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伝染する狂気

 


「取引しよう、伊藤。上手くいけば、ちびを守りながら、俺を殺せるぜ?」


 座り込んだまま、差し出した右手。

 伊藤は静かに、俺の手を見つめたまま、沈黙した。


 そして、伊藤はため息を吐くと、束の間、目を閉じ、かすかに首を振った。

 こいつが、何を考えているのかは、わからない。

 ただ、再び目を開けた伊藤の顔には、冷めた(わら)いがにじんでいた


「……取引? 合法的にお前を殺せる? そんな方法、俺に必要だと思うか。お前の手に乗らずとも()り方なんていくらでもある」


 伊藤は、鼻で嗤った。

 それが強がりだとは言い切れない。

 伊藤には俺に気付れないまま、長年監視役として暗躍し続けた実績がある。

 言葉通りに、俺の暗殺などお手の物だろう。

 柵に寄りかかったまま、器用にナイフを遊ばせている伊藤。

 その手元には全く狂いがなかった。


 だが、俺も伊藤の手並みは知っているだけに、ただの"()り方"は取引のネタにならないとはわかってる。

 俺は、差し出した右手を降ろして引き寄せると、ギュッと握りしめた。

 ここからが、正念場だった。


 伊藤の冷笑に引きずられないように、気を引き締める。

 語気は穏やかに、語調は静かに。

 ここでしくじるわけにはいかなかった。


「可能不可能の話をしているんじゃない。確かに、お前なら俺を殺すのは簡単だろう。だが、その後は? 俺を殺した後に、無事に逃げ切れるのか?」


 伊藤は、かすかに目を見開いた。

 そして、怪訝そうに眉をしかめる。

「逃げる……? 誰から逃げるっていうんだ」


「『運営』。お前のかつての古巣が、今度はお前を追い詰める」


「……」


 伊藤の、手繰るナイフの動きがピタリと止まった。


 不意を突いた、とはいえないだろう。

 『運営』に所属していた伊藤なら、絶えず頭にあった事実。

 見て見ぬふりをしていた禁忌を、真正面から指摘されて、たじろいだだけだ。


 だが、怯むなら、付け入る余地はある。


「分かっていると思うけど、『運営』は柄守(つかもり)高校の生徒を守るための組織だ。俺を全校生徒のサンドバックに仕立てあげたイカレた組織だが、その俺も守るべき生徒の一人に入る。本末転倒もいいところだが……お前、柄守の生徒を殺しといて、逃げられると思うのか?」


 ことさら強い口調で指摘する。

 感情を乗せないように気を付けたが、それでも胸がむかついた。


 今でも『運営』の矛盾に満ちた方針に、俺は相当振り回されている。

 だから、『運営』を利用することに罪悪感はない。

 しかし、組織の一員として『運営』に貢献し続けている伊藤には、俺の態度は腹立たしいかもしれない。


 瞳の奥に強い憎悪を沈ませて、伊藤は顔を伏せた。

 ナイフを持つ手が、強く握りしめられている。

 続く言葉は、伊藤らしくもない、諦めと居直りの言葉だった。


「逃げる気はない。煮るなり焼くなり好きにすればいい」


 俯いたまま、伊藤はまたクルクルとナイフを回し始めた。

 動揺で崩されたペースを、取り戻そうとしているのかもしれない。


 実のところ、動揺しているのはこちらも同じだった。

 食って掛かかられた方が、マシだった。

 それだけの覚悟があって、俺を殺そうとしているってことか?


 舌で唇を湿らせた。これは骨が折れそうだ。


 追及の手は緩めない。

 そして、こちらの動揺を悟られるわけにはいかない。


「呆れた自暴自棄だ。……多分、煮て焼かれる方がましな目に合わせられると思うけど。だって、俺はまだ何もしていない(・・・・・・・)。お前が俺を殺す理由は、危険かもしれない(・・・・・・)という酷く曖昧なものだ。そんな無害な奴を殺した奴に、『運営』が手加減するはずもない」


「俺も『運営』に切られた身だ。お互いに遠慮する必要もない」


 暖簾(のれん)に腕押し。

 手ごたえがない。

 しかし、伊藤のナイフを操る手も止まらなかった。


 心理学では、手元のものをいじるのは、不安とフラストレーションの表れだとされている。

 表情に出さないだけで、不安や緊張を感じているのだろうか。


 脅迫では、動かない。すでにそれだけの覚悟があるなら、俺の言葉は響かない。

 なら、手を変えるしかなかった。


 伊藤とて、俺を殺して自分も死ぬなんて、心中めいたことなんてお断りだろう。

 俺を嫌っていればこそ、俺のせいで罰を受けるなんて避けたいはずだ。

 その矜持を利用できるか?


