を失った。彼の言うことを聞くに確かに聖女様を討つのは不可能としか思われない。眠っているときにもそれが身を守っているというのなら聖女の油断は関係ない。起きてしまえば闇にまぎれようと風呂の際に襲いかかろうとなおさら討つのは不可能であろう。家光はゆっくりとその方へ目を向けて、
「四季右衛門。どうする? なんぞ策はあるか?」
とうめくように聞いた。
四季右衛門は答えず、しばし目を閉じ顔を伏せて何事かを考え込んでいた。数分ののち、それに焦れた家光が再び「四季右衛門。どうじゃ? なんぞ申せ」と言うと、彼は目を開きスーッと顔を上げた。
「或いは……方法はあるかもしれませぬ」
「なにっ! そ、それはなんじゃ?」
「先ほどこの男、聖女が命を失うほかに処女性を失えば砂浜の結界が消えると申しました。要するに、結界を消すには聖女が交合するという方法もあるというわけです」
「ううむ。とはつまり、うぬらが聖女を犯すということか?」
「はい。或いは向こうの国の者が聖女を抱くよう誘導するという手もありますが、それが煩わしさのない最も簡単な形となりましょう。しかし、話を聞くに身にまとっているという結界のために夜這いや手篭めにするということはできませぬ。となれば正面切って相対し我らを恋うように仕向ける他ないわけですが、それはまず無理でしょう。我らはそれほどいい男ではありませぬからな」
四季右衛門はニコ、と笑った。続けて、
「何より、聖女の立場を考慮すればどれほどいい男が相手であっても交合するということは通常考えられぬ。敵が相手ならば尚更だ。したがってその常識を覆すにはただ凄まじい美貌というだけではない、超越的魅力の持ち主でなければならない。よって、拙者方針を変えまする。先ほど我ら三人だけで行くと申しましたが、一人増やします」
「一人……そやつも忍者か? 何ぞ凄まじい忍法を会得している忍者というわけか?」
「いや、年若く、未だ修行中の身にて忍者としてはまだまだ未熟なやつでござる。されど、聖女と年のころは近いし、何より女の心をとらえるのにこれに及ぶ忍法はござらぬ、というほどの魅力を発しておる者でございます。その者を呼ぶためと、結界の先に入る工夫に必要な者たちを呼ぶために、明朝、この猛蔵か柔膳にでも再び伊賀へと戻ってもらいます。拙者はここで尋問を続けます」
家光は「ふむ……」と呟いた。そして、呟いた彼はふと、それほど魅力があると評されるとは果たしてどのような者なのか興味を引かれた。
「その者の名は何という?」
四季右衛門は答えた。
「新瑞清十朗」