第4章 第30話
口の周りを綺麗にしてもらったレドは、仕切り直しとばかりにコホンと咳払いをしてから、前屈姿勢になって会話の中に入ってきた。
「オレはその衣装、良いデザインだと思うな。とくに靴下の長さが絶妙だ」
「あ、それはボクも思った。最初ブーツかなって思ったんだけど、靴とは別に履いてるんだよね」
スカートを元の位置に戻したアリシアの太腿に、三人の視線が集まる。エプロンドレスとニーソックスの生み出す絶対領域は、万国共通――異世界共通で素晴らしいものなのだ。
「ラルドが昔見たっていう女給仕さんも、こんな感じの靴下穿いてたのー?」
「どうでしょう……。なにぶん幼少期の記憶ですから、曖昧な部分も多くて」
「えー、そうだったの? ラルドってばレージくんたちが受付で話聞いてる時から、ずっとアリシアちゃんのことジロジロ見てたからさあー。もしかして初恋の人に似てたのかと思っ――」
「声をかけようかと提案したのは確かに僕ですけど、ジロジロは見ていません。誤解されるようなことは言わないでください」
彼らがわざわざレージたちを追ってきた理由が、図らずも分かってしまった。
てっきり正義感に満ち溢れたレドが声をかけようと提案し、女連れであることでライの気持ちも動いたのだろうと、勝手に想像していたのだが。
どうやら、ラルドも一枚噛んでいたようだ。
そう考えると、今この時があるのは、アリシアのおかげなのかもしれないなと、レージは思った。
「全体的に可愛らしい装飾が多い割に、媚びるような華やかさはあまりない。色合いも落ち着いた感じだし、清楚な雰囲気が出てて、クールなアリシアさんの魅力が存分に出ていると思う。その衣装を選んだ人は、良い趣味をしているな」
ミニスカニーソックスがよほど気に入ったのか、レドは浸るようにしみじみと語る。
この世界に来てから、性癖談義に興じる機会は無かった。真正面から、センスが良いと褒められたことも、素直に嬉しく思う。
新鮮な状況に、レージは気分を良くした。
「それもレージくんのデザインなのか?」
「ええ、アリシアが身に着けている衣服は全て、色から形状含めて長さまで、全部俺がデザインしました」
とはいえ作ったのは当時イケイケだったころのレージ。禁術を余すことなく行使することの出来た、謂わば完全体レージの状態でのことだ。
服飾の技術は皆無なので、今から同じ物を量産することは出来ない。
「全部って……。その言い方だと、下着とかまでレージくんが選んだみたいに聞こえちゃうよー」
冗談めかして揚げ足をとるライに、レージは何も言わず笑顔で首を傾ける。ポーカーフェイスか、それともレージが悪乗りしているだけだと思っているのか、ライは同じく口元に弧を描いたままこてんと顔を横に倒す。
端正な顔立ちをした成人男性が、二人揃って顔を横に倒すとは、何ともシュールな光景だ。
その奇妙な一体感が変に面白く、ほろ酔い気分で浸っていたレージだったが。思案気な顔でじっと一点を見つめるレドの姿が視界に入り、その面差しから真面目な空気を読みとったレージは、さりげなさを装って顔の位置を元の通りに戻した。
「どうか、しましたか?」
「……! すまない、少し考え事をしていた。その、アリシアさんの穿いている、靴下のことで」
想定していたより浮薄な返答に、レージは拍子抜けする。
流石の彼も、酔いが回ってきたのだろう。少年的な熱血顔を大人びた調子にとろめかせながら、レドは黄昏るような眼差しで、アリシアの太腿を見つめていた。
「もしレージくんが、嫌では無かったら、だけど――。どうだろう、そのデザインを、この町で、広めてみたいとは思わないか?」
反射的に視線が向き、アリシアと目が合う。ホムンクルスである彼女は、不思議そうに自身の衣服を撫でていた。
「この衣装をですか?」
「衣装全部とは言わないけど――」
レドの視線は、ニーソックスとスカートの隙間を捉えたまま、ピクリとも動かない。
その顔つきに、色欲的なそれは見受けられないが。どうやら彼は、アリシアの穿くニーソックスがお気に召したようだ。
「えー、なになに? レドってば、アリシアちゃんの靴下に興味津々って感じー?」
唯一の常識人(?)を演じていたリーダーの堕落をきっかけに、問題児が悪乗りする。
「才能を感じる、良いデザインだと思っただけさ。別に、変な意味で言ったわけじゃない」
「レドの気持ちも、何となく分かります。僕もアリシアさんの衣装には、幼少期の思い出を度外視しても――惹かれるものがありますから」
酒場の雰囲気が二人を後押しするのか。遠慮なく、各々の感想を呟いていた。
ともあれ、宴席での話だ。さして深く考えることはないだろう。
ただまあ、そういう道もあるということは、頭に入れておいても良いかもしれない。
「ニーソックスの量産か……。考えもしなかったな」
杯に残った酒をグピリと煽り、レージはふわりと揺れる思考の中で思案する。
大っぴらにやると、目立つ要因になるのではないか。しかしアリシアの衣装――エプロンドレスも含めて――が、これだけ突飛なもの扱いされる世間では、そのような懸念は今更のことかもしれない。
もしニーソックスの素晴らしさを広めるとして、レージやアリシアにメリットはあるだろうか。
あるとすれば、町中でニーソックスを穿いた女性が増えるかもしれないと、その程度。そこまで嬉しいことでもない。
世界を変えてやりたい――と、そんな野心に駆られているわけでもない。目立たず騒がずを第一に考える堕落転生者が、前世の知識を持ち込まんと躍起になる必要もない。
今この時代で流行したとしても、一時的なものだろう。
「いや待てよ、そうとも言い切れないか」
ニーソックス繋がりで、ふと前世で見た女子高生の制服を思い出す。
元の世界のセーラー服も、元は軍服――水兵が身に着けるものでは無かったか。
この世界が、前世と同じような発展を遂げるという確証はない。だがもし遥か未来、魔物等が絶滅し、年頃の男女が学園生活などを育む世界へと変遷したとしたら。
この時代で広めたニーソックスを、未来の女学生が穿くことになるかもしれない。
魔王の寿命がどの程度なのか、レージは存じぬが。もしかしたら、その未来を見届けることが出来るかもしれない。
「――なんて、俺も少し酒が回ってきたのかもしれないな」
熱を帯びた頬に手をやり、膨らんだ思考を中断する。
全て仮定の話だ。件の提案も、宴席での与太話。早急に答えを出さねばならない事でもない。
いずれ機会があったら、手工業ギルドとやらを覗きに行ってみるかなと、レージは空になった杯を見やりながら、そんなことを思っていた。