「ちょっと落ち着け……。そうはいっても、好き好んで痛い目に合いたいわけじゃないだろう? 俺の提案に乗れば、『運営』の追及をかわしながら俺を殺せるんだ。ちびにも余計な迷惑を掛けずに済む」


 伊藤は、顔を上げた。

 その目は静謐(せいひつ)で、熱も憎悪も深く押し込めてしまったようだった。


御託(ごたく)はいい。お前は、俺に何をさせたいんだ。自分を殺すようにそそのかすなんて、作為がありすぎて気色悪ぃ」


 静かに伊藤は問い返した。

 聞く耳がないわけじゃなさそうだ。


「俺の希望は、一つだけだ。――ちびの護衛を頼みたい」


「言われずとも、そうするつもりだ。が、どうせそれだけじゃないんだろ」


「あぁ。多分、知っていると思うけど……ちびが兄貴の命令で俺に成人式の情報流すことになっている。だが、俺に接触するとなると、ちびの危険が大きい」


 これは、伊藤の論理だ。

 ちびに降りかかる危険性ゆえに、俺を殺そうとした伊藤の。

 俺の口から出していい言葉じゃない。


 案の定、伊藤は先ほどと同じ結論を提示した。


「なんだ、結局お前を殺せばいいんだな。面倒事がなくていい」


 伊藤は、つまらなそうに、腕を伸ばしてナイフでまっすぐ、俺の眉間に狙いをつけた。


 だが、ここで俺を殺すつもりはないはずだ。

 それこそ堂々巡りで、この場で俺が死体になったらちびに嫌疑がかかる。 

 伊藤が、もっとも恐れることだ。


 だから、俺も動揺はしない。言葉を続けた。


「話は最後まで聞け。ちびは『運営』の一員だが、兄貴は『運営』を飛び越えて直接ちびに依頼した。更に、『運営』は俺に接触するのを禁じている。つまり、兄貴の命令は横紙破りの上に、『運営』の禁則に思いっきり抵触していることになる」


「『運営』はお前にちびすけを派遣するが、本意ではないってことだろ。だから何だ?」


「『運営』は事態をコントロールできないことを恐れている。そこで、更に俺とちびをまとめて監視する人員もよこすはずだ。だから伊藤は『運営』にねじ込んで、監視人に立候補してほしい」


 は、と伊藤は嘲るように低く(わら)った。

 疲れたような、力が抜けたような暗い嘲笑が口元に張り付いていた。


「俺にお前らのチームに入れってか?」


「もちろん、お前にもメリットはある。ちびを危険から守れるし、何より俺を殺すチャンスには事欠かないはず……」


「一つ、解せないのは」


 伊藤は俺の説得をさえぎって、言葉を発した。

 表情は見えない。


「解せないのは、お前の狙いだ。その条件なら、俺に有利なばかりで、お前にメリットは皆無だろうが。監視役の立場なら、お前の命はもとより、『運営』への報告しだいで成人式の調査自体も潰すことだってできるんだぜ?」


 調査自体を潰せば、ちびが俺に助力する必要もなくなる。

 俺をちびから引き離したい伊藤なら、必ず取る手段だろう。

 だが、俺はその心配をしていない。


「お前に、調査は潰せない。兄貴は俺に甘いんだよ。一番発言力のある兄貴に繋がっている、この俺が調査を続行させる。この成人式はきな臭すぎる。これは俺の勘だが、下手すると成人式で人死にがでるかもしれない。調査は必要なんだ」


 伊藤は、黙ってナイフを遊ばせている。

 俺の言葉を妄言と断じているのかもしれないし、受け入れているのかもしれない。


「あと、俺のメリットだが……お前と同じだよ。ちびを守りたい。俺自身に守る力がないから、お前に頼むしかない」


「自分の命を狙っている奴に、か? だからイカレてんだよ、お前は」


「優先順位の問題だ。俺の勝手でちびを巻き込むんだ。俺の命は二の次でいい。……これくらいの覚悟は、当たり前だろう」


「……やっぱりイカレてるよ、お前。死ぬのが怖いくせに、自分の命を狙う暗殺者を平然と側に置こうとする。知っているか? 人間は、理解できないものを一番恐れるんだよ。」


