第3章 第19話
約束の期日を迎えるまでの三日間――自堕落なレージにしては珍しく様々な取り組みに臨んでいたが、彼を取り巻く現状にさしたる変化は訪れなかった。
やはり身分証を持たぬというのが大きい。
ギルドに見学に赴いても、登録まで進むことが出来ないうえ、始終不法入国者――この場合国ではなく、世界、つまり不法入界者とでも呼ぶべきだろうか――であることを悟られまいかと怯えながらの来訪であったため、普段の調子が出せなかったのだ。
やはり足元がしっかりしていないというのは落ち着かない。心のどこかに引っかかりがあるせいか上の空になることも多く、予想通りの結果を手にすることは出来なかった。
とはいえ、未収穫のまま――ただだらだらと期日までの日々を無駄に浪費していたわけではない。
宿で配られる朝食用のパンをかじりながら、レージはアリシアと共に宿屋街近くの広場で優雅に日光浴と洒落込んでいた。
流石は人種差別を良しとしない町だ。旅の者だと告げるだけで、各々のギルドの職員たちはレージたちに自分たちの属するギルドがどのような業務を請け負っているのか、端的に説明してくれた。
身分証の有無を問われることも無かった。登録まで進むのであれば必須案件なのだろうが、訪客一人一人にわざわざ提示を義務付ける必要もないのだろう。
「結構色々な職業ギルドがあったけど、時間も身体も縛られず――しかも目立たず楽に稼げる職なんて、そんな都合の良いものは無かったな」
だからといってこのまま無職を貫けば将来的に資金が枯渇するのは分かりきったことであるため、今回は妥協案を打つことで話をつけることにした。
この中で譲れぬ――最重要案件は、何より目立たないことだ。他の条件はレージのさじ加減でどうとでもなるが、邪神に喧嘩を売るようなことだけは避けておきたい。
時間も身体も縛られることのない――依頼さえ済ませば残りの時間は自由に消費可能な職業も、あるにはあった。
大方の予想通り、冒険者ギルドだ。魔王として魔導を極めたレージにとって魔物の討伐や害虫駆除、はたまたダンジョン攻略など大した手間にはならない。
一番、レージに合っている職種だとは思う。
「わたしは、冒険者ギルドが一番レージ様に合っていると思います。これならわたしもお役に立てると思いますし、時間や人間関係などで不都合を感じる場面も少ないのではないでしょうか」
戦闘用ホムンクルスである戦うメイドさんは、乗り気のようだった。
時間も身体も束縛されず、かつ戦う能力さえ持ち合わせていれば誰でも登録可能。この町は国の端っこの方に存在し、すぐ傍に魔物の生息する樹林や森林などが多くあるため、いつでも人手不足で困っています! とのことだった。
異国の流浪人や一攫千金を求め旅する戦士なんかがこの町に訪れ、一時的に登録し、いつの間にか去っていることもザラなのだとか。
特に詳細な審査などもなく、身分を証明出来るものがあればすぐにでも登録出来ますよと、にこやかにお勧めされた。
「俺も冒険者が一番適してると思うんだけど、どうもな……」
「何か問題でも?」
「問題っていうか、疑念っていうか、はたまたジンクスというべきなのか――。何かしらの不可抗力に襲われて、物凄い勢いで目立つ羽目になりそうだ」
「そうですか?」
口元に付いたパン屑を上品に拭いながら、アリシアは不思議そうにこてんと顔を横に倒す。
さしたる根拠はないのだが、レージの中に眠る前世の本能が「それだけはやめとけ」と頻りに訴えている。
「セブンスに見つかったら、今のこの生活すら奪われちまうかもしれないからな……。出来る限り、余計なことはしないようにしなければ」
「……女性が困っていたら、迷わず助けに入るのにですか?」
「そこを突かれると弱いけど。結果的に身分証を手に入れるきっかけになったんだから、良かったんだよアレは」
――その身分証の入手自体、まだ心の奥底では疑っているのだが。
正論を、おぼろげな結果論で誤魔化すレージ。抑揚のないクールな声音で継がれたからか、言葉尻から嫌味っぽさや皮肉っぽさは感じられなかった。
「冒険者ギルドに登録するかどうかは保留にしておくとして――。一つに絞らず、選択肢を幾つか挙げておいた方が都合が良いだろ」
楽に稼げる――に関しては、この際置いておくとして。目立たずそして、時間や身体を縛られない職種を選んでおくことにする。
住み難さを感じたら、異国へと旅立つ可能性も考慮にいれておく。始める前から逃げることを前提に考えるのもどうかと思うが、重要なポストを任されたところで(十中八九ないとは思っているが)、何かしらの事情により雲隠れする羽目になったら、多方面に迷惑がかかってしまう。
そういうのは避けたい。単に責任をとらされるのが嫌なだけだが。
「農業ギルドは、目立たない以外の条件をことごとく外れてるから却下。商人ギルドは、自分の露店を出すには色々と審査が厳しいことと、周辺の店主たちとの人間関係やら付き合いやらで時間も身体も縛られるから、あまり気が進まないなあ……。信用が生命らしいし、胡散臭い余所者にはちと厳しいかもしれない」
そういえば娼館を運営する人間や護衛――傭兵だろうか――を募集しているようなギルドは無かったなと、レージは思考を巡らせる。
別にそういった職に就きたいわけでは無かったが、何となく気になってしまったというのが実情だ。非合法の団体とかではないだろうかと、レージは悪い予感が的中しないことを祈った。
「手工業ギルドも、弟子入り経験無しに創作しても買い取って貰える可能性は低いって話だったからな」
手工業ギルドに関してはやや特殊な体制を取っているようで、決められた時間は延々と作業に没頭する所謂使用人めいた扱いをされる者と、注文を請けてから期日までに自分のペースで作成に取り掛かる者と――他にも色々な作業体制を取っているらしいが、詳しいことは登録が確定してから徐々にとのことだった。
量産するものか、一度きりの大きな買い物かの差なのだろう。前者はレージが最も嫌う仕組みであるため、必然的に後者かその他の組織に組み込まれることとなるのだろう。無論、こちらに選ぶ権利があると仮定しての話だ。
「でもゼロというわけではないんですよね」
「ああ、良い物を作れば売れるらしいし、商人ギルドとは違うから、販売ルートを自分の手で開拓する必要はないみたいだしな」
土の魔導や火の魔導――現代日本での知識を駆使して、この世界の住人では思いつかないような、あっと驚く新製品を生み出すことが出来れば、売れるのではないかと、レージは前世の頃に読み漁った創作物を思い出しながら、そんなことを考えていた。
「……いや、それだと結局目立つからダメなのか。常人の持つ能力の範疇で、人より楽を出来るようにしないといけない。……うへぇ、考えるのが面倒臭くなってきた」
このまま全部忘れて堕落したいなあなんて思いながら、レージは伸びをしながら天を仰いだ。
透き通るような蒼天に、薄雲を突き抜けた日光が眩い乱反射を映している。多角形に滲み重なる光の膜を暫し見つめてから、レージは気怠げな吐息を漏らし立ち上がった。
「一先ず、オーナーに会いに行ってみるか。約束の期日は、訪れているわけだし」
このまま「登録できたとして」と仮定の話を続けていても、確かな答えが出る見込みは無さそうだ。
一応の用心はしつつ、娼館へと急いだのだった。




