第1章 第3話
レージ・クラウディアのダンジョン生活は、意外にも規則正しく育まれている。
邪神から施された禁術の一つである極化暗視のおかげで、日光すら届かない文字通りの暗黒世界で何不自由なく暮らすことは出来ているが。
外気の変化や天の明暗で時刻や季節を感じることが出来ないというのは、案外不便なものだ。
転生前は昼夜逆転した毎日を送り、夜中でも平気でアパート周辺をうろついていたレージだったが。やはり城を護る立場ともなれば、現在の時刻は一体どのくらいなのかとか、外の住人がどのような暮らしをしているのかなど、気になってしまうというのが実情だ。
実際日中の方が、ダンジョンへの侵入者は格段に多い。中には夕暮れから夜にかけて、人目を気にして忍び込もうとする輩もいないわけではないが。
やはり外敵の処理をする頻度が高いのは夜間より昼時であるため、外の人間と出来るだけ同じような生活リズムで日常を過ごしていた方が、色々と都合が良いのである。
「普通の魔王なら罠とか張って、勝手に自滅を待つようなこともするんだろうけど……。どうしても自分の家で人に死なれることに抵抗があるんだよな」
ダンジョンを作り始めた当初は今度こそ人生をやり直してやろうという野心に燃えていたため、そう簡単に攻め込まれるようなセキュリティではない強力な要塞となっているが。
やはり自分が一生懸命作った自分だけのお城の中で、見ず知らずの人間が亡くなっているのを発見するというのは、あまり気持ちの良いものではない。
故に最近は、ダンジョン内で殺さずにどうにか外に出て行って貰えるよう試行錯誤するのが日課になっていた。
意気揚々と設置した即死級の罠は全て撤去し、一撃で冒険者を葬るような攻撃特化の魔獣は、もしものための迎撃要員として寝室付近の小部屋に仕舞い込んでいる。
角が三本あるカブトムシをモデルにした甲虫型の戦士や、百獣の王を模した獰猛な獣など――作っている最中は、こいつらがダンジョン内で暴れまわったらどんなに痛快だろうかとウキウキしていた強力な番兵たちだったが、今では場所をとらないよう小型化させて飼育しているだけだ。
祭は準備期間が一番楽しいとは、誰が言った言葉だったか。それとも単なる、邪神の人選ミスだったのか。
せっかくの禁術も使い方を誤ればただの暇潰し用の気慰みにしかならず。無数に生み出すことが可能な人型の戦士を並べ、凶悪な侵入者を数で圧倒するには最もふさわしいであろう隷属生成は、可愛くて色っぽいメイドを量産するだけの娯楽能力と化していた。
「魔王様ったら、ふふっ……。魔王様ってばぁ。もぉ……」
広大な寝室(無気力で自堕落なレージは、専らこの部屋だけで一日を消費している)の三分の一近くを埋め尽くす特大ベッドの隅で、先日捕縛し調教した褐色冒険者が、涎を垂らしながら寝言を呟いていた。
彼女は、レージが禁術で生み出したホムンクルスや魔獣ではなく、この世に生を受けた至って普通の人間である。ちなみに今は一糸纏わぬ生まれたままの姿で、豪快に股を開き大の字になって眠っている。
元々色黒だったのか。日焼け跡のようなものは見られない。
ホワイトのチューブトップにブラックのショートパンツを身に着け、その上にデニムっぽい上着を羽織っただけの出で立ちでダンジョンに足を踏み入れた彼女は――運が悪いことに、「最近人造人間ばかりで飽きたな。もっと「くっころ」が似合いそうな逞しい女騎士さんとかと遊びたい」と不健全な妄想をしていたレージの目に留まってしまい、ダンジョンから追い出されることなく、レージの寝室へと永久就職させられることとなってしまったのだ。
冒頭で申した通り無理強いや強制が嫌いなレージは、彼女がこの場所を好きになるように毎晩色々なことをしてやったのだが。ここは、詳しくは触れないようにしておこう。
レージの脳内を駆け巡った桃色の回想はさておき。
いつものように新たな侵入者を追い払うよう入り口付近の魔獣に命じたレージは、一仕事終えたとでもいうようにくっと身体を伸ばし、ゴロンとベッドの上で横になった。
