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第2章 第11話

 ――昨夜はお楽しみでしたね。



 そんなギスギスした空気を一変させるジョークを宿主から一発でもかましてくれないかなと期待したが。そんな淡い希望は無残にも打ち砕かれた。


 そういえば食事の話を聞いていなかったなと思い出したのは、文字通り夜を楽しんだ後、じんわりと広がる気怠さに酔いしれている最中だった。


 ともあれ、まさか真夜中に主人を叩き起こし、食事はどうなっているのか問い質すほど、レージは常識外れな人間ではない。

 悩みも辛みも煩悩と纏めて吐き出したレージは眠気と怠さでぼんやりとした頭を働かせ、明日の朝起きたら直接聞けば良いかと思考に決着を付けて、そのまま幸せな眠りに落ちたのだが。

 今となっては、明日になれば分かるだろうと楽観視していた昨晩の自分が恨めしかった。


 カウンターに宿主の姿は無く、代わりに「一人一個」と書かれた札と共に、何も乗っていない皿だけが残されていた。

 真っ白な皿を良く見ると、パン屑らしき欠片が残っていた。きっとこの皿の上には、食用のパンか何かが置かれていたのだろう。


 世の中には様々な人間がいる。一人一個と書かれているからと、馬鹿正直に自分の分だけを持っていく――純真な人間だけで世界は回っていない。

 レージが来る前に、誰かがレージやアリシアたちの分も食べてしまったのだろう。


「まさか、あえて俺たちの分だけ用意してなかったとか、そんなことはあるまいな」


 根は温厚そうな老人だったが。彼から見たレージの第一印象は最悪なものだろう。

 身分証もない。面倒事はすぐにカネで解決しようとする。女連れの余所者。信用できる要素が一つも見当たらない。

 故に今朝は悪いイメージを払拭し、地に落ちた印象を挽回しようと思っていたのだが。まさか顔すら合わせる機会がないとは思わなかった。


 レージの計画では、まず二人仲良くイチャつきながら階段を半分程度降り、カウンターの宿主と目が合ったところで、ギョッとした素振りを見せてさりげなく身体を離し、わざとらしく顔を背け合いながらも、二人並んで階段を下りて行く――と、そんな感じの予定だった。


