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長い夜の終わり

 

 伊藤は、クスクスと嗤っている。

 ともすると、気が触れているようにも見えた。

 だって、正気の沙汰じゃない。

 断れないように逃げ場を塞いだ上に、自殺を薦めるなんて。


「どうした? お前の命は、ちびすけの二の次なんだろう? なら、俺がちびすけを守るからお前は死ね。誰も損をしない交換条件だ。悪くないだろ?」


 チェシャ猫のようなせせら笑いだ。

 本気か、ウソかも分からない。

 

 どうにも得体のしれない違和感がじわじわと頭を絞めつけている。


「……それとこれは、話が別だ。俺は、積極的に死ぬ気はない。言っただろ? ――『死ぬのも、死なれるのも、ごめんだ』って」


「それは、自己矛盾だ。お前は、『俺を殺せる機会をやろうか』と言った。なら、少なくとも、自分が死ぬのは織り込み済みのハズだろうが。――あぁ、それともお前、自分が死なないとでも思っているのか?」


 俺を相手に、ずいぶん舐めきったことを考えるなぁ。

 

 伊藤は、わざとらしく小首を傾げて嗤った。

 ネズミを甚振る猫の方がいくらかましかもしれない。


 自分が、死なない……とは思っていない。

 むしろ、毎日のように襲撃を受けている俺にとっては、常に死は隣り合わせだった。

 

 だからといって、むざむざと死んでやるつもりもない。

 伊藤にくれてやるのは、『俺を殺せる機会』だけだ。


 それにしても、伊藤が豹変のした理由は何だ。

 何を狙って、俺を動揺させようとしている。


「見くびっているわけじゃない。お前が、俺を殺すというならそうするんだろう。だが、俺が取引できるのは『殺せる機会』だけだ。自殺なんて、意味がない」


「意味がない? 大有りだろ。お前が自死すれば、俺は『運営』から追われない。罪を負わなくてすむ」


 ここで揺らいだら、付け入られるだけだ。

 伊藤からビリビリと漂う、得体のしれない空気に呑まれるわけにはいかなかった。


「『運営』から追われたくないなら、異世界で事故に見せかけて殺せばいい。事故なら、罪に問われない。民間人では、初めての異世界だ。非常事態(イレギュラー)なんて起こって当たり前。その隙に()れ。――俺が『機会をやる』と言ったのはそういう意味だ」


「お前が、どういうつもりかなんて関係ない。……一番後腐れないのが自殺ってだけだ。効率がいいだろうが」


 頑是(がんぜ)ない子供のようだ。

 執拗(しつよう)に自殺をそそのかしてくる。

 タチが悪いのは、こいつがどういう意図をもっているのかまるで分らないことだ。


 なら、こちらから仕掛けるか?


「お前の約定はまるで意味がない。成人式が終わったら死ねというが、成人式が終わった後なら、ちびとは縁が切れるし、どうせ卒業だ。俺と離れれば、ちびに危険はない。俺が自殺しようがしまいが、ちびは安全になる。……こんな無意味な提案をして、結局、お前は何がしたいんだ?」


 提案を一気呵成に切って捨てて、伊藤の反応を見る。

 しかし、予想に反して、伊藤は大きな揺らぎを見せなかった。


「……それがお前の答えか?」


 ぽつりと、一声漏らしたきり、伊藤は口をつぐんだ。

 しばらくの沈黙の後、伊藤は髪をかき上げてこちらを見据えた。


 その視線の強さに、まるでこちらが観察されているような気がしてくる。



 結局それきり、伊藤の舌鋒(ぜっぽう)は、止まった。



 伊藤のナイフを操る手は緩慢で、鬱屈とした視線ばかりが俺に突き刺さっている。


「……伊藤?」


 戸惑う俺を一瞥すると、伊藤はナイフを持った手を閃かせた。


 座り込んでいたため、とっさに横に転がって避ける。


「……ッ!?」

 

 伊藤の手から放たれたナイフは、俺がさっきまで座っていた空間をギリギリ掠めた。

 そのままナイフはコンクリートの床に跳ね返り、鈍い音を立てて転がった。

 ぞっとして、慌てて立ち上がる。


「どういうつもりだ」


 いきり立って、睨みつける俺をよそに、伊藤は足元に散らばる筒を拾い上げた。

 それは、終わってしまった手品のタネで、今はなんの変哲もない三脚のパーツだ。

 何本も片手で鷲掴んで、肩に担ぎあげる。


 あからさまに、無防備なその姿に、呆気にとられた。

 

