第1章 第4話
想定外の現象に、思考が停止する。
何が起こったのか理解出来ない。
現況を俯瞰的に説明しろと言われれば、不可能ではない。何者かが、レージの寝室に現れた、ただそれだけのこと。
だが彼がどのようにしてこの場所への侵入を果たしたのか、全く以て分からない。
つむじ風に紛れての出現。恐らくは転移の魔導――もしくは疾風を纏い姿を消し、この場所まで訪れたのかもしれない。
「いや、そんなことは不可能なはず。俺が精魂込めて作り上げた――これほどに入り組んだダンジョンを、攻略出来るはずがない」
ダンジョン内には番犬代わりの魔獣も放してあるため、姿を消していようと、匂いや気配である程度は外敵の侵入を察知することは出来るはず。
転移の魔導を使用したのかもしれないが――。レージの寝室は、ダンジョンの最深部にある。正確な場所を知っていなければ、的確にこの場所へ転移することは不可能だろう。
「お下がりください、レージ様。外敵は、私どもが責任を持って排除致します」
カラフルな頭をしたメイドの集団が、武器を構え、不可思議な侵入者を包囲する。
槍を構える者、鎖付きの鉄球をもたげる者、巨大な木槌を掲げる者――各々与えられた武具を持ち、臨戦態勢をとった。
そんな彼女たちの背後を護るように、人狼たちが低い唸り声を上げる。
明確な殺意に晒されつつも、侵入者――地味な色の服装を纏った痩身な男は、取り乱すことなく冷静に周囲を見渡していた。
まず武器を構えるメイドたちを一瞥、次に鉤爪で虚空を引っ掻き威嚇する人狼たちを眺め――ベッドの隅で大の字になって眠る褐色冒険者を見やった瞬間、男はその整った眉をくいと動かし、凛然とした瞳をレージへと向けた。
その怜悧な視線に、レージは何故か既視感を覚えた。
「ワタシの名は――――セブンス」
「はあぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!!!」
名乗りを上げ、瞬間的に生まれたその隙を逃さず、人狼とメイドたちは一斉にセブンスなる男に飛び掛かった。
大きく振りかぶられた木槌が、セブンスの脳天を捉える。鋭く突き出された槍が、セブンスの左胸を襲撃する。ゴウンと空を切ったモーニングスターが鈍い音を奏で、死角からセブンスの右頬を狙い打つ。
いずれも致命傷を与えるには申し分のない、強烈な痛撃。たとえどれか一つを避けることに成功したとしても、その他二つの攻撃が彼の生命を刈り取ることは間違いない。
――はずだった。
「なるほど、戦士の教育だけはキチンとしていたようですね」
直立の姿勢を崩すことなく、セブンスは首にかけていたロザリオを手に取った。頭上に巨大な木槌が迫っているというのに、その面持ちは飄々としている。
十字架を模した奇妙な形をしたロザリオが、セブンスによって掲げられる。一瞬、眩い閃光がフラッシュの如く発現する。瞬間的に、周囲が真っ白に染まった。
視界を塗り潰す、閃光の暴力。日光を凌駕するほどの凄まじい白光に、眠っていたはずの褐色冒険者が両手で顔を覆い悲鳴を上げた。
総身を仰け反らせ、喉が削れそうな声で叫びながら目元を掻き毟る褐色女。フラッシュの影響を受けなかったらしいメイドの一人が慌てて駆け寄り、治癒の魔導を施す。
光に弾かれるように、飛び掛かっていたはずのメイドたちはセブンスに跳ね返され、空中に放り出された彼女たちは受け身もとれずにバタバタと地面へ落下していく。
一体何が起こったというのか。
極化暗視のおかげか視力を奪われずに済んだレージは、その一瞬の輝きの中身を鮮明に視認した。
白光に紛れ、ロザリオの先端から――光の礫が無数に飛び散ったのだ。鋭利なそれは飛び掛かっていたメイドはおろか周囲に控えていた人狼たちすらも撃ち抜き、一撃で意識を奪い取った。
レージを護らんと立ちはだかっていた黒髪メイドが、腕を広げたままの格好でうつ伏せに倒れ込む。
圧倒的な戦力に、レージの背筋を冷たい汗が垂れていく。だがそのおかげで、この男――セブンスがどういった立場のどういう人物なのか、何となく察することが出来た。
「想像以上に、しっかりとしたダンジョンのようですね。最深部まで辿り着くことの出来る人間は、ほとんどいないでしょう。護衛の実力も中々。これだけの戦闘能力を保持していれば、問題はないはずです」
地味な色だと思っていた服装は、良く見れば所謂神父服だった。
そしてロザリオ。ここまで続いてきた、人智を超えた現象の数々。
「……あんた、もしかして」
絞り出すようなレージの言葉に、セブンスは姿勢を正し深々と腰を折る。
「ご明察。ワタシは、レージ殿を魔王としてこの世界に転生させた神の使い――謂わば、代理人のようなものでございます。現世に介入出来ぬ神の代わりに、こうしてワタシがレージ殿に神の御言葉を伝えに参ったわけでございます」
