№17 混血、流血、嗚咽
準々決勝となる二回戦の第一試合、タイガと対峙するのは黒獅子族代表のサンタナだ。
サンタナは、タイガと目が合うと妖艶な笑みを見せた後に口を開く。
「アンタもアタシと同じで混血なんだネ。でもアタシは純血でもあるんだヨ。特別なのサ」
小麦色の肌に金髪が映える。
彼女は黒獅子族でありながら、肌の色は黒が薄く髪色も黒ではない。
その理由は、母が黒獅子獣人ではなく金豹獣人だからである。
彼女は黒獅子獣人と金豹獣人の混血であり、耳が二つしかない事からも分かる様に混血でありながらも純血という極めて特殊な獣人だ。
純血獣人同士ではあるが他種獣人同士の子供が生まれる場合、本来はそのどちらかの獣系が出る。
だがいくつかの獣系同士の組み合わせの場合、そのどちらの獣系も引き継ぐ子供が生まれる事がある。
獅子系獣人と豹系獣人の組み合わせもそうであり、サンタナがそれであった。
彼女は獅子系獣人の力強さと豹系獣人の敏捷性を高レベルで併せ持っており、強くなる事を運命付けられているような、ある意味では特別な存在だ。
「だから、四つ耳には負けないヨ」
速い。
その言葉に尽きる。
サンタナは常人には捉え難い速度でタイガへと距離を詰める。
「アハ♪」
笑いながらタイガの横を通り抜けるサンタナ。
その際に、技とは言えない原始的な横殴りの拳打をタイガに振るう。
タイガは、それを受け流したり捌いたりせずに、紙一重で躱す。
それは、タイガからサンタナへの「見えているぞ」というアピールだ。
それなりの技能がある者ならば、攻撃の動き自体が見えずとも、予備動作から攻撃を予測し反射的に防御動作を取る事によって、攻撃を受け流す事や捌く事は可能だ。
ただ、サンタナは攻撃そのものだけではなく、距離を詰める速度が尋常ではないので予備動作も見え難い。
それ故に、大きく飛び退いての身躱しではなく、必要最低限の動きで躱す行為は、攻撃そのものが見えていないとできない。
その事に気付いて、またもサンタナは妖艶に口角を上げる。
今の攻撃は彼女にとって、いわば試しの一撃だ。
大抵の闘士には受けるので精一杯なサンタナの攻撃、あとは同じ攻撃を繰り返し嬲る様に倒せばいい。
それはもはや作業でしかない。
楽しいのは闘士の心が折れていく様を見ることぐらいだろうか。
故に彼女は強者を望んでいた。
お互いが倒し倒される血沸き肉躍る戦いができる相手を望んでいた。
それとは別の意味もある。
特殊混血獣人として蔑まされ、部族の中で底辺の存在だった。
だが、その位置から強い者を倒していくことによって部族の代表闘士へと登り詰めた。
更に強い者を倒していく事によって、それは不動のものとなり蔑視の眼差しが尊敬に変わるかもしれない。
それは彼女の儚い夢だ。
彼女は部族の大多数の者から戦闘に特化した歪なものとしてしか見られていない。
より直接的に化け物と言う者もいる。
人としてすら認めないのだ。
だがそれでも、彼女は儚い夢を見る。
部族の人々に賞賛される自分、この大会で優勝すればそれが叶うと信じている。
「だからアンタがどんなに強くても、アタシは負けないヨ」
サンタナは彼女にとって本気の証である雷神流闘法の基本的な構えを取る。
するとタイガとの距離を一気に詰めて、基本技の一つである空手の正拳突きに似た技である雷拳のモーションで手刀を突き出す。
それは雷貫手と呼ばれる技で、雷拳よりも少しでもリーチと速度を伸ばす為の技であった。
タイガはサンタナが構えを取った段階で、彼女の危険レベルを一段階上げていたが、それでもサンタナの攻撃に対しての反応が少し遅れる。
タイガとの距離を詰める速度と雷貫手の速度は共に常軌を逸しており、ただの雷貫手と呼ぶには些か無理があるほどの技となっている。
それでも、ギリギリ、本当に紙一重でサンタナの雷貫手を顔を少し横にずらすことで致命打は回避したタイガだったが、掠りはしたのか頬から血が流れる。
