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第4章 第21話


 ある意味最難関と称しても問題ないであろう、第一関門――身分証の入手を乗り越えた二人を待っていたのは、清々しいほどに順風満帆な日常だった。


 一番大きな変化は、レージに対する宿主の態度の軟化だろう。

 胡散臭い余所者を見る目から一転。幾何もの思い出を育んだ昔馴染みと接するような――愛想の良いニコニコ笑顔で、レージたちを歓迎してくれた。


 きっと現在の姿こそ、彼の本来の接客態度なのだろう。

 警戒心を露骨にみなぎらせていた頃とは、えらい違いだ。他の宿泊客も、心なしかレージに対して向ける視線が柔らかくなったような気がする。

 無意識に顔を合わせることを避けコソコソしていたレージも、ようやく堂々と宿屋――藍佃亭あいでんていを自由に歩き回れるようになった。


「これが、冒険者ギルドの長――直々に印を刻んだ、信頼性の高い身分証だからということもあるのだろうか」


 宿屋街を抜け、いつものように露店市場へと赴いたレージは、じゅくじゅくと沸き立つような脂を滴らせる串焼きを片手に、呑気そうに空を見上げ欠伸をしていた。


 宿主との仲を必要以上に深める理由はないと、今まではそう考えていたが、警戒を解かれ他愛もない世間話なんかをするようになったおかげで、レージを縛り付けていたもう一つの拘束が砂塵の如く弾け、消え失せることとなった。


 衣服を弾く乳肉の如く色艶素晴らしく重みのある肉の塊を見やり、美味そうにかじり付く。

 魔石と魔力結晶を詰めた布袋とは違う――布製の小銭入れの中には、小鳥でも飼っているのかと冗談を言いたくなるような状態の頃からは想像がつかぬほどに、ずっしりとこの町の貨幣が詰まっている。


 勿論――胸を張って言うことではないが――働いて稼いだお金ではない。

 宿主の老人は、この町の貨幣を持たぬレージを慮り、幾つかの魔石をそれ相応の金額で買い取ってくれたのだ。


 今でこそ稼業を引退し、宿主としての職務を全うしている彼も、若い頃はそれなりの功績を残した――結構な腕前の冒険者だったらしい。


 初対面の時に抱いた違和感は、それだったのだろう。いざという時に見せる鋭い眼光も、ただ老いぼれただけではない――傷痕の刻まれた細腕も、過去に積み重ねた栄光の勲章だったのだ。


 魔石の鑑定はお手の物。売却ルートも熟知しているらしく――後から聞いたところ、冒険者ギルドの受付に持っていけば買い取ってくれるとのことだったので、レージが自らの足で赴けば全て解決する話でもあったのだが――釣り銭や買い出し用に手元で保管していた貨幣で、魔石を換金してくれたのだった。


「凄く良い人みたいだったし、俺を泊めてくれたのも――他の宿屋に迷惑をかけないように、っていう、爺さんの配慮だったのかもしれないな」


 節約時代の昼食と比較して若干豪華な肉で彩られた串焼きを味わい、満足げに吐息を零すレージ。お酒こそ手にしていないが、その姿は真っ昼間から豪遊し暴飲暴食に明け暮れる堕落人間のそれでしかない。


 一先ずの生活資金を手にしたレージは、生きるために努力をして日銭を稼がなければ――と湧いていたはずの気概をどこに捨て去ってしまったのか、またしても自堕落な生活を再開させてしまったのだ。


