あなたの後を追える幸福
私の名はディー。いつか、大切な人から戴いた、この名前。
私の名はディー。あの日、夫は私を置いて先に逝ってしまった。
私の名はディー。今日、私は彼の所へ行く。
あの人に出会う前の事は、今はもう思い出せない。
奴隷として何処かの貴族の所にいて、酷い扱いを受けていたらしい。
あの人は、そんな奴隷として買われた私を助け、光を与えてくれた。
人としての尊厳を。生きていく為の知識を。身を守る為の力を。
学校にも行かせてくれた。色々な所へ連れて行ってくれた。
あの人は、私に自分が持てる全てを与え、育ててくれた。
数年の月日が流れ、世界中を揺るがす事件が起こった。
神話でしか語られた事の無い、魔王が現れたのだ。
当時、国内最高の魔法使いだったあの人は、異世界から召喚された勇者、同じく国内で最も強い女騎士の幼馴染みと共に、魔王を倒しに行く事になった。
私を置いて行こうとするあの人を説得し、一緒に旅に出た。
旅の途中、私の故郷らしき場所に立ち寄った。
私は実は人間ではなく、人間の10倍近い寿命を持つ長命種だと知った。
旅を続けるうち、私の事を知った魔王と、魔王と手を組んだ人々によって私は拐われる事になる。
敵地に囚われていた私は、彼の事をずっと考えていた。
きっと彼が助けに来てくれる。そう信じて待ち続けた。
そして彼は、ちゃんと私を助けに来てくれた。
傷だらけでぼろぼろになりながらも、私を助けてくれたあの日、彼が私に想いを伝え。私はそれに応えた。
魔王との戦いの前に、私のお腹には彼との子どもが宿っていた。
皆は私を戦いから遠ざけようとしたけれど、無理を言って、共に戦い、勝利した。
平和になった世界で、私は彼と正式に結婚した。
それからは、夫と共に様々な事を成し遂げて行った。
夫はいつしか賢者と呼ばれるようになり、魔王の城の跡地に国を作った。
賢者を慕う人々が集まり、次第に大国へと変化して行った。
それから数十年、80の誕生日を迎えた二日後に、夫は寿命で息を引き取った。
夫を笑顔で看取った私は、次の日から泣き続けた。
数年間、泣いて、泣いて、泣き続け。
そんな私を、子ども達、孫達がずっと支えてくれた。
泣き止んだ私は、この命が尽きて、いつか夫の元へ逝くまで、私は、子ども達を導いて行く事にした
良い子も、悪い子も、導けた子も、導けなかった子も、沢山いた。
夫の名を受け継ぎ、賢者と呼ばれた子。
魔王を三度甦らせた子。
魔王を封印し、英雄と呼ばれた子、その妻になった子。
国を飛び出し、新たな国を作った子。
嫁いだ先の国で悪政を敷き、国を傾けた子。
夫から教わった魔法を使い、傍流の家系も全て見守り、私は生きていった。
600年後の今、世界に広がる血脈の1割は、何らかの形で夫と私の血を引いている。
今の私は、子ども達からは親愛なる母と呼ばれ、敬われている。
……賢者と呼ばれ、人々を導いた夫に、時間はかかったが追いつけた。
夫がいなければ何も出来なかった私が、今では夫のように人々を導けるようになった。
今、私の心は幸福で満たされている。
だけど。今日、私にも終わりが訪れる。
あの日の夫と同じように、私の命は尽きようとしている。
怖くないとは言わない。夫ですら打ち勝てなかった死の恐怖が今は私に取り付いているのだ。
それでも私は、今日という日を喜んで受け入れる。
私は、夫が旅立った日の前日の事を思い返していた。
600年前のあの日、悲しむ私と交わした約束。
私がいつか後を追った時、私が不安にならないように。ちゃんと、私を待っていてくれる、と。
ようやく、夫に会うことができる。
先に逝った子ども達も、きっと夫と共に待っていてくれている。
死の恐怖よりも強い喜びが、今の私を満たしている。
夫に出会えたら、何から話そうか。
辛い事、悲しい事、楽しかった事、嬉しかった事。沢山、沢山あった。
きっと話している間に、何度も泣いてしまうだろう。
そうしたら、きっとあの人は私の頭を撫でてあやしてくれる。
幼い頃、泣いている私をそうしてあやしてくれたように。
まだ幼かった頃、あの人に拾われ、共に過ごした温かい日々を思い返し。
これから過ごせるであろう蜜月に想いを馳せる。
今の私の心は、あの人の後を追える幸せに満ちている。