№04 少年、洞窟、巨猿
助けを呼ぶ声の方へと走り続けたタイガは、その声の主を見付けた。
背の高い木に登った、金髪の十二から十四歳位の少年が大声で助けを求めている。
その木の下には少年を見上げる全長二メートル程の熊に似た生物。
熊に似た生物は四つ手熊と呼ばれる前足が四本ある熊でガハラ樹海にも生息している。
自分より弱いと認識した生物を襲い食す習性があるが、ガハラ樹海でのヒエラルキーは強力な個体であっても良くて中位であり、タイガの相手ではない。
だからと言う訳では無いが、のんびりとタイガは少年と四つ手熊がいる木の方に歩いていく。
少年はタイガに気付くと安堵の表情を浮かべたのも束の間、薄汚い道着を纏った男が身を守る装具も無く武器も持たずに、不用意に近付いて来ているのを見ると絶望の表情に変わる。
だが、タイガは不用意に近付いている訳では無く、この四つ手熊が自身の知るガハラ樹海の黒毛のものよりも体毛が少し赤みが掛かっていたので、別種の可能性も考えて観察しながら近付いているのだ。
だがどれだけ近付いても、それなりの強者からだったら感じるはずの圧力を感じないので、タイガは同じ四つ手熊か、違ったとしても大した敵ではないだろうと判断した。
「この辺りはガハラ樹海と比べて陽の光が強いからなのかもな」
そう言って空を見上げるタイガ。
陽の光により体毛に赤みが掛かったのだろうと推察したのだが、それは凶暴な生物を前に本来とるべき行動ではない。
その無警戒な動きを四つ手熊は好機と捉え、咆哮しながら右側二本の前足を振り上げた。
タイガは一瞥するも避ける様子は無い。
「危ないっ!」
木の上から、その様子を見ていた少年は潰れた肉塊を想像して目を瞑る。
だが、彼の耳には肉が潰れるような音は一向に聞こえてこない。
恐る恐る目を開ける少年。
その視線の先では四つ手熊が前足を振り上げたまま固まっている。
少年の信じる神の闘法は極めると時が止まってる様に見えると言われている。
それ故に少年は時が止まっている、あるいは非常にゆっくり流れているのかもしれないと錯覚してしまった。
闘法を極めた訳ではないが、自身の信じる神への祈りが届き、奇跡が起きたに違いないと誤解してしまった。
意を決した少年は四つ手熊の頭を狙って、木の上から自身の一番得意な技である雷神流闘法の基本技、落下膝蹴りを敢行した。
少年が繰り出す技としては威力が高く、膝には雷神流闘法独自の堅い装具をしている事から、並の人間なら頭に当たれば殺傷できる程の技だ。
だがそれは、四つ手熊の頭に当たる寸前でタイガによって片手で軽々と止められる。
「こいつもう死んでるから」
少年は驚愕の表情を浮かべ、自身渾身の技を軽く受け止めたタイガを見つめる。
タイガはそっと地面に降ろした少年の頭頂部にある獣耳に気付いた。
ちらりと人間の耳のある場所を見ると、そこには耳が無い。
つまりは純血獣人という事で、タイガは少し緊張する。
純血獣人の中には混血獣人を四つ耳と呼び蔑む者も少なくないと聞いていたからだ。
「え? 本当に?」
だが少年はタイガが混血獣人である事よりも四つ手熊が気になるようで、指先で何度か突いている。
だが、四つ手熊はピクリとも動かない。
「ねえねえ、兄ちゃん。なにをどうしたらこうなるの?」
「ん? ああ、心臓の付近に掌打を当てたんだよ」
「それって、心停雷王掌?」
「よく知ってるな」
「俺はコノメ大森林の金獅子族だからね。雷神流闘法の技には詳しいよ」
コノメ大森林の獅子族獣人は雷神流闘法を好む、これはコノメ大森林の獅子族獣人を知る誕生世界人にとって常識とも言える。
なぜそうなのか? その一因としてコノメ大森林出身者の獅子族達の雷神流闘法の使い手の数の多さがある。
コノメ大森林には八種いる獅子族の全てが各々の地域で居住しているが、その全ての獅子族が雷神流闘法を主としているのだ。
また、コノメ大森林の獅子族を取り仕切る部族を決めるのも雷神流闘法の大会でという程の信奉ぶりだ。
