アリ
登校途中でガイに会った。ガイは少しぽっちゃり体型で色白。そのゆるんだ体型とは対照的に虫を殺すのが好き。いつもよだれが下唇にたまっている。
「ガイ、おはよう」ジンケとスグルが揃って言った。
「おう。猫の赤ちゃんいるか?」ガイが返す。
「また生まれたんだ? 悪い。うちは無理」スグルが答える。
「うちも無理。そりゃ欲しいけど」ジンケが言う。
「冬生まれるのはめずしいんだど」ガイが言う。
ガイの家には猫がいる。家猫なのかノラなのか判断が難しく、常に数は変動する。ガイ自身は把握しているらしく、聞くたびに、「今日は25ひき」などと即答する。ジンケが知っている中で一番多かった日は「37ひき」である。
「じゃあ、しょうがねえな」ガイはそう言い捨て、小走りで先を急ぐ。すぐに別のターゲットを捕まえて「猫の赤ちゃん」交渉を繰り返す。
「いいね、猫」ジンケが言う。
「うん。飼ってみたいけど、うちは弟で手いっぱいだからな」とスグル。
「冬じゃなければさ、基地で飼えたかもしれないね」言いながらジンケは、我らが基地に思いを馳せる。
基地は山の上にある。お団子山と呼ばれる標高100メートルにも満たない小山。町の中心にある天然公園とも言うべき遊び場に少年たちは基地を作った。おそらく、何世代も繰り返されてきた通過儀礼なのだろう。大人はそれについて口をつぐむし、子どもたちにも報告の義務はない。しかし、互いに漠然とした理解している。子どもの秘密は、同時に、大人の秘宝なのだ。
「今日、基地行ってみない?」ジンケは聞いた。
「いいよ。そろそろ締めなきゃだしな」スグルが答えた。
「でもさ、冬でも何度か行けばいいんだよね。薪もってさ」
「なるほど。となると締める必要はないわけか」
締める、とは休館状態にすることである。寒さの厳しい彼らの町では野外の施設はたっぷりと冬季休業する。二人の秘密基地も冬眠に入る頃合いであったが、期間延長の可能性が出てきた。
二人は沈黙した。同じことを考えた。胸中を支配したのは切なさであった。言葉にこそ出さないが、互いに「締める」ことを思い直したのは、失われ行く時間に対してであった。きっと、もうすぐ見えなくなる。秘密の基地は彼らの前から姿を消すのだ。刻一刻と、魔法が解けかけているのだ。彼らの中で急速に発展する社会的な部分が、「これで見納めだぞ」と告げていた。
校門が見える。朝の生徒たちがアリのように吸い込まれる。歩調に合わせて校門がぼやけ、かすみ、揺れる。首を回せば、ここからでも山が見える。お団子山の秘密基地。見えなくても、心に浮かぶ。
「早く学校終わんないかな」スグルが言う。
「ね」とジンケが答える。
二匹のアリは、穴へと消える。