第2章 第8話
日の光すら届かないダンジョンの奥底で、自堕落な生活を毎日のように続けていた割には、筋力の衰えを感じることもなく足腰も弱っていなかった。
疲労を感じたら、精力付与の魔導でスタミナを回復。空腹を感じたら、先の提案通りダンジョン周辺の樹林に生息する魔物を捕え、火の魔導で焼いて食糧にする。
ダンジョンを作成中に、地中から湧き出てきた虫型の魔物やアンデッド系の魔物は嫌と言うほど蹴散らしてきたが。動物型――円らな瞳で周囲を視認しながら、地に落ちた木の実を追いかけ、小さなお口に一生懸命頬張るような、毛深くてコロコロした魔物と対峙するのは、レージにとって初めての経験だった。
キュゥキュゥと可愛らしく鳴く動物を叩き潰すのは、やはりまだ良心が痛む行為だったが。レージが一撃で仕留めないと、アリシアが鋭利な双剣で滅多刺しにしようとしてくるので、余計に気が滅入ってしまうのだ。
返り血を浴びたメイドが表情一つ変えず愛玩動物を切り刻む光景を眺めるよりかは、火の魔導でカラッと焼いてしまった方がまだマシだ。
あれは食糧だと割り切れば、さほど思い悩むことなく事を済ませることが出来た。強気なことを言った割には、臆病かつ平和主義な面が如実に出てしまった。
おかげで魔物の殺生に己を慣らすことが出来たので、良い経験だと思っておくことにする。
「アリシアには、魔導を使った戦い方を教えた方が良さそうだな……」
今後魔物と戦う未来が訪れるかどうか(ない方が良いなと、レージは思っていた)、未来予測系の禁術を持たぬレージには知る由もないが。
クールな面差しを血塗れにして、一心不乱に剣を突き立てるメイドに萌えるような――バイオレンスな趣味を持ち合わせていないレージにとって、道中幾度となく目撃した殺戮現場は、下手をすればトラウマになりそうな光景であった。
格好がメイドなのはレージの趣味であり、彼女の存在意義は護衛用の戦闘ホムンクルスなので、戦うこと自体を禁止しようとは思わない。
それでもせっかく魔導を使用できるのだから、鮮血の惨劇を披露する頻度は、出来るだけ減らして欲しいなというのが、レージのささやかな願いだった。
「まあ、一先ず町には着いたし、とりあえずは一安心と思って良いのかな」
正確な場所を確認せずに出発してしまった弊害か、最短距離で目的地まで辿り着くことは出来なかったが。
無事に到着したので、良しとしておこう。
申し訳程度の門と見張り台が設置されていたが、高台の上には誰もいなかった。
来るものは拒まずと言うことなのか。
探索に行かせた人狼曰く、差別することを良しとしない町のようだが――。どうなのだろう。
異邦人であるレージにとっては有難い話だが、ここまで警備がザルだと、レージの求める事件も何もない平穏な生活を手にすることが出来るかどうか不安だ。
よからぬ輩の巣窟になっていたりしないだろうなと、レージは門を潜ってからも、周囲への警戒は怠らなかった。
「武装した方もいますね」
耳元に顔を寄せ、こそりと感想を告げるアリシア。
確かに、すれ違う人々の多くが、剣や弓矢のようなものを背負っていた。
その割に、軽装の者が多い。時偶ガチガチの鎧に身を包み、ガチャガチャと金属音を奏でながら歩を進める戦士も見かけるが。
武器を背負う者のほとんどが、軽装――酷いものだと、武器を一切持たず、談笑しながら歩いている者もいた。
「そういえば、あの褐色の女も露出過多な普段着姿だったな」
前世の常識に毒されていたレージは、そのことに違和感を抱くことは無かったが。今思えば、どうしてあのような格好でダンジョンに潜ろうと思ったのか謎だ。
身軽な方が、いざというとき逃げやすいとかそういう考え方なのか。
そんなことを思いつつ周囲に気を配っていると、肌色の影がすっと前を横切り、レージは反射的に足を止めた。