間合いを取ると自分の手についたタイガの血を舐め恍惚の表情を浮かべるサンタナ。
「混血の血でも美味しいネ」
「ったく、どんな趣味してやがる」
軽口を叩きながら、今度は自らサンタナへと間合いを詰めるタイガ。
それは軽口を叩きながらではあるが驚異的なスピードのステップであり、さすがのサンタナも驚きの表情を浮かべる。
サンタナの強さの大きな要因は、いわずもがな圧倒的な速度である。
それは対戦者に対して常に優位性を保ち、彼女に幾多の勝利をもたらした。
その優位性が無くなった時のサンタナは同等の速度を持つ相手にどう闘うか? それは黒獅子族の闘士達の話題になる事は少なくなかった。
混血の純血獣人。
その特殊な血が齎した速度こそが彼女の強さであり、それが無ければ弱い。
それがサンタナに対する黒獅子族の多くの闘士達の正直な意見だ。
だがその意見はサンタナに対する負い目あるいは劣等感から来る偏見であり、自分達の目が曇っていた事を黒獅子族の闘士達は知る事となる。
「凄まじいな」
黒獅子族の中では群を抜いて筋肉質な男性、黒獅子族戦闘序列第三位の闘士であり、その実力もさることながら他者の戦闘能力を測ることには定評のあるデイブが、ぽつりとこぼした。
どういう事だと詰め寄る他の黒獅子族の闘士にデイブは解説する。
サンタナの動く速度が常軌を逸しており、その動きが常人には目にも止まらぬ速さだとしても、コノメ大森林の獅子獣人の闘士であれば、闘気による身体強化を目だけに集中させれば見る事は可能だ。
だがそれは、闘うという事を度外視すればの話だ。
戦闘の為の身体強化はそれこそ身体全体に施す必要があり、それをするならば高い実力を有するデイブでさえサンタナの動きは捉えられない。
デイブはサンタナと何度も闘った事があり、彼女に勝つ為に試行錯誤を繰り返している。
視力の強化に闘気を多く割り振れば、サンタナの動きはそれなりに見えるが自身の身体が早く動かない。
ならばと動きの速度を上げるも、見えなければ攻撃を喰らうばかり。
防御力の向上に闘気を割り振り、攻撃を受けながらでも反撃しようとするも通常速度の攻撃では簡単に回避されてしまう。
そうやって試行錯誤しながらも負けているからこそ、その届かない身体能力に対してどうしようもない劣等感が生まれる。
アンバーのように自分と同じ黒獅子族であれば、まだ納得がいった。
だがサンタナは特殊混血獣人であり、生まれ持ったその身体能力に胡坐をかいて、闘士の訓練に参加せず見ているだけなど、目に余った。
そんな事が出来るサンタナの持って生まれた力が妬ましく、憎らしかった。
「だが、あいつは努力していたんだな」
タイガの運動速度はサンタナに負けるものではない。
そしてタイガの頑強さは一回戦で証明されている。
それはいわばサンタナの不利を示すものであり、実際に彼女は形勢不利を感じている。
だがそれでも、サンタナはよく闘っている。
タイガの速く硬く強い攻撃をいなし防御しあるいは回避する。
それはサンタナが怠けずに雷神流闘法の修行をしている証左でもある。
「俺達に努力するところを見られたくなかったのか?」
デイブはそう言ったが、そうではない事を知っている者も多い。
雷神流闘法はコノメ大森林の獅子系獣人、特に純血の獅子系獣人にとって誇りであり尊いものである。
それを卑しき血のサンタナに教えるのを拒絶する指導者は少なくなかった。
だからこそ、サンタナは指導の時間は何もしなかった。
黙って指導の様子を見詰めるだけだった。
それはサンタナに雷神流闘法の技術が無いだろう事を多くの闘士達に勘違いさせたが、実際は違った。
サンタナは他の闘士が指導されるのを見て覚え、独学で雷神流闘法に磨きをかけていた。
その事を知っているものは少ない。
故に、サンタナがタイガと渡り合うのを見た多くの現役闘士達は、その琴線に触れる何かを感じていた。
