第5章 第34話
「――詳しく聞かせろ」
ギョロ目の男の一言を境に、笑い声が消える。
訪れたのは、重々しい空気と張りつめたような静寂だ。
掲示板の前で騒ぐ冒険者たちは、他人の武勇伝を語るのに夢中でこちらの空気が変わったことには気が付いていない。
どうしようもない笑い者から一気に話題の中心へ引き上げられた彼は、深く深呼吸してから、響かぬよう努めて低い声で話し始める。
「件のレージ・クラウディアが、娼婦誘拐の任務を阻止した、最大の要因であるということです」
忌まわしい過去を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をする男。彼は娼婦ローズを襲撃し、この場には居ぬ――長の元へ連れ帰る任務に就いていた。
だがその計画は、突如乱入した奇妙な二人組の手によって阻止されてしまう。
その失態が原因で、ローズの護衛がさらに厳しくなってしまった。そして、彼は集団での立場を失うことになってしまったのだ。
「今まで、奴は良く似た別人なのだと思っていました。――部下二人を纏めて相手取り一撃で昏倒させた輩と、冒険者のイロハも知らぬ新人が、同一人物であるとは到底思えませんでしたから」
金髪も銀髪も、さほど珍しい髪色ではない。
はっきりと顔を覚えたわけでもない。格好や雰囲気の良く似た人間だなと疑念は抱いていたが、半信半疑だった。
「ですが今、確信しました。奴は本来の実力を隠し、新人の振りをしていた熟練者に違いありません」
今思えば、銀髪の女が身に着けているような珍しい衣装の女が、そう何人もいるはずがない。
「そんなことをして、奴に何の得がある」
「分かりません。ですがもし、私たちを追って異国より訪れた役人だったとしたら――」
「俺たちを捕縛するために、無害な振りをしている可能性もあるというわけか……」
難しそうな顔で、大きな両眼をギョロギョロと動かす男。
男が属する集団は、分かりやすく言うなら――所謂世界を股にかけ悪行に勤しむ盗賊団のような党派。
普段は冒険者の体を取りつつ、その実態は、貿易を禁止された物あるいは人間すら違法に売り捌き生活している悪徳集団だ。
ヘマをやらかした者などは、異国にて賞金首として晒されていることもある。レージたちはそれを手掛かりに追ってきた、偵察者である可能性も拭いきれない。
「しかし、そうなると厄介だ」
異国の富豪からの依頼で、極上の娼婦を一人攫うことを目的に裏で動いていた。
非合法な組織であることもあって、依頼に失敗は許されない。滞在期間中に、どうにかしてローズかその代わりの女を連れ帰らなければならないのだ。
「依頼主が気に入りそうな容姿の女は、あの桃色の女以外に見つけることは出来なかった。もしお前の仮説が事実なら、俺らがあの娼婦を狙っていることを、彼は既に熟知しているということ。これ以上、目立つ真似は出来ないぞ」
正義感に駆られただけの、無関係の人間の可能性もある。
ともあれどちらにせよ、厄介な存在であることには違いない。
どうにもならぬ脅威を、どうにかして排除する。粗野な盗賊たちの脳裏に浮かんだ計画は、自然と一致した。
「熟練者とはいえ、所詮ただの人間だ。……顔を知られていない者で、腕に自信のある奴を集めろ。男の方は、殺しても構わん」
可能性が僅かにでもあるのであれば、始末するに限る。たとえレージとやらが、娼婦誘拐を阻止した者とは違う――無関係な別人だったとしても、別にこちらが困ることは一切ないのだ。
「ふ、ふひっ……。お、おおお、オデ、あの銀髪の女、欲しい。ふへへ……」
「男から聞きだすことはないが、女の方は――好きにしろ。余裕があれば捕縛するに越したことはないが、捕えることに拘るな。失敗は許されん」
「お、オデが一番に味見する、い、いいい、良いよね?」
「どうせ慰み者にして捨てるだけだ。売り物にすることは考えなくて良い」
現在ギルドを占領している中では一番の古株であろう――ギョロ目の男は、微かに残っていた酒を煽り、喉を焼く余韻に浸る。
慰み者といえば、ダンジョンに潜ったまま行方不明になっている仲間がいたなと、男はそんなことを思い出す。
褐色肌の眩しい、筋肉質な女だった。数少ない女の団員と、始終諍いの絶えない女だった。
裏切りを疑われ、尋問ついでに男たちの玩具にしてやろうとそのような話が出始めていた頃――彼女は不意に姿を消したのだ。
