それは真っ赤な
イーズ・セレスティアは騎士職について初めて、死の危険を感じていた。騎士団といえど魔物と相対することばかりが仕事というわけでもなく、むしろ最近は警護や護衛といった守備の仕事がメインで、危険な仕事は離れたところから敵を攻撃できる魔法師団が行うことがもっぱらだ。故に、期待の新星であるイーズであっても、魔物の討伐経験はそれほど多くはない。近隣の森や、それこそこの迷宮で鍛錬がてら格下を相手にするくらいである。はるか格上に立ち向かうなど、魔法師団なしで、ましてやまともに戦えるのが己一人の状況では、想定外のことであった。
食肉用家畜モウムに似た頭を持ち、鬼族にも劣らない角を持った二足歩行の怪物は、想定外の、はるかな格上に違いなかった。
もとより、こんな怪物はこの迷宮にはいない。この迷宮の魔物は騎士団が近隣の格下を捕縛して離しているのだ。自然に生まれるなどありえないし、ましてや昔からいたというのも考えにくい。が、この部屋自体、未確認の場所だ。
何もかも、想定外で予想外で、イーズの処理できる限界を超えていた。
だからこそ、戦う力のない異世界の客人に逃げろを言ったが、それも無理らしい。確かに、半円のこの場所に逃げ場所などあろうはずもなかったが、それでも、武人ですらない巻き込まれた少年を逃がしてやりたいというのが、イーズの心情であった。
怪物が棍棒を振りかぶる。後ろに庇護する対象のいる状態で、自分だけ避けるわけにはいかなかった。剣を楯に、身構える。折られる。長年の感が伝えていた。
鉄塊が振り下ろされる。目は瞑るまいと、イーズは迫りくる死を唇を噛んで凝視した。
突き飛ばされた。
そう気が付いたのは、怪物が後ろにいたはずの非力な客人を棍棒で吹き飛ばした後だった。少年は半円の壁の天井付近に打ち付けられ、落下する。緊迫した静寂に、どさりと力ない音が響いた。
怪物の持つ棍棒には、赤い液体が付着している。
致命傷。
イーズは目を見開き、なぜ、と言葉を漏らした。
「なぜ、俺を、かばって……」
少年は友人に巻き込まれただけの客人のはずだ。友人を大切に思う節はあったが、それほどこの世界、ましてや戦いに固執するようにも見えなかった。友人を残して、こんなほとんど関係のない異世界の武人を救う必要などなかったのだ。
土煙が彼の惨状を隠しているのが救いだったのかもしれない。もし、はっきりと無残な遺体を目にしてしまっていたら、イーズは発狂して死を早めていただろう。とはいえ、絶体絶命の状況には変わりない。
怪物が緩慢な動作でこちらに向き直る。早さなら負けない自信はあったが、如何せん、自分の攻撃が相手に傷を負わせられる気がしなかった。逃げ回るか。いや、どうせ捕まるだろう。ならば一矢報いるべきではないか。
イーズは剣を構える。足の一本でも、削いでやる。
「はああああ!」
決死の覚悟で駆けだした刹那、赤がきらめいた。自身より先に怪物へ到達した赤色をしたそれは、スピードもそのままに、怪物の巨体を蹴り上げた。
「へっ?」
足を止める。
高い天井に頭を打って落下してきた怪物を、赤い髪をした少女は回し蹴りでより高速に地面に落とす。
ぐわあああああ
そう、少女だ。赤い髪を後頭部で団子にした、きりっとした表情の少女。両手両足に似合わないごつさの武具をつけ、そのくせ防御力の薄そうなテロテロした布を纏っている。大きく開いた前は鎖骨から臍あたりを惜しげもなくさらけ出しており、決して小さくない胸元が申し訳程度の黒い布で覆われていた。
普段のイーズなら赤面して、上着をかけているところだ。しかし、現状はそんな暢気なものではないし、混乱していたイーズはぽかんとして、少女が怪物をぼこぼこにするのを見ているしかない。
ズドォォォン
轟音と、地鳴り。
ふぐっ
蹴りの往来にとうとう立っていられなくなった怪物が棍棒を投げる。弧を描いて、イーズの真横に落下した。
「はあっ!」
とどめとばかりに踵落としを叩き込んで、一瞬びくりとのけぞった怪物は、それきりピクリともしない。少女はじっと怪物を見た後、呆然とするイーズにちらと視線をよこすも、何も言わずに飛び上がった。目で追ったが、なぜか、消えていた。しばし呆けた顔で空中を見上げていたが、はっとして、振り返る。
「稲目殿!」
無事である確率が低いのは分かっている。それでも。
イーズは理斗が飛ばされた壁際に走った。
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