まだあどけなさが残る少年であっても、雷神流闘法に対して造詣が深いのは当然と言えた。
訪問者特有の収納魔法で四つ手熊をしまうタイガに見せる様に、少年は雷神流闘法の型を繰り返す。
それはタイガから見るとまだまだな部分はあったが、年齢を考えたらよく研鑽しているしセンスもかなりあると言えた。
その努力とセンスを気に入ったタイガは、少年の頭に手をのせワシャワシャと髪の毛がボサボサになるまで撫でて言葉を続ける。
余談だが、雷神流闘法の型の動きをしっかりと理解し、正確に実行出来るライの弟子はタイガだけである。
空手をしていた事が下地となり、雷神流闘法の型もほぼ全てを習得している。
格闘技全般が好きな事もあって、型の動きの意味をより深く理解しやすかった面も有るだろう。
タイガは習った期間は短いが、雷神流闘法を深く理解していた。
勿論、ライによる様々な特殊訓練及び指導の賜物でもある。
「なかなかやるじゃん。もう少し頑張れば一端になれるよ」
「一端じゃなくて一流になりたいんだけどなあ」
「ははは、ところでここは、なんて国なんだ?」
「国? よくわかんないよ。ここはコノメ大森林だよ」
「コノメ大森林か。浮遊大陸なのか?」
「そうだよ。兄ちゃん、なんも知らないの?」
「試練の泉でここに飛ばされたから、何も分からない状態なんだ」
「そうなの? それじゃあ兄ちゃんが試練を乗り越える為に必要な者って俺かもしれないね」
「そうかもしれないな。宜しく頼むよ。俺はタイガだ」
「俺はフィンだよ」
手を差し伸べるタイガ、それを握るフィン。
少年の笑顔は明るく、四つ耳であるタイガを侮蔑する様な負の感情は見えないので、タイガは安心した。
「ところで、フィンはなんでこんな所に一人でいたんだ? 危ない場所なんじゃないのか?」
「この先の洞窟の奥に咲いてる花が欲しくて」
「洞窟の奥に花?」
「うん。洞窟の奥に陽の光が当たる場所があって、そこに咲く花がとっても綺麗なんだって。願いが叶う花なんだよ。洞窟にも、洞窟までの道のりにも危険な生き物は居ないって聞いてたんだけど」
「なるほど。じゃあさ、その花を俺も見たいから付いて行って良いかな?」
「え? 本当に? 勿論いいよ。行こう行こう」
フィンは楽しげにタイガと洞窟へ向かった。
タイガとしては単純にフィンが心配だった。
ついさっきまで四つ手熊に命を奪われかけていたというのに、危機感の無い目の前の少年が心配で花が見たいだなんて柄にもない事を言った。
少し歩き、目的地に着いた二人。
タイガは道すがら誕生世界現地人にとっては非常識な指導をフィンにしたが、少年は素直に従い尚且つ少ない時間で実力を上げた。
フィンは、それだけでタイガに更に懐く。
タイガは懐かれて悪い気はしないし、素直なフィンに好感を持つ。
そんな二人は、兄弟の様に仲良く洞窟の中を進む。
しかしタイガは、にこやかにフィンに指導したり話を聞いたりしながらも周囲の警戒は怠らない。
一人であるならまだしも、フィンという自分よりも弱く守らなければならない者がいるのだから、それは当然の行為であった。
そして、その当然の行為は期せずして効果を上げる。
「フィン、これを着けて」
タイガは、フィンにネックレスの様な物を渡す。
それは人一人を守る結界を作る魔道具で、ライから誕生世界に肉体だけ残して個人空間に戻る時に使うように渡された物だ。
フィンがネックレスを着けるのを確認すると、タイガは少年の周囲に結界を張る。
フィンの安全性が確保されると、タイガは敵が来るであろう方角を見つめた。
洞窟内は発光石が光りを放ち、真っ暗では無かったが奥まで見通せるものではない。
だが、タイガはそこから敵が来る事を確信していた。
強者特有の圧力と明確な敵意を感じ、相手は明らかに敵だと認識させてくれる。
暗闇に光る橙色の瞳が、徐々に近付いて来る。
「こいつは見た事が無いな。フィンは知ってるか?」
「く、首刈巨猿だ。とにかく強くてずる賢いんだ。それにこいつ、普通の奴より一回り以上大きいよ。タイガ兄ちゃん、気を付けて」
