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第2章 第15話

 ローズに連れて行かれた場所は、お城のような建物の立ち並ぶ、奇妙な場所だった。

 二階建てか三階建て程度の石造りの建家は、お伽噺の世界に出てくるような、ポピュラーなお城を想起させる形状をしている。天辺の小窓が開き、鳩時計よろしくお姫様が現れ、美麗な声音で艶やかなメロディを奏でる――そんな光景が思い浮かぶ。


 角筒状に積み上げられた壁面に帽子の如く乗っかった三角屋根は、天を貫くようにそびえ立っていた。


 引きこもり気質なレージは、海外旅行等をしたことはない。故に、女の子の理想とお菓子のように甘いファンタジックさを兼ね備えた異国のお城を、直接視認した覚えはないのだが。既視感めいたものを感じるのは、レージの思い違いだろうか。


 本能に直接語りかけてくるような――果実や花卉とは違う、人工的な甘ったるい匂いが漂ってくる。

 退廃的な空気を醸し出す、異質な空間。人を堕落させるような、意図的に作られたであろう蠱惑的な何かがここに充満しているような気がする。


 だが不思議と悪い気はしない。周囲に樹木が多いためか、真昼間だというのに、些か薄暗いというのが少し気になるところだが。


「宿屋街とか露店市場のものと比べて、立派な建物だな。てっきり、木造建築が主流なのかと思ってたけど」


 視線を馳せると、ローズと同じ格好をした――薄布は纏っていたが――女たちが、鎧を着込んだ男性と談笑している光景が目に入った。


 身体の線がモロに露呈した衣装のまま、楽しそうに立ち話に興じる女人たち。扇情的な衣装ということもあるのだろう。一つ一つの仕草が艶めかしく、目を離すことが出来ない。

 昨日見かけた露出過多な女性たちは、ここで働いている人たちだったのだなと、レージは納得した。


 鎧姿の男性に何かを頼まれたのか、女性の一人はしなやかな腕を上に伸ばし、腰を揺らして華麗なステップを踏み始めた。

 男性たちは歓声を上げ、拍手をしながら、ひゅぅと尻上がりな口笛を吹く。

 ダンスでも踊っているのだろうか。


「綺麗な方が多いですね」

「私たちにとって、顔も身体も大切な資本だから。両方兼ね備えていない娘は、最初からこの職業に就いたりしないわ」


 誇らしそうな顔で髪を払い、ローズはレージを見上げて茶目っ気たっぷりに笑みを浮かべる。

 そういえば、何をしている人なのか聞きそびれていた。


「失礼ですが、ご職業は」

「毎日頑張ってる冒険者の方とか、お仕事終わりの傭兵さんたちを癒してあげるお仕事――って言うと、難しく聞こえちゃうかもしれないけど。簡単に言うなら、娼婦ってやつかしら」


 ころころとくすぐったい声で笑いながら、ローズは何でもないようにそんなことを言う。

 腰をくねらせ、コンとレージの脇腹に当てるローズ。何気ない接触に色香が弾け、反射的に姿勢を正す元魔王。

 その挑戦的な仕草に、胸が高鳴ってしまう。


 職業に偏見を持つわけではないが、レージだって健全な男の子。もしかしてお礼とはそういうことだろうかと、レージは期待のあまり緩みそうな顔を必死で留める。

 オーナーを呼んでくるから待っててねと紡ぎ、ローズはお城のような建物――正式な名称は存知ないが、暫定的に娼館とでも呼ぶことにしよう――の中へ入って行った。


 その背中が見えなくなるまで、じっと見つめていたレージだったが。ようやく隣で半眼を見せるメイドさんに気が付いたらしく、一瞬だけギョッとした顔を見せた後、コホンとわざとらしく咳払いをしてみせた。


 ホムンクルスも、一丁前に嫉妬したりするのだろうか。それとも単に、目先の悦楽に釣られて、無計画かつ無防備にホイホイ付いて行ってしまう主に幻滅しているのだろうか。間違いなく後者だろうなと、レージは己の浅はかな行動を自省する。


「随分と、目立たない場所にあるのですね」

「大っぴらに営むことを禁じられているのかもしれないな。性風俗に対する風当たりが、どの程度のものなのかは知らないけど」

「その割に、建物は立派で――護衛の方を雇ったりなど、資金面に関しての苦労はあまり感じさせません」


 こそりと継がれた台詞に、レージは首肯する。

 建物が無駄に豪奢なのは、言わずもがな。先ほど娼婦らしき女性に舞を躍らせていた鎧姿の男性も、通りすがりの客ではなく、周辺を護衛している傭兵か何かだと思われる。

 儲かっているから怪しいと決めつけるのは、視野狭窄も甚だしい――真面目に成功を収めている経営者に失礼な話だが。何かしら、資金源を確保する手段を持っているということは間違いないだろう。