身近な者の話を信じるなら、汚名返上とばかりにダンジョン攻略に赴いたそうだが。結局、そのまま行方不明だ。
「彼女は今、どうしているのか……」
白いチューブトップと黒のショートパンツを着たまま、危険を察知したかの如く消えてしまった彼女。
娼婦のことも然り。最近女に逃げられてばかりだなと、ギョロ目の男は空になった杯に酒を注ぎながら溜息を吐いたのだった。
◇◇◇
すっかり遅くなってしまったな――と、星彩散らばる濃紺色の夜空を仰ぎながら、レージはそんなことを思う。
集めたキノコをギルドに納品した時、蒼天には燦々(さんさん)と太陽が輝いていたはず。その時にはまだ、巨大な魔物が不自然な死を遂げていた噂は広まっていなかった。
レージの暗躍は、ギルドの冒険者たちにバレずに済んだだろうか。
「あの時の男の子は、無事に戻ることが出来たでしょうか……」
布袋を抱えたアリシアが、心配そうな顔でそう呟く。
隣を歩くホムンクルスを、視界に入れる。刻一刻と増す違和感に、レージは今日ぼんやりしてしまう時が多かった。
午後は娼館を訪れても良いかなと思っていたが、日中は露店市場を巡って雑貨や夕食代わりの保存食を購入するだけで、いつの間にか過ぎ去っていた。
気が付いた時には夕日が沈みかけていて、ローズと会うという選択肢は消さざるを得なかった。
アリシアのことで頭がいっぱい――と言うと、ロマンチックな色を感じさせるが。レージが抱いていたのは、そういう意味の思考ではない。
「そのことだが、俺も少し気になることがあってな」
「――! 何か、気が付かないところで怪我を負っていたりしたのでしょうか?」
グレーの瞳を大きく見開き、銀髪のホムンクルスは戸惑いの表情を見せる。
彼女の考えていることが、手に取るように分かる。それなら何故治癒の魔導を施さなかったのですか――と問い質そうとして、言葉を発するより先にその見解が間違いであることに感付いたのだろう。
しかしその僅かな反応が、レージの疑惑をさらに色濃くさせた。
「少年のことではなく、お前のことだ。アリシア――あの時、枝をわざと踏んだだろう」
「…………はい。その通りです、レージ様」
申し訳無さそうに目を伏せ、誤魔化したり弁明したりするようなことなく、簡潔に正直に答えた。
レージは、表情を変えることは無かった。ある程度予測出来ていたことだった。もしかするとその答えを欲して、レージは件の質問をアリシアに投げかけたのかもしれない。
理由を聞きたいとも思わなかった。別に、アリシアに幻滅したとか、正義感に満ちた彼女の行為を咎めようと思っているわけではない。
「まるで、人間のような思考だ」
アリシアに聞こえぬよう、口の中で呟く。
最近アリシアから「人間味」のような物を感じるというのは、ずっと気になっていたことだったが。
本日の事件を経て、その引っかかりは少しずつ確信へと変わって行った。
単なる自分の勘違いかもしれない。他のホムンクルスがどうだったのか、既に記憶は曖昧なものとなっている。
思い返せば、失敗作の茶髪メイドはともかく黒髪メイドのカナミなどには、感情めいたものがあったような気もしてくる。
ダンジョンを出てから、レージはアリシアとべったりだ。ホムンクルスという括りで言えば、当たり前の話だが――レージは、アリシアだけとしか接していない。
とくにここ数日は、アリシアと過ごす時間が格段に増えている。
時がもたらす心情の変化や、思い出補正が要因の勘違いかもしれない。しかし――。
「わぁ、見てくださいレージ様。お月様が、すごく綺麗ですよ」
嬉しそうに顔を綻ばせ、夜空を指さすアリシア。その横顔を見ていると、全身が熱くなって胸が高鳴る。
今まで彼女に抱いていたものとは、全く以て異なる衝動。主とメイドとしての関係ではなく、彼女を一人の「女の子」として扱い、接したい。
きょとんとした顔のアリシアが、グレーの瞳を瞬かせ、レージを見やる。心の奥底でチリチリと音を立てていた火の粉が、何かのはずみでぶわりと大きな炎へと成長する。
彼女の顔を直視できず、思わず目を逸らしてしまうレージ。うるさく跳ねる鼓動を誤魔化そうと、ギュゥと胸の辺りの衣服を掴む。
明らかにレージは、人工物であるアリシアを、異性として意識してしまっていた。