亜麻色の髪が風になびき、ふわりと甘い香りが漂う。
いきなり立ち止まったレージに不信感を抱いたのか。無感動な面差しに、僅かに怪訝そうな色を浮かべるアリシア。
そんな彼女の表情の変化にも気付かず、レージは偶然を装いくるりと首をねじり、目の前を横切って行った何者かの姿を視界に入れ「ほぅ」と小さく感嘆した。
「すごい格好だな。薄布一枚――ほとんど裸と変わらないじゃないか」
艶めかしく腰を振りながら離れていく背中を見つめながら、レージは口元を歪めさせる。
姿勢良く伸ばされた背中を覆う布地は皆無。急所を護るためのアーマーだろうか。胸当てを支えるための紐と、腰に引っかけた薄布を固定するためのベルトのみで彩られた後ろ姿に、レージは見惚れてしまう。
「……レージ様」
「よほど安全な町なのだろう。もしここが危険な魔物の蔓延る地域なら、あのように肌を露出させるファッションは流行るはずがなかろう」
きょとんとした顔でレージを見やるアリシア。彼女の顔を見返し、レージは安堵したような表情で顎に手をやった。
「ここに来るため通った樹林でも、魔物の数自体は多かったが――どれもこれも、上級の火の魔導一発で消し炭に出来る程度の魔物ばかりだった。武装した輩を多く見かけたときは、少し不安も感じたが――。生命の危機に晒される心配は、ほとんどないと思って良いのだろう」
入り口付近では、武装した人間を結構見かけたが。少し町の奥まで繰り出せば、ファンタジー的なゲームなどに出てくるような、市場めいたものが広がっていた。
生活感溢れるおばちゃんや、イヌミミを生やした青年など――老若男女、多様な種族入り混じる人々が、楽しげに行き来している。
先ほど目の前を通り過ぎた、露出過多な女とほぼ同じような格好をした女人が、甘えるような声で同行者の男性に何かをねだっている。四肢を絡みつけられ、だらしなく顔を緩めた男性は嬉しそうに彼女の肩を抱き寄せ、高価そうな装飾品を手に取り店主に手渡していた。
男性の目が離れた一瞬の隙を見て、ニヤリと口角を上げる薄着の女人。商売女かなというのが、レージの抱いた感想だった。
「何か、買っていかれますか?」
露店の立ち並ぶ市場を遠目に眺めていたレージの考えを察したのか、アリシアはそんなことを尋ねてきた。
服の中に隠匿した布袋を撫でつけ、レージは思案する。
ダンジョンから持ち出した魔力結晶や魔石が、この町ではどの程度の価値を持っているのか。今後この町で暮らすのであれば、その辺りのことは知っておいた方が都合が良いだろう。
この町で使うことが出来るであろう――キチンとした貨幣は、褐色女の荷物からくすねた茶色と鈍色の小銭のようなものだけだ。
そもそも貨幣の代わりに、魔石や魔力結晶を使うことが出来るのかすら分からない。どこかで換金しなければならないのかもしれない。
「一攫千金を目指した冒険者が、最終的に辿り着く部屋に仕舞っておくものなのだから、価値のあるものには違いないと思うんだけどな……」
苦労してダンジョンを踏破し、主である魔王を打倒することで手に入る――謂わば、迷宮に隠された財宝だ。
鑑定の結果、ただの綺麗な石でした――と、そんなことにはならないだろう。
何の気なしに、空を仰ぐ。前世の世界と同様、日中は太陽が昇り、夕暮れになれば地平線へ沈んでいく。
既に宵闇が天と地の境を侵食し始め、橙色に輝く世界に濃紺色が顔を見せていた。
もう幾何か時が過ぎれば、辺りを夜闇が飲み込むことだろう。そうなる前に、出来ることなら、宿を探しておきたい。
「その前に、泊まる場所を探そう。林の中ならともかく、町中で野宿するのは色々とマズい」
久々に、屋根や壁に囲まれた場所で過ごしたい――と、レージの中の引きこもり本能が騒ぎ出す。
掻き上げたプラチナブロンドの長髪が、夕日を受けて黄金色に煌めく。金と銀の頭を並べ、二人は露店市場を後にした。