彼の言う神というのは、レージの言う邪神のことで間違いないだろう。
しかしこれで、何の手順も踏まずいきなり寝室に現れたことも、ホムンクルスたちでは全く歯が立たなかった理由も、はっきりさせることが出来た。
きっと彼は、レージがどの程度真剣に――覚悟を持ってダンジョン経営に携わっているか、抜き打ちで調査をしに来たのだろう。
セブンスはすぐに身体を起こすと、どこからか一枚の羊皮紙を取り出し、レージの眼前へ突き出した。
「――神の御心により、レージ・クラウディアから魔王の職を剥奪しに参りました」
「――あ?」
「レージ殿には、もうダンジョンを経営する資格はございません。すぐにでも荷物をまとめて、ここから出て行ってもらうことになります」
レージ本人の意思を完全に無視して淡々と進められる状況に、レージはその端正な顔に憤怒の色を滲ませた。
いきなり現れて大切な隷属たちを傷つけたと思ったら、今度は解雇通知を突き付けて出て行けとは。身勝手な話だ。そう簡単に、はいそうですかと、従うわけにはいかない。
「理由を言って貰おうか。頼まれた通り、最高のダンジョンを作ったというのに。どうして俺を追放するなどと、そんな話になるのか」
「……冗談ではなく、本気で仰っているのですか?」
「いいから答えろ。寝室にいきなり上がり込んで、メイドたちにも酷いことしやがって。――ホムンクルスはともかく、ここには普通の人間だっているんだ。さっきの光がトラウマになったりでもしたら、どう責任とるつもりだ!」
メイドの治療でどうにか失明の危機を免れた褐色冒険者は、女騎士らしく凛とした面差しを幼気な女のそれへと変容させ、すんすんと鼻をすすりながら泣いていた。
怖かったのだろう、シーツには大きな染みが出来ていた。
気持ち良く寝ていたら、いきなり白光に瞳をつんざかれたのだ。むしろお漏らしと号泣だけで済んだことを褒めてやりたいくらいだ。
レージの気迫に圧倒されたのか、それとも自己の正当化があまりにぶっ飛んでいて呆れてしまったのか。
暫し硬直していたセブンスは、今一度羊皮紙を舐めるように見つめた後、重々しく溜息を吐いた。
「ええそれではご希望通り理由をお聞かせ致しましょう。まず第一に、ダンジョンを作り終えてからもう5ヶ月は経過しているのに、魔力が全然溜まっていないからです。では何故魔力も――勿論生命力も、溜まっていないのか。それはレージ殿、貴方がダンジョン経営の仕事をサボっているからです! 何故――どうして、入ってきた冒険者を追い帰すような真似をするんです! いつ見ても、ホムンクルスとベタベタしているか惰眠を貪っているか! 何のために神は、レージ殿に禁術を施したと思っているのです! 申し上げたいことはまだまだいくらでも出てきますがね! 理由を全部挙げたらキリがありません! 魔王の仕事というのは、ダンジョン内に魔力と生命力を溜めることなんですよ!? それをどうしてレージ殿は、溜めるどころかむしろ消費していくではないですか! 浪費。豪遊。自堕落な生活――こんな向上心のないダメ人間に、何故ダンジョン経営を任せ続けようと思うのか、むしろワタシはそっちの方が聞きたいですね!」
その気難しそうな見た目とは裏腹に、感情的に捲し立てるセブンス。
正論で叩きのめされたレージだったが、彼は欠片も反省の意を示してはいなかった。
少しくらい、良いじゃないか。ただぽっかり空いた洞穴だったものを、ここまで立派なダンジョンにしたのは他でもないレージだ。
明日から頑張るつもりだったのに、どうしてこのタイミングで、やる気を無くすようなことを言うのだろう。
ダンジョンを作るためにいっぱい頑張ったから、今はただ少し休んでいただけなのに。
今は充電期間なのだ。時期が来れば、ちゃんと働く。そのためにも、気力や活力を溜めておかなければならない。
今が大事な時なのだ。余計なことに気を散らしていたら、奮起しなければいけない時にエネルギー切れで空回りしてしまうだろう。
人間を殺す覚悟を決めるには、それ相応の準備が必要なのだ。
「ご理解いただけましたでしょうか? ですからレージ殿には、魔王の座から降りていただくことになります故――」
「うるせーよ」
「――は」
瞠目したセブンスに向けて、片手を突き出す。
ギリリと歯を噛みしめたレージは、セブンスを睨みつけたまま、呪詛の如く呟いた。
「――局地的大豪雨」
魔導とは異なる、邪神の手によって施された禁術の一つ。魔王たるもの、特殊な攻撃方法を保持しているのが当たり前だ。
練習を重ねれば誰しも使えるような、ポピュラーな魔導以外に、レージには幾つもの攻撃用の禁術が施されている。
その中の一つを、レージは邪神の使いに向けて発動した。