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第2章 第9話

 日没を迎え辺りが闇に飲み込まれた頃、レージとアリシアはようやく宿屋街へ辿り着くことが出来た。


 下働きの人間だろうか。窺うような目付きでノソノソと出てきた少年が、宿の外に明かりを吊している。

 橙色の灯に照らされた宿の入り口には看板がぶら下がっており、何やら金額めいた数字が刻まれていた。


 宿泊代と、食事代と書かれている。泊まらずに、食事だけ摂って帰るような客もいるのだろうか。


「しかし、思った以上に繁盛しているみたいだな。……どこもそうだとは限らないみたいだが」


 下働きの人間を雇う金もないのか、ヨボヨボの宿主が腰を曲げて明かりを灯す様を見やってから――レージは周囲を見渡し、そんなことを言う。


 簡素な武器を背負っただけの軽装の人々が、仲間同士で談笑しながら、宿屋街を歩いている。


 レージたちのような、旅人ではない。聞こえてくる会話の端々から察するに、所謂冒険者と呼ばれる者たちだろう。

 魔物の素材が高く売れただとか、連れて行った新人が足を引っ張って酷い目に遭ったとか、他愛もない話に花を咲かせ、彼らは至極自然に宿の中へ入っていく。


「どの宿に致しましょうか」


 風になびく銀のツインテールを手で押さえながら、アリシアは上目遣いにレージを見やった。

 宿を選ぶ基準は、色々ある。清潔であるかどうか。暖房の有無。金額。サービスの良し悪し。食事の好み――挙げればキリがない。


 一先ず、金額に関してはこの際無視しても良いだろう。安いに越したことはないが、それと引き換えに劣悪な宿泊環境を強いられるようであれば、ある程度の出費には目を瞑ろうと思う。


「こちらの事情に介入してこないところが良い。宿主が噂好きだったり、口の軽そうな下働きのいる宿は却下だな」


 カバのように大口を開けて、ガハガハと笑う女宿主と目が合った。レージを見やり、アリシアに視線を移し――品定めをするような目付きでアリシアの服装を舐めるように眺めている。

 その隣の宿では、育ちの悪そうな少年と少女が、アリシアの格好を見てヒソヒソ何やら話していた。

 あのような宿は嫌だ、ということだ。


 宿主と仲良くなった方が色々と得をする――とそういう人間もいるだろうが。食事の品数が一個増える程度のさちを受ける代償に、余計な詮索をされるのは嫌だ。

 出身地だとか両親の話だとか、普通なら他愛もない日常会話で済まされる質問も、レージにとっては触れて欲しくない事柄になる。

 アリシアの正体が露見するのも、出来る限り避けたいことだ。


「多少無愛想でも良いから、物静かな爺さんが一人でやってるところが良いな」


 ふと思うことがあり、さっきのヨボヨボ爺さんの宿を見返す。あれから大分経ったはずだが、件のお爺さんはまだ宿の前にいた。プルプルと杖を震わせながら、壁に体躯を預けて溜息を吐いている。

 流石にあそこまで極端なのは、遠慮しておきたい。




 ◇◇◇




 ようやく適当な宿を見つけたレージとアリシアは、扉を潜り――ようやくホッと安堵したように吐息を零した。


 『藍佃亭あいでんてい』なる名前のこの宿は、レージの挙げた条件にピタリと当てはまる宿だった。足腰のしっかりした物静かな老人が、一人で切り盛りしているようだ。


 気になることといえば、名前の語呂が悪いことか。いや、決してセンスが悪いとは言っていない。だが前世の記憶を持つレージとしては、『佃』と『亭』の間に『ティ』という文字を入れたくて仕方がないだけだ。


「部屋を貸してほしい」

「はいはい、毎度。部屋は別々にした方がよろしいですかな?」

「いや、一緒で良い」

「今空いている部屋ですと、一人用の部屋しかございませんが……」


 灰色の眉を八の字に下げ、申し訳なさそうに答える宿主。

 その対応に、レージはなるほどなと心の中で納得する。

 きっと宿主は、レージとアリシアの関係を旅仲間か冒険者仲間だと思っているのだろう。

 深い仲の男女でなければ、普通は部屋を別にとるだろうから。


「……ああ。この女は、俺の身の回りの世話をしている者だ。常時一緒に過ごす故、その辺りは気にしなくて良い」

「寝具が一つしかございませんが、よろしいでしょうか?」

「構わない」


 いきなり、背後でガタンと何かが落ちた様な音がした。

 びっくりして、反射的に振り向くレージ。何事かと視線を巡らせると、アリシアが膝から崩れ落ちていた。


「どうした、何かあったのか?」

「……いえ、な、何故でしょう。頭の中が急に熱くなり、バランスを崩してしまったみたいです。ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」


