第4章 第29話
「冒険者を始めて早5年……。今までの人生で、今日が最高の日だあぁ――――――っ!!!」
星彩の散らばる濃紺の空の下。活気溢れる酒場の一席で、赤毛のレドは喜びの雄叫びを上げた。
既に若干酔い始めているのか、周囲の目も憚らず結構な声量で笑い声を上げるレドだったが、彼の声はこの空間を包む喧騒にかき消され、大した騒音にはならない。
どの席も、同じような感じだ。一人か二人の熱血タイプが湧き上がる興奮を高らかに表明し、同席する他の者が楽しげに宥める。
空気が空気であるためか、落ち込んだ者を慰めたり、愚痴を聞いてやるような輩は一組もいない。ほぼ満席の状態を叩きだした店内は、余すことなく悦楽の乱痴気騒ぎに塗れていた。
冒険者ギルドのすぐ傍に設営された酒場故か、来店客は一人残らず冒険者の人間だ。
そしてその全ての者が、本日の役務で大成功を収めたパーティに属する人間だった。
レージたちの席も、例外ではない。
件の鉄鎧栗鼠は、ギルドにて破格の値段で買い取って貰った。
他のものでは代用不可能な奇異な特徴を持ったそれは、その素材を専門に加工するプロの手に渡り、特殊な製品へと生まれ変わるらしい。
ともあれ冒険者にとっては、剥ぎ取った素材がどのように加工され結果どのような物になるのかなど、些末な問題だ。
とくに子細な説明をされることは無かった。
「レドったら、飲み過ぎですよ。今晩の主役は、レージくんなんですから。レージくんのおかげで、今この時があるんですからね」
そういう緑髪のラルドも、眼鏡越しの瞳をとろめかせ、色っぽく口元を緩めている。
当初レージは、今回の報酬を平等に四人――レージとアリシアは一纏めで数えた――で分けようと提案したのだが、真面目なラルドはそれを却下した。
実際に討伐したのはレージであり、レージが報酬を受け取るのが道義。後輩が気を使うことはないと、果てしなく未練がましそうな顔で、そう言ってくれたのだ。
それではむしろレージの方が恐縮してしまうと――談合の結果。結局、今宵の祝杯は全額レージが持つということで話は纏まった。ラルドとしては、先輩の威厳を保ちたかったみたいだが。欲望に忠実なライが「後輩がせっかくご馳走したいと言ってるんだから」と背中を押し、無事に今この時を迎えることが出来たのだった。
「いやーでも、すごく気分良かったなー。鉄鎧栗鼠の死骸出した途端、周りの空気ガラッと変わったもんねー。隅で酒盛りしてた奴らも、こんな――こんな目大きく開いて、びっくりしてたもんねー」
前髪に隠れた両目を大きく見開き、その時の再現を図るライ。当然ながら、レージたちからはライの物真似がどの程度なのか把握することは出来ない。全然伝わってないじゃんかと、上機嫌なレドが手を叩きながら大声で笑う。
ガラの悪い彼らから向けられたのは、瞠目の視線だけだったが。他の冒険者たちからは、多大なる結果を出した者の宿命か、遠回りな嫌味の洗礼を受けることとなってしまった。
だがそれらは全て、人好きのするカラフル三人衆が軽やかにいなしてくれた。
事を荒げることもなく、「運が良かっただけですよー」とか当たり障りのない言葉で受け流し、レージやアリシアにヘイトが向くことを避けてくれていたようだった。
そのことに気が付いたからこそ――自分勝手なレージしては珍しく――是非、先輩たちにお礼がしたいと、そんな風に思ったのだ。
「それにしても本当レージくんってばすごいよねー。あの瞬間、あのタイミングで初級魔導を綺麗に当てちゃうんだもん。ねね、本当に偶然当たっただけなの?」
「運が良かっただけですよ、先輩。所謂、ビギナーズラックってやつかもしれません」
ビギナーズラックという言葉は流石に通じなかったか、ライはきょとんとした顔を見せた後、誤魔化すようにニッコリと口元に弧を描いた。
禁術のおかげか、転生してからこの世界の住人と意思疎通を取ることに何らかの支障が生じたことはない。存在しない言葉は、地方の俗語や外来語として認識されるのだろうか。
「レージくんに限らず、ボクたちみんなの日頃の行いが、良かったからかもしれないねー」
依頼の遂行中、ひたすら同行者のパンツを見ようと画策していた子が、そんなことを言う。
ともあれ日頃の行いという点では、レージも人のことをとやかく言える立場では無かった。
件の発言に誰も突っ込まなかったからか。ライは暇そうに虚空を眺めてから、ふと思い出したような口ぶりで紡いだ。
「アリシアちゃんみたいな美人さんに、鉄鎧栗鼠も見惚れちゃったのかもねー」
顔色一つ変えずクピクピと酒を飲み干していくアリシアに、ライはちょっかいを出そうとする。
向かい合って座っているため、前のめりになってテーブルに上半身を乗せていた。
酒場の雰囲気というのもあるのだろうか。運ばれてきた肉焼きに涎を垂らすレドはともかく――ラルドは酒に口を付けながらチラチラと横目にアリシアを見やり、ライは彼女の顔を真正面からじっくりと注視している。
