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第1章 第7話

 漆黒に染められた回廊に、光が差す。入り口が近づいてきたのだろう。グラデーションを施したように、徐々に視界が薄明るくなっていく。

 外出することを考慮してこのような作りにしたわけではないが、これなら暗闇に慣れた目を痛めることなく外に出ることが出来る。無自覚にこのような迷宮を作り上げるとは素晴らしいなと、レージは過去の自分に賞賛を贈る。

 まあレージに至っては極化暗視ドゥーム・アイの禁術があるため、さほど意味がある構造ではないのだが。


 入り口付近は人の出入りが激しいからか、汚れや傷が目立つ。

 靴底や武具に摩耗され削れた床には、泥や乾いた血糊のようなものがこびり付いていた。

 壁や天井に刻まれていた焦げ跡が、丁度この周辺で消失する。一攫千金を求めし冒険者共は、この辺りから火の魔導で明かりを灯すのだろう。


「こんな閉め切った場所で火なんて使って、よく酸欠にならないよな……」

魔闇苔マヤゴケが澱んだ魔力を栄養にして酸素を生み出していますから、その辺りは無問題なのではないでしょうか」


 何気ない呟きを残らず拾い上げ、律儀に回答してくれるアリシア。踵が高く歩き難そうなパンプスをコツコツと鳴らし、遅れることなくレージに追従してきていた。


 疲弊を滲ませることなく、アリシアはグレーの瞳を無感動に瞬かせる。

 改めて、アリシアの格好を確認する。黒のパンプスから伸びた細い脚は黒色ニーソックスに包まれ、スカート裾との間に肌色の領域を生み出していた。


 スカート丈は世の女子高生よろしく男を惑わす危うげな長さだが、全体的なデザインは決して扇情的なそれではない。華美な装飾のほとんどない、落ち着いた雰囲気のエプロンドレスだ。

 せっかくなので悪の女幹部みたいなセクシー路線を駆け抜けても良かったのだろうが、どちらかというとレージは派手で下品なコスチュームは好まないのだ。


 清楚可憐な女の子が好きと言うと、何だか負けたような気分になるのは気のせいだろうか。


「しかしこれから外で暮らすなら、新しい服を買ってあげないといけないかもしれないな」


 フリフリなアイドル衣装というわけではないにせよ、メイド服での生活には色々不便な点が出てくるだろう。


 そういえば着替えたところを見たことがない。

 アリシア含めダンジョン内のメイドは総員、常時エプロンドレスに黒のニーソックスだ。

 ホムンクルスだから、汗をかいたりしないのだろうか。体臭を感じたことはないが。

 食事を摂っているところは、前に目撃したことがある。排泄はどうしているのだろう。


 今後二人きりで生活をするのであれば知っておいた方が良い気もするし、問えば懇切丁寧に教示してくれそうだが。立場を利用してそのようなことを尋ねるのは些か良心が痛むので、やめておくことにしよう。


「レージ様」

「何だ」


 心底までをも見透かすような無感動な眼差しで、アリシアがこちらを見る。

 動揺が心を揺さぶったが、魔王の貫録でどうにかごまかした。


「行き先は、もう決められているのですか?」

「ああ、前に褐色の女冒険者を捕縛しただろう。その時に、彼女の荷物を少し検めさせて貰ったのだが――身分証のようなものを所持していてな。引っかかることがあったから、人狼に頼んで周辺を調べさせたんだ」


 ともあれ、自堕落で退廃的な生活に浸っていた、ダメ魔王時代のレージである。

 周辺調査を命じた理由の大半が、原始的な欲に起因したものであるのは言うまでもない。


「ダンジョンのすぐ近くに、町があることが分かった。人狼曰く、様々な種族の生物が入り混じって生活している町だそうだ」


 調査に出た人狼すら自然に溶け込めるほどに、雑多な人々が共生する地域。魔王――厳密には魔族に近い生物として転生したレージでも、難なく共存することが出来るだろう。

 アリシアも、容姿だけなら人族か魔族で通じるはずだ。


「身分証の発行に故郷の長の拇印がいるとか、証明書めいたものが必要だとか言われたら、別の街を探せば良いだけだ。世界は広いんだ。どこかしら、俺たちを受け入れてくれる場所はあるはずだ」


