木枯らしの吹く世界
謁見後の深夜、つまりは俺が異世界で覚醒して初めて迎える夜。やはりというか、俺にとってはそれほど“異”と感じる場所ではないようで、寝付けない、ということはなかった。が、二人はそうもいかないのだろう。訪れた要の部屋で、彼はベッドにも入らず渡されていたこの国の書物を読んでいた。小さな花を模した灯りを丸いテーブルの上において本を読むさまは、ポスターにでもできそうなほど様になっている。集中していて入ってきた俺に気づかない要に、俺は苦笑しながら開きっぱなしのドアをノックをする。
「稲目、お前も寝れないのか」
「まあね、ちょっと付き合えよ」
勝手にベッドに腰を下ろして、要を仰ぎ見る。彼は肩をすくめると、本を閉じて俺に椅子を向けた。長い付き合いだ。俺が世間話をしに来たわけではないことは、とっくに伝わっている。
「魔王を倒してって言われたって言ってたけどさ、具体的にどういわれたわけ?」
結局謁見で聞く暇がなかったことを確認する。かなり大事なことなのにはしょってくるから、あの王は賢王ではないのだろう。悪いというほどでもないが。
「俺たちが聞かされたのは、300年ごとに現れる魔王の周期が来たということだけだ。どうやら、実際に魔王が現れたという情報はないらしい」
「へー、またアバウトな理由で召喚なんてやったな」
この国、というか世界は、召喚を行ったことがないはずだが。
「300年、暦は教えられたか?」
「ストウェイダン歴。今は1113年だそうだ」
リアが勇者として魔王を倒したのが813年の事だった。たしかに、300年経っている。むしろ、300年しかたっていない。俺たちは2代目のリアに続いた3代目勇者というわけだ。魔王進行についてはリアの前に二度あったのだが、二回目は勇者抜きで倒している。
「まあ、年号的にはあっているが、そんな不確かな情報でよく勇者なんて引き受けたな」
リアはまだ魔王が復活する10年も前に信託を受けていたが、今回はぎりぎりだ。これも光の女神がいないためか。リアの代の時は、リアが選ばれる前から被害は甚大だった。魔大陸に近い国は大陸からの浸食に怯え、闇の眷属たちはこぞって魔王についた。国中戦々恐々として、不の感情に満ちていたものだ。その点、この国の王や王女からそういった緊迫感は感じなかった。勇者を渇望しているのは伝わったが、それだけのように感じる。
しかし、要は険しい顔をして、俺に窓の外を見るよう促した。部屋の窓は臙脂のカーテンが閉まっていて、故意に開けなければ外は見えない。故に、というか時間もなかったので、俺はまだ外の景色を見ていない。
俺は促されるまま、立ち上がってカーテンを開けた。
広がるのは、闇だった。城のすぐ外であるというのに、城下町の明かりが見えない。夜まで活気がありそうな町が存在しない。目を疑って凝らしてみるが、慣れてきた視界に映ったのは、枯れた木々の枝だった。
「夜が明ければもっと状況が見える。外に広がるのは土と、枯れ木の色だけだ。加えて奇病が蔓延しているらしい」
「奇病?」
「倒れて、動けなくなる。体から生気が抜けるような病気だと、宰相は言っていた」
「なんでそんなことに」
王や王女から感じた勇者に対する渇望は現状打破の活路が見いだせなかったから。魔王のように、明確な武力行使の対象が存在しないから。であるならば、この世界はなんて悲しみと死に満ちているのだろう。リアの救ったあの時代よりもひどく、世界が疲弊しているのか。
魔王のせいか。はたまた――光の女神がいないせいか。
どちらにせよ、俺はこの世界を――
「救わないといけないか」
唐突にかけられた心を見透かす言葉に、俺はぎょっとして椅子に座る要を見る。すっとうちまで入るように澄んだ瞳。ときたま、要はこんな目をする。真直ぐにこちらを見つめて、嘘やごまかしを許さない。
何も言えなくなった俺に、要は口元を緩めた。
「図星だろ?なんせ、稲目は俺らなんかよりよっぽど勇者らしいから」
「……なんだよそれ」
「わかるだろ?勇者なんて柄じゃないことを引き受けた俺らの理由」
わかるだろ、なんてずるい言葉。
「……由奈は、優しいから、こんな光景見せられたら、手を差し伸べたくなるだろうし……俺らが一緒なら、怖いともほとんど思わないだろうな」
「そうだな、三人でいることに一番依存しているのは由奈だろう」
「要は……こんな世界で暮らしたくないから。帰れる見込み、無いだろうし」
「帰れる見込みは全部終わったら女神が、とか言ってた」
「神頼みか」
「この世界は神が身近なんだろう」
それはさっき会話した俺が身をもって実感してる。
「俺と由奈はお前が思ったような理由で行動している。勇者という名に合うような崇高な理念は持ち合わせていないんだ。だが、稲目、お前はきっとこの光景を見れば、勇者という名にふさわしい感情を持つだろうと俺は思う」
とうとう立ち上がった要が俺の隣に並ぶ。月明りすらもない外の闇を傍らに、小さな明りに照らされた彼の表情は先ほどから痛く真剣だ。
知っていた。要と由奈が俺を友人としてだけでなく、恩人と思って慕っていることを。それは過去のもろもろによるもので、俺のエゴと二人の意思によって引き起こされたと俺は考えているが、二人は俺のエゴの部分に恩義を感じている。だからか、俺に理想を見るのだろう。
俺は目をそらす。確かに、俺は勇者なのだろう。リアとしての記憶も相まって、この世界の人々のために何かをしたいという思いがある。が、それと同時にリアとして味わったあの無力感がよみがえるのだ。リアは、負けたのだ。負けて、呪いを受け、仲間の死を看取って自身も若くして死した。彼女は悔しさと、無念を持って死んだのだ。それを受け継いだ俺は、彼女の燃える使命感と共に負の感情も受け継いだ。
綺麗な理想を信じる勇者ではないのだ。
だから。
「俺は勇者ではないよ」
もう、勇者でなくていい。
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