首刈巨猿はコノメ大森林北部に生息する凶暴で平均体長が三メートル近い巨大な猿だが、タイガとフィンの前に現れたのは、体長が四メートルは優に超えている。
自身と敵対する種の首を刈り、それを装飾品にする事から、その名がついたと言われる。
事実、タイガとフィンに近付いて来ている首刈巨猿は骸骨で出来た首飾りをしていた。
その首飾りをカチャカチャと鳴らし、四メートル近い巨体の首刈巨猿が前肢を握り拳の状態にして地面を突きながら、ゆっくり歩いて近付いて来る。
地球世界で言うならばゴリラに似た歩き方だが毛衣が白いうえに長く、アフガンハウンドの様に美しい毛並みをしているので外見は似ていない。
顔も、猿と言うよりは犬の顔に近い、例えるなら毛の無い犬の顔だろうか、左側面には巨大な爪痕が見える。
タイガとフィンを視界に入れた首刈巨猿が威嚇の声を上げた。
その声を聞いたフィンは恐怖に身を竦める。
だがタイガは、その声の中にある首刈巨猿自身のかすかな恐怖心を感じ取っていた。
「お前、怯えているのか?」
タイガが首刈巨猿に問い掛けるも言葉による答えは無く、返ってきたのは無造作に右前肢から繰り出された横殴りの頭を狙った攻撃だった。
タイガはそれを躱す事も出来たが、左腕で頭を防御し敢えて受けた。
普通の人種であれば、躱す事も出来ず首が飛ぶか、運良く防御する事が出来ても数メートルは殴り飛ばされるだろう。
しかしタイガは微動だにせず、首刈巨猿の鋭く伸びた爪も道着に阻まれ毛の先程も食い込んでいない。
道着はそんなに綺麗な物ではないが、数々の逸品を持つライが弟子達に渡した物である事から分かる様に、なかなかの性能を誇る。
攻撃を阻まれた首刈巨猿が吠えながらタイガの首筋に噛み付こうと首を伸ばす。
さすがに道着が無い部分は守らない訳にもいかないタイガは、首刈巨猿の頭を殴り迎撃する。
ダメージを受け、頭を手で押さえながら軽く左右に振る首刈巨猿。
だが、首刈巨猿は道着に守られていない所を狙えばいいと理解する。
首刈巨猿は自身の身体能力を遺憾なく発揮し、人種には読み難い野生独特の多彩な攻撃を繰り出し、タイガを攻め立てる。
だが、どこを攻めてくるか分かっているタイガは、その攻撃を難なく躱し、防御し、迎撃する。
その攻防は見る者を魅了するもので、ただ一人の観客であるフィンは目を輝かせて見惚れていた。
では当の本人達はどうであろうか? タイガは最早鼻歌交じりで攻撃を凌ぐ事を楽しんでいたが、対する首刈巨猿の方は焦っていた。
首刈巨猿は自身の攻撃が良いようにあしらわれていると感じ、タイガに対して自分より格上だと判断したが逃げる事も出来ず、攻撃を続けながら他の選択肢を考えていた。
視界に入る小さき者を攻撃し強き者の動揺を誘い、その隙に殺す。
そう決断した首刈巨猿はフィンに向かって飛び掛かった。
だがそれはフィンを守る為に瞬時に移動したタイガによって阻まれる。
一閃。
右から左に振り抜かれたタイガの手刀が首刈巨猿の首を逆に刈り取っていた。
その勢いで地面を転がる頭。
残った胴体は倒れ伏せ、首からは大量に血が流れる。
「ごめん。びっくりさせちゃったな」
「タイガ兄ちゃんが守ってくれるって分かってたから大丈夫だよ。それより、今のって雷閃光の技?」
「さすが、よく分かったな」
「だってさ、一瞬ピカって光ったからさ。高難度の帝級奥義を使えるなんて、タイガ兄ちゃんは本当に凄いね」
「そうか? ありがとな」
「呼び動作もなく繰り出すのも凄いけど、雷閃光なんて大技をいきなり当てるのも凄いよ」
「あれは首刈巨猿がフィンに意識を向けて隙だらけだったからな。簡単に当てる事が出来た。しかしフィンは良く見てるな。凄いぞ」
タイガは首刈巨猿の死体を収納魔法で片付けながら返事をするが、それは片手間の返事では無く心からの賞賛だ。
タイガはフィンがいずれ一端どころか一流の使い手になるだろう確信にも似た予感がした。
突然すぎた首刈巨猿の出現に人為的なものを感じたタイガは、この死体を後で調べた方が良いだろうと考えていた。