「そもそも隠れて経営しているってこと自体、偏見なのかもしれない。立地条件が悪いだけで、案外繁盛してるのかもしれないしな」


 もう少し話していたかったが、アリシアが口を開きかけたところで、丁度ローズが手を振って戻って来たので、根も葉もない偏見に塗れた元魔王とメイドの会話は、一旦幕を閉じることとなった。




 ◇◇◇




 衣装を着直したローズと共に現れたのは、小柄――と表現するにはあまりに小さく、いかにもな成金を想起させる男性だった。


 頭頂部から綺麗に下ろされたおかっぱ頭は、整髪料で固めたようにペッタリしており、つやっつやに黒光りしている。遠目に見れば、ヘルメットを被っているように錯覚してもおかしくないだろう。


 無理矢理何かに喩えるとすれば、シイタケのような男だと言えば分かりやすいだろうか。

 だが彼の特異な個所は、髪型や身長など所謂身体的な特徴だけではない。レージが彼に対して最初に抱いた印象は、小男でもキノコヘアでもなく、「金ピカ」であった。


 身体の至る所に、金や銀に煌めく装飾を引っかけたその姿は、まさに歩くアクセサリーと呼んでも過言ではない。

 指に嵌めたリングを揺らし、オーナーを名乗る男性は、ただでさえ小さな身体を丸め、下手に出るような素振りを見せながらへこへこと頭を下げ、捲し立てるように感謝の言葉と迷惑をかけたことに関する謝罪の言葉をマシンガンの如く叩きつけてきた。


「いやはや、この度はうちのプリム(・・・)を窮地より救っていただき、誠に有難く存じます、はい。プリムはうちのナンバーワンの娘でありまして、彼女が無事でしたことは何よりの幸福でございます。ぜひお礼をさせていただきたく存じまして、はい」


 過剰装飾も甚だしい、豪奢を通り越して贅沢の暴力と呼びたくなるような衣服に身を包み、ひたすら謝辞を紡ぐオーナー。ここまで大仰な対応をされると少し思うところも出てきてしまうが、無表情を貫くメイドさんに倣って、レージも笑顔で謝辞の嵐を受け流していた。


「普段は護衛を携行しているのですが、今朝に限って目を離してしまいまして……。旦那様には感謝の気持ちしかありませんです、はい」


 揉み手をしながら顔を上げ、ニッと歯を見せるオーナー。前歯のほとんどが金歯だ。

 治癒の魔導の発達した世界。歯を削り治療するという常識はないはずだ。豪華に見せるため、わざわざ被せたのだろう。


 ニコニコと満面の笑みを浮かべて揉み手するオーナーに笑顔で返し、視線を揺らす。視界に、桃色の髪が映る。長い睫毛に包まれた薄紅色の瞳が瞬き、柔らかく細められる。

 休みなく喋り続けていたオーナーの隣で静かに佇んでいたローズは、レージの視線に気が付き、花が咲くようにすぼめられた唇から、ふぅと甘い吐息を零した。


「もしご迷惑でなければだけど、お礼がしたいの。私たちの感謝の気持ち、受け取ってくれるかな?」


 身体をくねらせ、科を作るローズ。さりげなくレージの隣まで歩み寄り、至極自然な動作で腕を絡める。

 コン――と、脇腹に腰を当てる。ほんのりと上気した頬が色っぽい。垂れ目がちな瞳は潤み、何かを期待するような眼差しで、じーっとレージの顔を見つめている。


「お礼、ですか」


 無意識に生唾を飲み下し、ゴクンと喉が鳴る。

 プラチナブロンドの長髪を手で払い、どうにか平静を装おうと試みるが。しなやかな四肢を絡め身体をまさぐってくるローズの接触に、冷静な思考はあっけなく消え失せてしまう。


 すれ違う女の十人中八人は振り返るであろう線の細い美青年顔が、堕落した雄の顔へ徐々に変貌していく。


 せっかくの端正な顔立ちをゲヘゲヘと崩す堕落魔王。そんな主の痴態を目の当たりにしたアリシアだったが、呆れのためか諦めのためか、今回は何も言わず無表情なままレージとローズを眺めていた。


「当館ナンバーワンの娘でございます。ぜひ、可愛がっていただけたらと」


 オーナーに背中を押されたレージは、辛うじて残っていた理性を躊躇いなく捨ててしまった。



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