 気まぐれかお情けで残された、禁術の残滓。魔王として逞しく生きるために与えられた、頑丈な肉体。常人のものとは比べ物にならない――上級や神級の魔導をドカドカぶっ放しても枯渇しないほどの体内魔力を保有している。

 これだけの生存能力を保持しているのだ。野垂れ死にするようなことにはならないだろう。


 真っ白な輝きが、視界を飲み込む。

 じめっとした空気から解放されたレージを出迎えたのは、青葉や花卉かきから漂う自然の香りと日光の祝福だ。

 清々しい外気が、閉塞的な世界に身を沈めていたが故に生じた邪気を払拭する。


 いつの間にか、ダンジョンの入り口を越えていたようだ。

 緑の絨毯という表現がふさわしいであろう、青々と茂った草花たち。精力的に葉を広げる彼らを踏みつけることに些かの躊躇が生まれるが、立ち止まったレージを追い抜き、元気いっぱいに咲き乱れる花々を容赦なく踏みしめるアリシアを見ていると、気にし過ぎなのだろうかと思ってしまう。


「ご心配無く。入り口付近に、地雷等の罠などを張られている可能性は無さそうです」

「そ、そうか」


 どうやらアリシアは、見えない罠を警戒したが故に、レージが立ち止まったのだと勘違いしたらしい。

 冷え切ったコンクリートジャングルで生まれ育ち、「芝生に入ってはいけない」「草花は大切にしましょう」と幼き頃から刷り込まれてきたが故の逡巡だったのだが。アリシアのおかげで、自身が平和ボケしていることに気が付くことが出来た。


 治安までは考慮していなかったなと、レージは魔力結晶を詰めた袋を抱え直し気を引き締める。

 やる気はない。努力するのは大嫌い。誰かのために粉骨砕身尽くし、一生を捧げるなど真っ平御免。そんな誰しもが持つ負の面に本質のほとんどを蝕まれ、露骨に態度で示すのがレージ・クラウディアという人間だ。


 だがさしもの彼も、生きることを面倒だとは思わない。楽に生きたいだけ。安全に、平穏な人生を求める――ただそれだけだ。


「人外の生物――魔物を殺すのには、慣れておいた方が良さそうだな」


 いざとなったら、自分で狩った魔物の肉を食糧にするかもしれないのだ。

 空腹で死にそうな展開に陥った挙句、殺生に手を染めるのは現代人として云々などと躊躇っていては、この過酷な世界を生き抜くことなど出来ないだろう。


 前世の常識は通用しない。カネを稼いで食糧を購入するより、その辺を闊歩している蜥蜴や鼠をとって食べた方が楽に違いない。

 料理は面倒だが――解毒の魔導もあるので、生焼けでもどうにかなるだろう。


 転生直後は鼻をつまみ、何度も何度もえずきながら食していた魔物の肉だったが。郷に入れば郷に従えだ。

 今ではもう慣れたもので、火を通せば大抵の肉を平気で食す身体になってしまった。


 案外環境適応能力が高かった。それでゲテモノ食いへと変遷してしまったと考えると――良いことなのか悪いことなのか、判断に迷うところだが。


「目的の町までは、そのくらいの距離があるのでしょうか」

「正確な道のりは――詳しく説明されたはずだが、覚えていない。まあ、鍛えた冒険者とはいえ女が一人で歩いて来ることができる距離だ。果てしなく遠い――ということはないだろう」


 目的地までのはっきりとした距離すら知らず、歩き続ければいずれ着くだろうとの脳筋発言。

 いい加減な主に呆れることも無く、アリシアは無表情のまま「そうですか」と頷く。


 木漏れ日に照らされながら、メイドと()魔王は樹林を歩んで行った。

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