第1章 第6話
超無菌室で浄化されたベッド下は、黴や菌の温床になることなく、真っ新な暗黒世界を生み出している。
暗視の禁術のおかげで、視界はくっきりしている。
ホフク前進しながら奥の方まで這入りこむ。そういえば昔、寝具の下とか家具の隙間などに入り込み、冒険ごっこなんてして遊んだなと、レージは前世の思い出に浸った。
幼少時代に使っていたベッドの下には、お菓子の袋だとか読み終わった雑誌だとかが散乱しており、埃だらけになっていたのを思い出す。
子供部屋故毎日清掃するはずもなく。たまに母親が抜き打ちの清掃に訪れたとしても、ベッド下の奥ともなれば掃除機も届かず、見逃されてしまう。
ゴソゴソと何かが蠢く音で目が覚めた中一の夜のことは、今でも昨日のように思い出せる。中は覗かず殺虫剤を思いっきり噴出し、そのまま翌朝何事も無かったかのように、学校へ行ってしまったのだったか。
帰宅後恐る恐る覗き込み――どのような光景が視界に広がったか。あまり思い出すと背中や首筋が痒くて堪らなくなるので、前世の記憶を掘り起こすのはこの辺でやめておこう。
トラウマをフラッシュバックさせることのない、清潔感に満ちたベッド下。レージは、奥へ奥へと歩を進めていく。
別に、セブンスから逃れるために隠れようとか、そんなことを考えているわけではない。
ベッドの下に穴を掘り、新たな隠し部屋を作って逃げ込めば、案外バレないかも――と少しだけ考えたが。
邪神の手下には、そんな小手先の騙しは通用しないだろう。やるだけ無駄だ。
では何をしているのかと言えば。レージは、ダンジョン内に隠された――所謂一攫千金の、宝物を持ち出そうと企んでいたのだ。
勿論ごっそり全部持って出て行けば、行った先でセブンスに取り上げられるのは想像に難くないし、彼をこれ以上刺激して邪神の元へ強制送還されても困るので、そこまで大それたことをしようとは思っていない。
ただ一文無しで外に出て暮らしていけるとは思えないので、とりあえずの生活に必要な資金を、ほんの少し戴いて行こうと、そういう話だ。
それくらいなら、セブンスも許してくれるだろう。みすぼらしい洞穴を、これほどまでに立派なダンジョンへと成長させたのは、他でもないレージなのだから。
「流石に財宝の在り処をメイドたちに教えるわけにもいかないからな……」
今でこそレージの命令が絶対な彼女たちだが、何に起因して豹変するか、分からない。子細は未だわからない。
こんな辺鄙な場所に顔を突っ込んでゴソゴソやっていれば、バレるのも時間の問題かもしれないが。どうせこの財宝はもうレージのものでは無くなるのだから、これから誰かに盗まれようと、レージにはどうでも良い。セブンスの管理不足だ。
ベッドの敷板に設置した仕掛けを発動させ、ガコンと床に穴を開ける。
金銀財宝を全て出すには、他にも色々と手順を踏まなければならないのだが。今回はそこまで重要な仕掛けを発動させる必要はない。
「宝とはいうけど、この石たちにどのくらいの価値があるのかは全然分からないんだよな……」
先日捕えた褐色の冒険者は、銀や銅のような金属で作られた小銭らしきものを所持していた。きっとあれが、この世界――もしくは褐色女の生まれ故郷で使われている貨幣なのだろう。
「こんなの持っていても、換金方法が分からなきゃ無一文と大して変わらないかもしれないな……。まあ、ないよりは良いか」
外で生活するには色々知識や情報が必要だなと、レージは思案する。
案内役に褐色女を連れていくのも考えたが。もし彼女が良いところのお嬢様か何かで、捜索願のようなものが出ていたりしたら面倒なので、このままダンジョンで生活してもらうことにした。
これから先、セブンスが夜の相手をするのだと考えると少し惜しい気もしてしまうが。
一番小さな箱に入れていた魔石と魔力結晶を布袋に詰め、レージはそれを胸元に仕舞い込んだ。
空になった箱が気になるので、羊皮紙にこの世界の文字で「ハズレ」と書いて代わりに仕舞っておいた。
これくらいのお茶目は許して欲しい。
ベッド下から出ると、人狼たちが出迎えてくれた。
心なしか寂しそうな顔で、レージを見やる人狼。かける言葉が見つからないのか、互いに顔を見合わせたり、俯いたりしている。
「心配するな。俺はいなくなるけど、代わりにセブンス――この前の男がここを管理するらしいからさ。このまま寂れちまったりはしないよ」
魔王らしくない、友人に語りかけるような気楽さで、人狼たちの肩を叩く。振り返り、ベッドの上を見ると、カラフル頭のメイドたちがぐったりと寝転がっているのが見えた。
巻き込まれた褐色女も同じような有り様だ。
彼女たちと一緒にいられるのも、今日が最後――そう思うと、やはり少し寂しいと思ってしまう。