 老人とはいえ、宿主も男性だ。アリシアがホムンクルスであることを彼は知る由もないし、きっと深い仲の男女だと誤解しているに違いない。

 あからさまに初心な態度をとっていれば、宿主のテンプレとも言える発言――つまり上述のアレだ――を、さりげなくかましてくると思ったのだ。


 宿主と仲良くなろうとは微塵も思っていないが、怪しまれているというのも中々にキツいものだ。

 不審な客から、気さくな客程度にランクアップ出来れば良いなと、その程度の野望だったが。構う構わない以前に、言葉すら交わすことが叶わないとは。


「お一人で経営なさっているようですし、まだ寝ているのかもしれませんね」


 板張りの床をパンプスの爪先で叩き、アリシアはカウンターから身を乗り出して中の様子を眺めた。

 人の気配は皆無。まあ、すぐに起きて仕事に取り掛かるのなら、わざわざ札まで立てて、無人のカウンターに朝飯を置いて行くような真似はしないだろう。


「冒険者用の宿なのかもしれないな。日中は閉めておいて、帰宅時間――夕暮れから夜間にかけて営業している。寝る前に朝食の用意だけして、後は勝手にどうぞって感じかな」


 不用心だなと思ったが、客用の出入り口には何故か内側から鍵がかかっていた。

 入り口はどうやら特殊な構造をしているらしく、外側から閉めると中から勝手に鍵がかかる仕組みになっているらしい。

 買い出しに行くときなどはどうしているのだろう。カウンターの向こう側に、勝手口なんかがあるのだろうか。


「それか多分、どこかに動作を解除する仕掛けがあるんだろうな」


 このままカウンターの前で待っていれば、清掃のために出てきた宿主と会えるかなとも思ったが。

 洒落にならないレベルで空っぽの胃が警鐘を鳴らし始めたので、レージはアリシアを連れて宿から出ることにした。




 ◇◇◇




「いやしかし、褐色の女からこの町の貨幣を貰って(・・・)おいて良かったな」


 露店で買った串焼きのようなものを頬張りながら、レージはあっけらかんとした風でそんなことをのたまう。


 何の肉かは知らないが、その辺で見つけた魔物をカラッと焼いたよりかは断然美味だ。


 他人から貰ったもとい奪ったお金でどうにか朝食にありついたレージは、一先ず餓鬼道から逃れたことに安堵しつつ、未だ解決の見込みの立っていない難題に頭を悩ませる。


「兎にも角にも、身分証がないと何も出来ないみたいだしな……」


 不都合無く使えるこの町の貨幣は、ごく僅か。魔石や魔力結晶を持っているとはいえ、湯水の如く湧き出てくるものではない。

 このままここで生活するなら、多少なりとも日銭を稼がなければならないだろう。


 だがレージは、働くのが嫌いだ。時間やノルマを指定され、労働の対価に金銭を受け取る――そんな一般的なことですら、面倒臭くてやりたくないというのが本音だった。

 好きな時に好きなことをしてお金が貰えたら良いのにと、レージは青い空を見上げながらそんなことを思う。


 呪術用の人形だとか可愛らしい置物だとかを土の魔導で生成し、通りに立ち並ぶ露店に紛れてそれを売り捌くというのも考えたが。

 どうやらこの町では、勝手に露店を開いたりフリーマーケットよろしく自作の人形や不必要になった日用雑貨などを売ることは、禁止されているようなのだ。


 商売をしたければ、国の認可が下りた職業ギルドに登録し、許可をとらなければならない。勿論ギルドの登録には、身分証が必要だ。


「宿主の爺さんも、ギルドで発行された身分証なら他国のでも構わない――とか言ってたし、酷い田舎とかじゃ無ければ、どこの国も同じような感じなんだろうな」


 逆に言えば、この町で身分証を手に入れることさえ出来れば、いずれ異国へ旅することになっても、同じ轍を踏むことにはならずに済むだろう。

 ついでに言うなら、今ここで異国へ逃亡しても、結局同じ問題がレージの前に立ちはだかるだけだ。むしろ余計に旅費がかかるため、状況が悪化する可能性もある。

 努力することは好まないが、最低限の生活を手にするためには、ある程度は妥協しなければならない。


「身分証を手に入れて、手工業ギルドとかその辺のギルドに登録して――自作の置物か何かを売って暮らすのが、理想かな……」

「農業ギルドというものもあるみたいですね。自給自足の生活というのも、レージ様には合っているのではないでしょうか」

「家庭菜園程度なら、俺の爺ちゃんもやってたし、出来るかもしれないけど――。職業――儲けるための事業としてやるのは、結構大変だって聞くな」


 自分たちだけで消費する――出来が悪かろうが、誰からも文句を言われない。それならともかく、売り物として育てるにはそれ相応の苦労もあるだろう。


 確かに気心の知れたアリシアと二人きりで、小さな菜園なんかを作って静かに暮らす――というのも、中々に憧れる未来かもしれないが。

 学校で育てていたヘチマすら枯らすようなレージが、一朝一夕の努力で、理想の畑を作れるとは思えなかった。


「まあ人生プランを固めるのは、身分証を手に入れてからだ。――って言っても、どうすれば良いのかてんで見当もつかないんだけどな」


 ギルド関連の情報は、買い物ついでに店主などから仕入れることが出来たが。幾らなんでも、身分証を手に入れる方法を教えて貰うわけにはいかない。

 部外者が(そもそもこの世界に生を受けて、身分証を持っていない人間がどれくらいいるのか知らないが)そう易々と身分証を作れるなら、それはもうただの板切れと同様――何の価値も生まないだろう。


 気が付けば商店街を抜け、ひと気の少ない通りへと出てしまっていた。

 地図はおろか案内板のようなものすらないため、土地勘のないレージには、自分たちが今どこを歩いているのかすら分からなくなってしまった。


 鬱蒼と茂った樹木が、行く手を塞ぐ。吹き抜ける風はじめりとした嫌な湿気を帯びており、腐葉土を触った後の手のような、独特な匂いを運んでくる。

 日当たりも悪く、肌を撫でる外気も心なしか冷たいような気がする。


「戻りましょうか」

「ああ、そうだな」


 これ以上進んでも、これといった収穫はないだろう。

 木の根を踏みつける薄汚れた石には、深緑色の苔がへばりついている。

 引きこもり気質のあるレージだが、この湿気具合は、あまり良い気分がしなかった。


 こぶし大の甲虫の死骸が引っくり返っているのを見つけ、不快な気分になる。

 これ以上変なものを見つけては敵わないと、机に零した栄養ドリンクを思い起こさせる、どろりとした体液の汁溜まりを踏まないよう気を付けながら、レージは顔を背けながら駆け出そうとして――おもむろに立ち止まった。


 地面にはろくなものが落ちていないと、無意識に顔を上に向けたのが悪かったのか。

 レージは見てしまった。日光を求め細く伸びた枝の先に、白っぽい布キレが引っかかっているのを。


「……え、あ、あれ?」


 亜麻色の幻想が脳裏に蘇る。

 何となく見覚えのあるそれは、冷たい風に煽られてふわりと広がる。

 風の悪戯か重みにより枝がしなったのか、白い布がレージの目の前にバサリと落ちた。


「どうかなさいましたか?」

「いや、何ていうか。アリシア……。多分これって昨日の――」


 最後まで言い終わる前に、その言葉は喉の奥へ飲み込まれてしまう。


 悲鳴が、聞こえた。

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