「負けるなサンタナ!」
黒獅子族闘士の誰かが叫ぶ。
それを呼び水に声援の奔流が闘技場に流れ込む。
その声はサンタナに大きな力を与える。
彼女が望んでやまなかった本当は渇望していた人としての扱い。
負けられない。
絶対に負けられない。
勝つ。
絶対に勝つ。
サンタナは獣化段階を一気に完全獣人化まで引き上げる。
闘気は膨れ上がり、サンタナの最大の特徴である速度は一気に二倍となる。
圧倒的速度と日々積み重ねてきた技の研鑽を前に、タイガは防戦一方だ。
タイガの傷が増えていく。
流れ落ちる汗が、血が、彼の足元に溜まりを作る。
だがサンタナは勝ちが見えない。
自分の勝つ未来が予想できない。
自分が有利になっていたつもりのサンタナだったが、何かが違うと本能に警告されている。
だがその警告を闘争心によって無理矢理打ち消し、サンタナは攻め立てる。
左右に素早くステップし高速コンビネーションで拳打や蹴りを当てる。
ピチャリ。
水音がサンタナの耳に入る。
サンタナはバックステップすると、その原因に気付く。
タイガの血と汗で出来た足元の溜まりだ。
そして、それは彼がその場から動いてないからだと理解する。
サンタナは大した防御力だと思う。
完全獣人化が途切れるまで防御し続けるつもりだろうが、その前に倒してみせる。
だがそんなサンタナの思考あるいは予想とは違った方向にことは流れていく。
「!?」
サンタナが驚愕の表情を浮かべる。
タイガが防御するだけでなく、反撃に転じたのである。
しかもそれはやけっぱちで当てずっぽうな玉砕行動ではなく、サンタナの動きを的確に捉えたものである。
少しずつ少しずつ。
サンタナの動きを捉えたタイガによる反撃の手数が増えていく。
やがてそれは攻勢に出ていたはずのサンタナの手数を超え攻防逆転する。
傷が増え、血を流し、心は焦り、疲労し、汗は溢れる。
「がぁぁぁぁっ!?」
負けられなイ。
負けられないヨ。
絶対。
絶対に。
だからちからを。
もっとちからを。
ク。
レ。
「がぁぁぁぁっ!!」
サンタナが再度吠える。
だが獣の咆哮にも似たそれは一度目とは種類が違うと観客に感じさせる。
そして観客はサンタナが御する事の出来る獣気を超える量を身に纏っている様に見える。
獣気の暴走。
完全獣人化からの完全獣化。
人から獣になり、戻って来れなくなる。
黒獅子族の闘士達はサンタナを応援しながら心配もしている。
そこにはサンタナを化け物ではなく同族として仲間として見守る者しかいない。
サンタナはこの時点で自分が一番望むものを手に入れていた。
彼女は限界を超えていた。
眼は充血し、血管が浮かび上がる。
だがそれでも明確な意思を持ち、その真っ赤な眼でタイガを睨みつける。
タイガは血を流していた傷口は闘気での自然治癒促進によりすっかり塞がっており、その流血は止まっている。
その事に対してサンタナに驚きは無い。
むしろ考えもしない。
試した事の無い、ぎりぎり完全獣化に転ばないで済んでいる、限界を超えた獣気開放。
それにより得た今の力で。
一撃で殺す。
この大会において殺人行為は禁止されている。
予想外の事故により命を落としてしまう事はあるかもしれないが、明確な殺意を持って攻撃するのは禁止されている。
だがそれでも、獅子系獣人の中にある熱き闘争本能を鎮める事は難しい。
戦闘民族たる彼らにとって敵は殲滅するものであり、燃え滾る熱き本能のままに必殺の一撃は繰り出されてしまう。
ましてや、サンタナは限界を超えた獣気開放で興奮状態にある。
ルールを守る事よりも勝つ事が優先される。
サンタナが繰り出したのは己の最も得意とする技だ。
雷貫手。
雷神流闘法において基本の技ではある。
だが、その速度が増せば、強さが増せば、この技は王級にも帝級にもなる。
そして神級にも。