前世のレージでは一生を賭けても手にすることの出来なかったであろう退廃的な寝室を記憶に刻み込んでから、レージは寝室を後にした。
◇◇◇
「レージ様」
寝室を出て結構な距離を歩いたところで、レージは後方から呼び止められた。
身体ごと振り返り、声の主を視界に入れる。視線の交錯と同時に、彼女はペコリと腰を折った。
銀髪ツインテールがぴょこんと揺れる。レージを呼びとめたのは、彼が最初に生み出したホムンクルス――アリシアだった。
居住まいを正し、じっと見つめるアリシア。彼女の面差しから、感情を読み解くことは出来ない。
アリシアの容姿は、当時――転生する直前に嵌まっていたアニメのキャラを下地にしているのだが。そのキャラが、表情をほとんど変えぬクール系のキャラだったのだ。
潜在意識めいたものが影響して、無自覚に好みの属性を付加させてしまったのか。それとも単に技量が足りず、感情を表現する部分を生成し切れなかったのか。
今となっては、文字通り神のみぞ知る事象となってしまったが。
「もう、行ってしまわれるのですか?」
「明日で、約束の三日目になってしまう。ギリギリまで粘りたい気持ちもあるが、万が一期限を越えてしまったら、どうなるか分からないからな」
レージを追って来たのは、どうやらアリシアだけのようだった。
「わたしたちは、レージ様とお別れしないとならないと言うことですか」
「目立たず、倹しく暮らせと命令されたからな。メイドをゾロゾロ連れて行けば、目立って仕方がないだろう」
大名行列よろしくメイドやら人狼やらを連れてダンジョンから出て行けば、即座にレージの正体がバレてしまうだろう。
明らかに怪しい集団だ。
静かに暮らせというのは、魔王であった時のことは忘れて、何事も無かったかのように――この世界に転生した一般市民として人生をやり直せという意味に違いない。
余計なことをするなと、そういうことだ。
禁術のほとんどは奪取されてしまったが、レージにはまだ膨大な体内魔力と僅かだが現代日本で培った知識がある。
魔導を使う能力を施されて、その辺に転移させられたと思えば良いだけだ。そう考えれば、金髪の美青年に転生できただけ、得していると考えることも出来る。
「もう、行くからな」
あまり顔を合わせていると、ようやく封じ込めた寂寥感が爆発してしまいそうだった。
冷たくあしらうように、レージはアリシアに背を向け歩を進める。
「――では、一人だけなら、どうでしょうか」
進みかけた背中に、アリシアの声が届く。
「わたしだけレージ様にお供させていただくことは、許されないことでしょうか」
「……何だと」
「我儘は承知で申しております。わたしはレージ様の隷属――レージ様のご命令は絶対。それは重々存じております。ですが――」
クールで口数の少ないはずのアリシアが、珍しく自我めいたものを吐露している。
「無関係なお前を、俺の都合に巻き込むわけにはいかない。俺が追放されたのは、俺自身の怠慢が原因だ。アリシアたちに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」
外での生活がどのようなものなのか、レージには皆目見当もつかない。
食糧用の魔物は、人狼たちが外で狩って持って帰っているが、未だ問題が生じたことはない。
故にレージやアリシアが外に出ても、身体等への害はないと思われる。
「ダンジョン外での生活がどのようなものか、俺にも全く想像出来ない。ダンジョンに残れば、セブンスの命令通り動いていれば良いだけだ。その方が――」
「レージ様と離れ離れになる方が、わたしにとっては辛いです」
抑揚のない声で、紡がれた本心。それは、寂寞に苛まれていたレージの心に深く――じんわりと沁みていく。
禁術でホムンクルス――美少女メイドを生成できると知って、真っ先に作り上げた彼女。最初に作ったということもあってか、一番抱い――一番寵愛を注いでいたかもなと、レージは記憶を手繰り寄せた。
自棄を起こし、半ば八つ当たりのように己を追い込んでいたレージ。
アリシアの言葉で、レージは少しずつ冷静さを取り戻していく。
無謀な未来計画が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
瓦礫の中から生まれたのは、孤独と猜疑に塗れ薄汚れた絶望などではない。光り輝く、希望だった。
「付いてきて、くれるのか?」
「レージ様のお許しをいただけるのでしたら」
心細さをごまかすように、レージは背を向けたまま銀髪のメイドへと手を差し出す。
指先に重ねられた温もりを、絶対に離さないとでも言うように、強く握り締めた。