アリシアが普通の人間だったら、今度こそ口説かれてしまいそうだなと、レージは煮豆を噛み潰しながら暇そうに三人の様子を眺めていた。
「ラルドってば、顔真っ赤になってるー。大丈夫なのー?」
「……大丈夫ですよ、これくらい。僕だってもう、子供じゃないんですから」
ふくぅ――と籠った吐息を零し、ラルドは気怠げに口元を手の甲で拭う。
三人の中では一番飲むピッチが遅かったはずだが。酔いが回るのは、一番早かったようだ。
眼鏡越しの瞳は重そうに閉じかけ、ライの言う通り頬や鼻の頭に朱が差し始めている。
アルコールに背中を押され、気が大きくなったのか。真水の如く平然と酒杯を空にしていくアリシアに、ラルドは溜息のようにハスキーなボイスで、静かに問を掛けた。
「お会いした時にも少し思ったのですが。アリシアさんの故郷は、もしかするとフレドアの方ではありませんか?」
「……ふれどあ、ですか?」
聞き慣れない名称に、アリシアは酒で濡れた唇を舐め、不思議そうに首を傾げた。
故郷という単語に、レージはギョッとする。余計なことを言わないだろうかと、レージは杯に口を付け酒を飲む振りをしながら、密かに二人の掛け合いを見守っていた。
「ええ、小さな国ですが、緑も多く良い場所です。ご存知ありませんか?」
ラルドの目線が落ち、アリシアの身体へ注がれる。真面目で清廉な風貌をしつつも、彼も紛うことなき男の子だ。
ライほど率直に本能を曝け出すようなことはしないようだが、この雰囲気では、心の中に潜むオオカミさんが理性を打ち破って露わになってもおかしくはない。
主としてメイドを護るべきかと見当違いな気概に焦がされていたレージだったが。
色めいた勘違いに気付かせてくれたのは、他でもない――自らのあずかり知らぬ場所で不名誉な比較対象にされた張本人である、薄紫メカクレのライだった。
「フレドアって、ラルドの生まれた国の名前だっけ? 何で、アリシアちゃんの生まれた場所が、そこだと思うわけ?」
「僕が幼少期暮らしていた場所で見かけた王宮の女給仕さんの衣服と、アリシアさんの衣装が、とても良く似ているものですから」
「わたしの衣装が、ですか……?」
スカートを広げるようにして、銀髪のメイドさんはグレーの瞳を瞬かせる。
ただでさえ短いスカートでそんなことをしたため、下着が見えるギリギリまで、スカートが捲れ上がってしまう。
真隣にいたラルドは突如露出した太腿にびっくりしたのか、目を逸らし俯いてしまう。「アリシアちゃんってば、だいたーん」などと言いながら、より一層前のめりになるライ。
真逆な反応に最初は笑っていたレージだったが、何となく自身のメイドが性的な対象にされることに嫌気が差し、注目を集めるようにわざとらしく咳払いをした。
「アリシアの服のデザインは、俺がしたんです」
「へぇー。てことは、この衣装はレージくんの趣味なんだー」
意味深に顔を傾け、ニヤニヤと笑みを浮かべながらレージを見やるライ。
小馬鹿にしたような感じというよりかは、異端児が同じ趣味の人間を見つけた時に見せるそれに近い。
分かっているよとでも言うように、レージを見てゆっくりと頷いたライは、覗き込むように身体を前に傾けたまま、頬杖を着きアリシアを見据えた。
「……アリシアちゃん。レージくんのためにも、そのままちょぉっと脚組んでみよっかー?」
「こう、ですか?」
「よしなさい、アリシア」
如何わしいビデオの出演者よろしく怪しさ満載の注文を出すライの意図に気付かず、無防備に脚を組もうとするアリシア。それをレージは、どうにか寸前で制止させる。
隣の席で一部始終を見ていたラルドも、流石に今回は表情に呆れの色を滲ませていた。
「ライは本当に、女性の下着ばかり追いかけて……。いくらお酒の席とはいえ、失礼ですよ」
「そうは言ってもさー。ラルドだって、アリシアちゃんのパンツが何色なのか、興味あるんでしょ?」
酒が回ったからか、日中以上にお下劣さを増したライの発言。ホムンクルスであるアリシアは、さして気にする様子は見せない。
黒いレースで彩られた薄いピンクのものだったと思うが、それを知ったら、二人はどのような顔をするのだろうか。
「まあまあ、二人ともその辺にしとこうぜ。アリシアさんも、困ってるよ」
おふざけが過ぎると判断したのか。白く立派な歯で分厚い肉を引き千切りながら、悪乗りする仲間たちをやんわりと諌めるレド。
酒宴の最初から浴びるほど飲んでいたレドだったが、頬が染まり表情がやや弛んでいるだけだ。
「初対面の先輩相手じゃ、強く言えないもんな。――でもそんなことは気にしなくて良いぜ。力を合わせて死闘を潜り抜けたオレたちとお前たちは大切な仲間同士だ。仲間に遠慮することはないさ!」
頼れる兄貴分を絵に描いたような態度でこの場をいなし、アリシアに笑顔を送る。凄く格好良い場面なはずなのだが、ケチャップ系の食事を終えた幼児よろしく、口元に肉汁たっぷりのソースが付着しているせいでせっかくの雰囲気が台無しだ。
諌めたはずのラルドに、呆れ顔で口元を拭われている。絶世の美青年でも、これは流石に間抜けに見えた。