 居住まいを正し、恭しく腰を折るアリシア。

 そういえば、ここに来るまでずっと気を張りっぱなしだったなと、レージはここまでの道中を思い返す。

 頭の中が熱くなった、か。休息を与えることなく、酷使してしまったからだろうか。もしかすると、オーバーヒートのようなものを起こしてしまったのかもしれない。


「不具合――体調が悪いと感じたら、すぐに言うんだぞ」

「はい、レージ様。……本当に、わたしったらどうしちゃったんでしょう」


 ツインテールになった毛先を摘まみ、パタパタと顔を煽ぐアリシア。ダンジョン専用のホムンクルスだから、外での生活に慣れていないのだろうか。

 気を付けて見ておかなければと、レージは心に留めておいた。


「期間はどのくらいをご予定で?」

「とりあえず一週間――これで足りるだろうか」


 布袋の中に入れていた魔石を、三つほど取り出して宿主に手渡す。

 魔石で支払われるというのは想定外のことだったのか、宿主は目をパチクリとさせ、渡された魔石をじっと観察し始めた。


「……このサイズのものでしたら、充分でしょう」

「すまないな。つい先ほどこの町に着いたばかり故、この町の貨幣は所持していないのだ」


 しげしげと魔石を見つめていた宿主だったが。レージの言葉に、納得したような顔で頷いた。


「ははあ、旅のお方でしたか。……そうなりますと、この町の身分証もお持ちではないのですな」

「ああ、持っていない」


 やはり、身分証は必要なのか。確かに、どこの誰かも分からない人間を、そう簡単に宿泊させて貰えるはずがないな。


「そうですか。でしたら、お客様の身分証を提示願うことは可能でしょうかな。ギルドで発行された身分証でしたら、他国のものでも構いませんので」

「えっ」


 予想外の展開に、魔王としての貫禄が音を立てて崩れ落ちた。

 素の自分が出かけ、レージはコホンと咳払いをしてごまかす。


 身分証――そんなもの、持っているはずがない。

 ダンジョンで暮らす魔王に、パスポートは必要ないのだ。


 どうしたものかと思考を巡らすが、存在しない物を提示するのはどう考えても不可能なことだ。


 ふと、入り口の扉を視界に入れる。

 身を翻しすぐに逃走すれば、老人一人――撒くことは出来るかもしれない。金は払ってしまったが、宿泊に身分証が必要だということが分かっただけ、良しとするか――。


「……ひどい田舎から出てきたものでな。身分を証明出来るようなものは、持っていないのだ」


 もし逃げるなら――アリシアを連れて、この夜闇の中全速力で駆けなければならない。不調を訴えるアリシアを、これ以上酷使するわけにはいかない。


 胸元から、一番小さな魔力結晶を取り出し、カウンターに転がす。薄汚い魔石とは異なり、魔力結晶は膨大な魔力の循環により外面が綺麗に磨かれている。

 これほど見事な魔力結晶は、ダンジョンの奥底まで潜らなければ手に入れることは出来ないだろう。


 皺の寄った目尻を瞬かせ、瞠目する老人。彼は眉を顰め、紫紺の輝きを映す結晶と、レージとを交互に見やっていた。


「一週間だけ待って欲しい。それまでに必ず、この町の身分証を用意する。だから今は――これで勘弁してくれないか」

「……お若いのに、色々あったようですな」


 穏やかに緩んでいた老人の顔が、引き締まり真面目なものとなる。カウンターに置かれた紫の塊を突き返し、宿主の老人は細めた双眸に確かな光を湛えレージを見据えた。


「これは、受け取れません。既に一週間分の料金は戴きました。続けて宿泊をご希望でしたら、その時に追加でお支払ください」


 何層にも重なる皺に隠された、宿主の素顔が露呈する。温厚な仮面に隠された、彼の本性。結晶を突き返した反動か袖が捲れ、宿主の腕が晒される。

 爪痕のような大きな傷が、皺だらけの腕に刻まれていた。

 細身だが、年齢の割にしっかりとした足腰。覗いた腕からは確かな年季を感じさせたが、ただ単に老いぼれただけの枯れ枝とはほど遠い。その細い腕には、昔年の頃より積み重ねた鍛錬の跡が見受けられた。


 正確な過去を割り出すだけの観察眼や経験は、レージにはない。

 彼が昔冒険者だったのか傭兵だったのか、詳しいことは闇の中だ。


 だがこれだけは確実に言える。宿主は、レージとアリシアをただの情けで泊めてやろうと、そう思ったわけではないはずだ。


「お部屋は、二階の一番奥です。身分証が用意出来次第、速やかに提示をお願いします」


 鍵を手渡し、些か刺々しい風を纏いつつも、元の穏やかな面差しで、部屋へ行くよう促す宿主。

 その鋭い眼光に、思わず気圧けおされてしまう。鍵を受け取ったレージは、アリシアを連れ、指定された部屋へ向かった。

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