サンタナの繰り出した雷貫手は雷神貫手と呼ばれる、神級奥義にも届きそうな程の彼女にとって最速最強の必殺の一撃。
両者の動きが止まる。
観客の誰かが悲鳴を上げる。
サンタナの腕がタイガを貫通している様に見えたのだ。
だがそれは錯覚だ。
見る角度によってはタイガの腹をサンタナの腕が突き抜けている様に見えるが、タイガはしっかりと回避していた。
その上で脇にサンタナの腕をがっちりと抱えている。
サンタナは固定された腕を引き抜こうと踠くが、タイガはそれをいなし或いは強く受け止め、固定を崩さない。
力が足りない。
サンタナは更に獣気を開放しようとする。
「これ以上は駄目だ」
タイガはそう言うと、サンタナの腕を曲がってはいけない方向に力を込める。
これは不味いと本能で感じたのか、獣気を開放する間もなく跳躍して自分の腕をへし折ろうとする力をいなそうとするサンタナが宙に浮いたところをタイガは空いている手でも掴むとそのまま床に頭から叩き落とす。
闘気により身体強化されているとはいえ、頭から叩き落とされた衝撃は凄まじく、サンタナは意識を手放してしまい、倒れた後はピクリとも動かなくなってしまう。
観客といえば、タイガがサンタナを殺してしまったのではないか思いながらも事態を静観している。
審判が駆け寄る。
サンタナの完全獣人化が解けて人化していく。
観客から安堵の声が聞こえる。
獣人は死んだ時の獣化段階から姿を変えないので、サンタナが生きてる事が分かったからだ。
「勝負あり。勝者金獅子族代表タイガ!」
審判の声と共にタイガを称える歓声が上がる。
それは会場を揺らすほどの大音量ではなかったが、会場中が四つ耳であるタイガの強さを認識していた。
☆
医務室に運び込まれたサンタナは、人化した事により身体が少し小さくなっているが、外傷はそれ程深くは無く、打ち付けた頭の痛みも今は無い。
意識もしっかりしている。
そこへアンバーが逸早く駆けつける。
アンバーの顔を確認するとサンタナは力なく笑う。
「負けちゃったヨ」
「けどアンタは頑張ったよ。他の誰かがアンタを攻めるなら私が容赦しない」
「それは心強いネ。でもアタシは負けたら終わり、サ」
黒獅子族でサンタナを差別しない者は少ない。
アンバーはそんな少ない者の一人だ。
アンバーの両親は共に純血の黒獅子族の者であるが、肉体的素質において彼女は特殊である。
そんな自分と似ていると思いサンタナに対して親近感があり、また自身が敵わないその強さから尊敬すべき相手と思っている。
そのサンタナが死力を尽くし、それでも負けた。
アンバーもサンタナとは何度も対戦しているので、彼女が自分と対戦する時よりも更に力を振り絞っているのが分かっていた。
だが、これ以上なんと言葉をかけるか迷っていた。
そこへ、黒獅子族の闘士達が大勢やって来る。
アンバーは彼等がサンタナを責めるなら殴り飛ばしても止めてやるという決意を持って立ち塞がる。
「サンタナは疲れてる。何かあるなら私が聞くよ」
「サンタナは無事なのか?」
「無事よ。でも疲れてる。そっとしておいて」
「分かった。だが伝えて欲しい。サンタナが死力を尽くしたのを俺達は分かっている。おっさん達が何を言っても俺たちはお前の味方だと」
コノメ大森林における獅子獣人の部族は十五歳から闘士となり、三十歳まえには闘士を引退する。
だが闘士を引退しても、闘士の技術指導をする教官や部族の指導者層になるので、その権力は強く声も大きい。
その連中はサンタナをよく思っていない者も多く、その影響で闘士達が彼女を差別する要因にもなっていた。
だが、その連中の影響を無視できる程にサンタナの戦いは闘士達の心に響いていた。
「良かったじゃないか」
アンバーが自分に背を向けて横になっているサンタナの背中をさする。
静かになった部屋にサンタナの嬉し泣きだが、むせび泣く音だけが暫くあった。
読んでくれてありがとうございます