それはいわゆる 上
光に目を瞑った刹那の内に飛ばされたそこは、二人の見知らぬ土地だった。四方に柱が立つ祭壇のような場所。数段下に数名の人が見える。誰もが民族衣装のような珍しい服を着ていて、演劇部か何かのようだ。しかし、その髪の色や顔かたちから、ここが日本である可能性は限りなく低い。人々は誰もが信じられないものを見るかのような表情をしてこちらを見上げていた。ステンドグラスの明かりが神々しく、自分たちにあたっている。
要と由奈は互いに目を合わせ、首を振る。こんな場所は知らないし、心当たりもない。そして傍らで横たわるかけがえのない友人を見つけてぎょっとした。慌てて肩を揺さぶるも反応がない。口に手を当ててみれば息があり、二人は一応安心する
意味が分からなかった。帰宅するはずであったのに、見知らぬ場所にいれば混乱するのも当然だ。
「勇者様!」
可愛らしい声が広い空間に響いた。
少女は要たちとたいして変わらない年恰好に見えたが、金の髪とその美貌、そして着ている華やかなドレスは住む世界の違いを思わせた。まさにお姫様。実際に後ろの付き人らしき武装した男が姫と呼んだのを聞いて、二人はここが確実に日本でないことを知った。
「勇者?」
「私たちのことかな……」
要は眉をしかめ、由奈は不安げに瞳を揺らす。創作物は純文学や恋愛ものくらいしかたしなまない二人は、自分たちに向けられた言葉に余計に混乱した。少しでもライトノベルなどを読んでいた理斗ならば状況の整理もついたのかもしれない。未だ目を覚まさない彼を背に隠し、要は立ち上がると階段を上がってきた少女に相対した。
「警戒せずともよいのです。私たちはあなた方に危害を加えることはありません。寧ろ頭を下げてあなた方に助けを請う立場にあるのですから」
そういうと、少女は徐に膝をついた。祈るように手を組んで、様子をうかがう要に向かって頭を垂れる。
「勇者様、先に身勝手にお呼びだてしたことをお詫びいたします」
いつの間にか、段の下にいた身ぎれいな人々までも膝をついていた。皆服が汚れてしまうのではとずれたことを考えてしまう由奈だったが、続いた言葉にぎょっと少女を見つめた。
「どうか、私たちを助けてください。魔王を、打ち滅ぼしてください」
魔王?それはファンタジーにいるあの悪の権化のことだろうか?二人は乏しい知識を総動員して、しかし理解したくなかった。
「まず、現状の説明を……いや、それよりどこか横になれるところを。友人が目を覚まさない」
理斗がいるときの方がいいと判断した要はそう言って後ろにかばっていた友人を見せる。
「……起きないのですか?」
露骨に歪む少女の表情。二人は嫌な予感に背筋が寒くなった。
「シーナ、ガラク、勇者が起きないという可能性は?」
名を呼ばれたのはこれ見よがしに三角帽子をかぶる男女であった。
「そ、想定外です。召喚には対象にもそれなりに負荷がかかりますから、そのためかもしれませんが……」
「負荷に耐えられなかったとなると、ご友人は……」
濁った言葉尻。なんだ、と要が答えた二人を睨み付ける。
「私からお答えします。お二方とも、自身の左手の甲をご覧ください」
言われ、二人は恐る恐る自身の手の甲を見た。要は丁度理斗に手袋を貸して片方だけ素手だったそこを、由奈は白い肌があるべきそこを。それぞれに見て、そして驚きの声をあげる。彼らの甲には、朱色で不思議な文様が刻まれていた。曲線で何かの花のようなものをあしらっている。
「それは勇者である証です。信託をくださる光の女神を象徴しています」
「これで、俺たちは勇者だというのか」
「はい。そして、その、ご友人の手の甲も確認してみてくださいませんか?」
由奈ははっとした。さっき濁したのはある可能性を示唆しているのではないか。要が振り返る。目が合い、由奈は急ぎ眠る理斗の左手の手袋を外した。
「あ……」
まっさらな左手甲。愕然とする由奈に何かを見つけたらしい要が「違う」とつぶやく。
「こっちだ」
要の取ったのは右手。姫はそんなはずはないと口に手を添えながらも、その甲を見て、目を見開いた。
理斗の右手の甲には、文献にある古の呪いのような、黒色の六芒星があった。
◇
長い夢を見た。
赤い髪の少女が、勇者として人々を守り戦う夢。出会いがあり、未来のための別れがあり、これからの無い死別を乗り越えて悪と戦う、いうなればヒロイックファンタジーのような物語。物語というには生々しい感覚と感情が流れ込んでいるが、やはり画面の中を見ているような疎外感がある。
だが、この物語が夢でも虚構でもないことを俺は知っていた。自分は確かに、少女として使命に燃え、大切な人々のために戦ったのだ。これは別の世界の遠い古の記憶。稲目理斗の生まれる前の、前世の記憶。
『そう、あなたは稲目理斗であり、そしてリア・シアーナ』
厳かさを纏った声がかけられた。聞いたことはないが、どこか懐かしい女性の声。
「女神さま?」
俺はふとそう思った。俺の中のリアが信託を受けた光景を思い出していた。
『あなたに会ったのは光の女神。そして私は闇の女神。私たちは対の女神。本来勇者への信託は光の女神が行います。しかしそれができないので、私がここにいます』
声は淡々と述べた。これからリアの過ごした世界へ行かなければならないことは何となく分かっていたが、まだ実感がないのも事実。とはいえ、俺の中にあるリアの記憶によれば、彼女の世界ストウェイダンは異世界からの勇者召喚を行ったことはない。つまりふさわしい人の元へ女神が信託を下すことで勇者と呼ばれるのである。
「女神が信託を下せない何かがあったってこと?」
『だから、私はここにいます』
視界が揺らめいた。
現れた漆黒の衣をまとう優麗な美女は、胸元に両手を当てて俺に言った。
『あなたに、託したい使命があります』
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