 風向きが、おかしい。


「伊藤?」

「俺は、お前を信じられない。まさか、まだ、自分が死なないと思っているわけじゃないだろう。なんでそう、死に無頓着すぎるんだよ。義務感で人の生き死にを語ってるんじゃねぇよ」


 俯いて、伊藤はよくわからないことを呟いた。

 俺に言っているのかもしれないが、それにしては、独白というか自分の中を整理するような言葉だ。


「誰が、コイツを作ったんだか。……くだらねぇ。何で、俺がお前のことで頭を悩ませなきゃならないんだ」


 伊藤は、ナイフのグリップを指で挟んで、振り子のように刃を揺らめかせている。

 自らの思考に沈んでいるようで、うかつに声もかけられない。


 伊藤の独白が、俺には理解できなかった。




 伊藤の様子に、しばらく戸惑っていたが、不意にゾクリと背筋が冷たくなった。

 ピリピリと神経が逆立つ。


 恐る恐る伊藤を見ると、不穏な気配が伊藤を取り巻いていた。

 伊藤の手元のナイフが、ギラギラと鈍い光を発している。

 その冷えた目の底には、熾火のような黒々とした敵意がとぐろを巻いていた。


 警戒する俺を見て、伊藤がささやく。

 やけに甘い声だった。


「なぁ、《不発弾》。一つ約定を交わさないか? 代償は、俺の最大限の協力。勿論調査中は、ちびすけを守るし、お前の命も狙わない」


「破格の条件だな。だが、……俺は、それに報いるカードを持っていない。取引は、イーヴンに行うものだろう。だから、悪いが――」


 クツクツと、伊藤が低く嗤う。


「なに、俺の条件と対等どころか、それを凌駕するカードをお前は持っているさ。うまくいけば、俺は『運営』に追われずともいいし、ちびすけどころか、学校中が救われるかもしれない」


「そんなうまい話、あるわけが……」


 反論の声をあげようにも、伊藤の異様な気配に押され、思わず口ごもる。

 炯々(けいけい)とした異様な目が、伊藤の本気を伝えていた。



 伊藤が口を開く。蛇のように、赤い舌がのたうって言葉を吐き出した。



「簡単なことだ。事が終わったら、お前はそのまま『自害』しろ。それで全部片が付く」



 したたるような甘い声に反して、伊藤の言葉は苛烈を極めた。


 耳から入った言葉の、そのむごさに思考が停止する。

 じがい、自害、つまり……俺に自殺しろと?


 呆然とした俺の様子を見ても、伊藤は前言を撤回しなかった。

 むしろ楽しげに、くつくつと低い声で嗤っている。


「むしろ、この成り行きは当然だろう? お前は自分の命を餌に、俺を引き込みたい。俺は、ちびを守ってお前を殺したい。ならば――お前が自分の命を毛ほども(かえり)みないなら、お前が、自分で自分を殺せばいい。俺は約定通り、ちびを守る」


「伊藤、どうしてだ……。どうして、急にそんなことを、」


 伊藤の豹変ぶりに、放心しながらも、ようやっと言葉を返す。

 伊藤は、常になく上機嫌に小首をかしげて見せた。


「どうして? 正直言うと、お前ごときを殺すために手を汚すのはまっぴらごめんなんだ。『運営』に追われるリスクも、後ろに手が回るリスクも避けたいなら、この選択はベストだろう?」


 ――お前のせいで不幸になる人間が、いなくなる。お前もそれを望んでいるんだろう? 


 ――じゃあ、お前が自分で死ねばいい。簡単なことだ。


 クスクスと笑い含みで、吐かれる言葉の凄絶さに眩暈(めまい)がする。


 こいつは、本当に伊藤か。

 まだ結界の中にいて、夢を見ているのだろうか……?


 微かな希望を滲ませて、柵の周囲に視線を走らせる。

 冷や汗が、額から流れ落ちて眼球の表面を削り取っていった。


 結界に必要な糸は、全て断たれている……。


 つまり、これは……、現実だ。


 イカレた暗殺者が、自殺をそそのかす。

 俺は、自分の仕掛けた罠にはまって、取り返しがつかなくなっている。


 夢から脱しても、酷い現実が俺を殺そうとしていた。


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