「欲を言うなら、ローズと会えないのが残念だよなぁ。今の生活にローズとの逢瀬も加えれば、一層充足した生活を送ることが出来るのに」


 お手合わせのツケを支払うだけの金銭は所持していないため、あれから――あの日から一度も娼館を訪れていない。


 先ほどまで隣で串焼きと格闘していたメイドがいなくなっていることに気が付き、レージはぐるりと露店市場の周辺に視線を馳せた。


 銀髪の者はさほど珍しくないが、エプロンドレス――元の世界のメイド服を模した黒ニーソ+ミニスカメイド服の組み合わせは、彼女以外で着こなしている者を見たことがない。

 すぐに見つかるだろうと考えていると――案の定、アリシアの姿は即座に発見することが出来た。


 アリシアは、朝食用に用意されたパンの欠片を持って、広場を駆け回る小さな動物(魔物かもしれないなとレージは思った)を追いかけていた。

 踵の高いパンプスにエプロンドレスという明らかに歩き難い格好を物ともせず、健気なメイドさんは子供のように走り回っている。


「アリシアも、変わったよなぁ。ダンジョンを出た最初の頃は、魔物と見れば躊躇いなく串刺しにしてたのに」


 ダンジョンを護衛するために生まれた戦闘用ホムンクルスであるアリシアの本能は、いつでも主を護らんとする強い意志と飽くなき殺戮への探求心で創造されている。

 表情こそ無感動でクールなそれだが、動物を追って広場を駆け回るその姿からは、表情や仕草とはまた別の――人間味のようなものを感じてしまう。


 有り得ない話だ。所詮、彼女は人造の戦士――レージが作った、ホムンクルスだ。制作者とはいえ禁術(現在はセブンスに封印されているが)でポンと出しただけなので、彼女の体内構造や原動力等――知識や情報をどこから仕入れているのかなどに関しては全くの無知だが。これだけは確実に言える。彼女は――アリシアは、人間ではない。


「まあ、だからこそ信頼して夜を共に出来るんだけど」


 絶対に裏切らない、元魔王レージに対して従順なホムンクルスであるが故に、今まで色々な場面で背中を預けて来ることができた。

 弱音の吐露も、危険な悪巧みの密談も、全て――相手がアリシアだからこそ、出来たことだ。

 彼女が生身の人間であったなら――もしかするとレージは、ここまで彼女を信用することは出来なかったかもしれない。


 ようやく人懐っこい個体を見つけ出すことが出来たのか、アリシアは広場に屈み込み、一匹の小動物にパン屑をやり頭を撫でている。

 その平和な光景に暫し視線を馳せた後、レージは意味有り気に小銭入れの中を見やり、プラチナブロンドのロン毛を掻き上げた。


「アリシア」


 感情の温度を感じさせぬ、無感動な眼差しで愛玩動物めいた生物を眺めていた銀髪メイドさんは、主の呼び声に反応し、パタパタと忙しなく駆け寄ってきた。

 ペコリと腰を折った彼女と、目線が交錯する。透き通るようなグレーの瞳が、清廉に瞬く。


 身分証を入手してから今日に至るまで――アリシアが、不調めいたものを訴えることは無かった。いきなり頭部に熱を感じよろけてしまったり、処理速度の落ちた機械のように物も言わずフリーズしてしまったり――少なくともレージの前で、彼女がそのような素振りを見せることは無かった。


「このまま魔石の換金だけで生き永らえるなら、二人でゆっくりと余生を過ごしたいものだけど……」


 レージ個人の堕落思考だけでなく。ダンジョンを出てからのアリシアを襲う不可思議な不具合のことを考えると、前世の生活よろしく頑張らない引きこもり生活を続けていた方が良いのではないかと思う。


 ともあれさしもの元魔王でも、霞を食べて暮らせるわけではない。このまま宿屋を使うなら、宿泊費用もばかにならない。

 それに毎日宿に引きこもっていたら、せっかく回復した宿主からの信頼をまた地に落とす可能性もある。どうせ外をぶらぶらするのなら、何かしら金になることをした方が良いのかもしれない。


「冒険者ギルド、か……」


 身分証を見やり、レージは目を細める。

 転職の概念があるのかどうか知らないが、オーナーの話から推察するに、そう易々とジョブチェンジ出来るとは思えない。当分は冒険者として暮らす他ないのだろう。


 行くだけ行ってみても損はないかと、レージは身分証入手から一週間近くの時を経て、ようやく重い腰を動かすことになったのだった。



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