 伊藤は、振り向くと無表情に口を開いた。

 

「これ以上話しても、無駄だと分かった。それだけだ」


 本当にこれ以上、話す気もないようだった。

 伊藤は、双眼鏡などが乱雑に散らばるベースに歩み寄ると、撤収の準備を始めた。


 こいつが何を考えているのか本当にわからない……。

 慌てて、引き留めにかかる。


「ちょっと待て。まだ話は終わってないだろ。……それとも、ちび護衛の話は蹴るつもりか?」


 恐らく蹴るだろうが、一応はっきりさせないと次の手が打てない。


 しかし、伊藤が振り向きもせず、背中で返した答えは、意外なものだった。


「お前の提案には乗ってやるよ。『俺はチームに入って、情報収集のサポートをする。その代わり、俺の裁量で朝島始を殺害してもいい』。承知した。まぁ、詳しい事はあとでいいだろ? どうせ、俺が本当に『運営』から派遣されるかもわからないんだ」


 ……引き受けた? 今の話の流れなら、断るものだと思っていた。

 じゃあ、なんで、こいつは俺を挑発するような真似をしたんだ?


「引き受けるつもりなら、なぜ俺に自殺を薦めた? あんな挑発するなんて、何を考えて……!」


「アレが挑発と分かったなら、俺が何を考えていたのかわかるだろ? ……いや、お前は普通じゃなかったな」


 伊藤は、やけにゴツいリュックサックを左肩にかけるとこちらを振り向いた。

 撤収の準備は終わったらしい。


「ヒントは、散々やった。もう答えるつもりはない。……そこに転がっているナイフはお前にやる。約束の証だ」


 そう言って、伊藤は俺に何かを放り投げた。

 とっさに受け取ると、それは茶色い革製のさやだった。

 ……あのナイフのさやだろうか?


「勝手な……」


 怒りよりも呆れの方が強い。ため息のような文句が口をついた。


 伊藤は、リュックを背負い直すと、階段の扉を開いた。

 肩越しに、思い出したように付け加えた。


「……別に俺に殺されるのを待たなくてもいいんだぜ」


 俺も、それに対する答えは散々言った。

 だから、何度でも同じ言葉を返すつもりだ。


「断る。誰かを殺すのも、誰かに殺されるのもごめんだ」


 俺の(いら)えを聞いて、は、と伊藤は鼻で哂った。

 

 それきり伊藤は、振り向くことなく階段を降りていく。、

 カツンカツン、と階段を踏みしめる音が暗がりから響き……

 やがて、途絶えた。


 ふらふらと、柵まで歩く。

 下をしばらくのぞき込むも、伊藤の気配はすでにない。

 

 生暖かい夜風が、頬を撫でた。


 それにつられるように、体中の気力をすべて吐き出すような、深いため息が湧いて出る。

 ずるずると柵にもたれかかって、しゃがみこんだ。


「何なんだよ、あいつ……」


 髪をかき上げて、熱を持ち始めた額を抑える。

 あいつに振り回されて、考えが過ぎた。


 もともとそんなに頭もよくない。

 だから、あいつが最後に残した意味不明なやり取りが頭をずっと占めている。

 

(引き受けるつもりで、自殺をそそのかす……、か)


 いくら考えても馬鹿げた結論しか思い浮かばなかった。


「まさか、あいつ、俺が理解できなかったから試したのか……?」

 

 あいつは、俺を理解できないと、折に触れて口にしていた気がする。

 だから挑発で怒らせて、反応を見ようとしたのだろうか?

 怒りは、人の本質を浮かび上がらせるから……。


 首をそらして、柵に頭を預ける。

 ごつごつとした冷たさが、なぜか心地よかった。


 俺は、伊藤のテストをパスしたようには思えなかった。

 だから、あいつは『これ以上話しても、無駄だと分かった』と吐き捨てたんだろう。

 言葉遊びでは、俺の本質を見極められなかった。


「次は、実弾が飛んでくるかもな……」


 月のない夜空に独りごちたが、当然何も返ってはこなかった。



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