食糧だけはレージ一人の力では手に入れることが出来ぬため、人語を覚えた人狼(彼らも、禁術で生み出された魔獣の一種である)にダンジョン外を散策させ、餌を集めるよう頼んでいる。
レージ本人は転生してから今日に至るまで一度たりともダンジョンから外に出たことはないが。ダンジョン内の細やかな装飾を制作中、この世界がどういったものなのかある程度の情報を集めるため、魔獣とホムンクルスに周辺の探索に行かせたことがある。
その時分かったのだが、どうやらこの世界は、レージが前世で触れていた異世界ファンタジーものと酷似した世界であるようなのだ。
もう少し調べて分かったのが、魔物の肉は食すことが出来る、ということ。先日食べた大黒蜥蜴も勿論、このダンジョンの周辺には、豊富な食糧もとい数多の魔物が生息しているらしい。
人狼に魔物を狩らせ、ホムンクルスに調理させ、レージが食べる。最高だ。手に入らぬものなど何もない。レージにとって、この場所は最も過ごしやすい。
「本当に、転生様様だな。そう思わないか? ――アリシアよ」
「はい、レージ様」
耳かきを持ったホムンクルス――銀髪のメイド「アリシア」を呼び寄せる。彼女――アリシアは、レージがこの世界に来て、最初に生成したホムンクルスだ。
これから新たなメイドが増えても、名前を忘れないように「あ」から始まる名前にしようとして命名したのは秘密だ。ちなみに二人目に作った茶髪のメイド(ロボットめいた動きをする失敗作である)は、「い」から始まる名前を付けた。
アリシアにベッドの上で正座してもらい、スカートに包まれた太腿に、遠慮なく頭を乗せる。最初に作ったからか、今となってはやや物足りない箇所もあるにせよ、やはり一番熱が籠っており、レージはメイドの中でも彼女と一緒にいる時が一番安心するような気がしていた。
ツインテールを揺らし首を傾げるアリシアを頭上に感じながら、レージは瞑目し、持て余した右手をふらふらと彷徨わせる。むにゅりと何やら柔らかいものに触れたところで、レージは鼻の下を伸ばしてそれを容赦なく揉み始めた。
「レージ様」
耳掃除を続けるアリシアが、抑揚のない声で紡ぐ。
「何だ」
「レージ様がさっきからお揉みになっているのは、メイドの尻でございます」
目を開けると、午前中可愛がっていた黒髪ポニテのメイドが、うつ伏せに突っ伏したままピクピクと震えていた。
面白いので揉む速度を加速させると、アリシアにぴしゃりと腕を叩かれた。メイドが魔王にする所業とは思えないが、致し方ないことだ。
レージがアリシアを生成した時はまだ、己の立場もホムンクルスの存在意義もまだちゃんと理解していない頃だった。当時は確か話し相手が欲しくて、従順な後輩ちゃんみたいな娘をイメージして生み出したのだったか。
結局調整が上手くいかず、クールで言葉少なめなメイドになってしまったが。敬語もちゃんと使えていないし、他のメイドと比べて若干馴れ馴れしい部分もあるが、この程度は許容範囲だろう。むしろ接しやすくて良い感じだ。
接触を止められた黒髪ポニテメイドは、物欲しそうな顔で指を咥えて、こてんと顔を横にしてこちらを眺めていた。
そういえば彼女の容姿は、高校時代の先輩をモデルに作ったのだったかと、レージは思い出す。
あ行では無かったはずだ。確か日本名で、「か」から始まる名前にしたのだった。そう思い出した、この娘の名前はカナ――――。
虚空を指さした刹那、レージの視界に小さな竜巻が出現した。
「レージ様!」
アリシアの叫びに反応し、息も絶え絶えだったはずの黒髪メイドは五体投地ポーズのまま飛び跳ね、レージを護るように腕を広げて立ち上がった。
異変を察知したのだろう。寝室の外を護衛していた人狼やカラフル頭のメイドたちが、武器を構えて飛び込んでくる。
何が起こったのか、理解が現実に追いつかない。
目の前の竜巻は勢いを失い、徐々にその片鱗を露呈させていく。薄れていく風の切れ目から、人間の四肢のようなものが顔を出す。
一際大きく風がうねり、空を切り裂くような音が木霊した。
旋風の消えた場所には、一人の男が立っていた。
気難しそうな顔をした痩身な男は、レージを指さし、薄気味悪くニタリと口角を上げたのだった。