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鮮血の朝島四兄弟

 

 差し出されたコーヒーを受け取って啜る。この暑さなのに容赦のないホットコーヒーだ。喉を焼く熱で、まだ揺蕩(たゆた)っていた眠気がゆっくりと解けていく。

 ちらっと時計を確認すると、まだ7時20分だった。学校にはチャリで15分くらいなのでまだまだ余裕がある。

 こんなことならもっと寝坊してやればよかった。そうすれば、兄貴の飯だけ相手にすれば済んだのに。

 兄貴も嫌味さえなければ、ウチの家族では一番まともな方なんだけどさ。


 兄貴は今度は、小難しい専門書を開きだした。足を組み、本をひざ上に広げる。

 そうしていつもポストイットを傍らにおいて、付箋を貼りながら読むのだ。

 そんな丁寧に読まなくても兄貴なら一読で頭に入って理解できているのに無駄な几帳面だった。


 透き通るような白い肌に、光の反射具合で明るくも暗くもなるダークブラウンの髪。

 そして、硬質な目に黒縁フレームの眼鏡。


 見た目が、出来る大学生な上に、事実そうなのでよく大学の女にキャーキャー騒がれている。まだ二年生なのにゼミ長を任されるのだから、末恐ろしい有望株だった。

 かくいう俺はマグを両手で包んで、ふぅふぅと冷ましながらコーヒーを啜っている。女子か。別にいいだろ落ち着くんだから。


「兄貴はさ、なんでそんなに頭がいいのになんでウチの底辺校に入ったんだ?」

「なんだ藪から棒に、突然」

 そう言いつつも、兄貴は俺が(兄貴の基準では)突拍子もないことを言うのは慣れっこだったのでまったく専門書から目を上げない。

 俺もそんな兄貴の態度には慣れきっていた。


「だって、もっと偏差値高い高校に行けただろ。親父も母さんも上二人はどうしようもないって諦めているみたいだけど、代わりに兄貴には相当期待しているみたいだし。なんで両親の期待裏切ってまでウチの底辺高校に入ったのかずっと疑問だったんだよ。ウチの高校なんてわざわざ履歴書に傷作るだけだろ?」


 専門書を読み進めていた兄貴の視線が止まった。

 ゆっくりとこちらに顔を向ける。いつも通りの優等生じみた真面目な表情だったが、かすかに眉間にしわが寄っている。

 お説教タイムのときの表情だった。


 兄貴は専門書を閉じ、椅子ごと俺に正対した。

 背筋はしゃっきり伸びていて指も軽く組まれている。圧迫感が半端ない。

 そしておもむろに口を開いた。


「いいか。仮にも朝島家四兄弟が全員お世話になったんだ。母校をけなすようなことを言うんじゃない」


 至極まっとうだが、内容はそんな深刻になるほどでもない。兄貴の説教なんてそんなものだ。


「事実なんだからしょうがないだろ。

 今だって大学の連中に馬鹿にされてるんじゃないのか?兄貴の大学国立だし、うちの高校から入った奴なんて兄貴しかいねぇよ。なぁ、なんでうちの高校に入ったんだ?」


 なんでもないように逆に突っ込む。

 説教屋はこちらが言いよどんだり、説教に怯んだりした時に調子づくのだ。

 平常心で説教を受け流し、逆に質問で切り込むことが最良手である。

 事実兄貴は不愉快そうにちょっと眉を動かしたが、さらに俺の失言を責めることはしなかった。これ以上言っても俺が悪びれるとも思えないので無駄だと諦めたらしい。

 ……ごめんな兄貴。



「……兄さんと姉さんの不始末を片づけたかったからだ」

 溜息をついて教えてくれた理由は、ちょっと予想外のものだった。


「は?」


「立つ鳥跡を濁さずというだろう。それをあの二人は散々学校区を滅茶苦茶にしたまま卒業しようとした。私にはそれが我慢できなかったんだ」


「そんだけのために底辺校で三年間頑張ったの?」


 あっけにとられて、思わずマグを持つ手の力が抜ける。慌ててテーブルに置いた。

 兄貴らしいと言えばらしいが、あの二人にささげるには兄貴の青春の3年間は尊すぎる。


「それだけとお前は言うが一大事業だったぞ。あの二人の狼藉は身に染みて知っているだろう」

 悩ましげに眉をひそめる兄貴だが、二人合わせてのべ6年にも渡る長兄と長女のふるまいの始末をずっとしていたのだ。そうしたくもなると思う。


「そりゃあ、一番初めに入学した与四郎(よしろう)兄貴は一年生のくせに番長ぼこって裏番にのし上がったし……。」

 思い出すも頭が痛いが、当の与四郎兄貴はいかにも当然のように16歳で裏番に収まった。

 あっけにとられるより、乾いた笑いが漏れるようなあまりに非現実的な事件である。

 俺が10歳の時で、その時の俺は事の重大さを知らず無邪気に喜んでいた。……ヒーローものが好きだったのだ。


 兄貴が言をつなげる。

三弥子(みやこ)姉さんは入学早々、当時三年生の与四郎兄さんに対抗してレディースを組織した」

 そもそもあの二人は性格が似すぎていたのだ。必然的に行動も似通ってくる。

 そして同じものを目指す以上争いは必至だった。

 それが、たとえ「学校区の覇権を武力で握る」なんてぶっ飛んだものであっても……。


「与四郎兄が卒業するまで、他校まで巻き込んだ壮大な兄妹喧嘩って聞いたぜ。それはそれは地獄そのものだって、ウチの高校では伝説になってる」

 言うまでもないことだが、俺もしっかりとばっちりを受けた。

 中学ではさんざん弄られたし、兄貴たちと同じ高校に入っても遠巻きにされ、お礼参りされた。

 理由が兄貴と姉貴にあると知ったときはさもありなんと納得し、ひたすらに謝りながら日々を過ごした。

 ……高校生になってからは、中学と比べものにならないほどのどん底である。そして、その苦しみは今も続いているのだ。


「そして三弥子姉さんが3年生の時、私が入学した。分かるか? 姉さんと闘いつつ、不良に満ち満ちた校紀を(ただ)す私の苦労が」


「まぁ。敬次兄の一年生で生徒会長に就任した挙句の不良粛清も伝説になってるし……」


 兄貴はそれまでバラバラだった各校の反三弥子派をまとめ上げた。

 資金の供給源を探り当て、次々と絶った。レディースにスパイを送り込み、情報操作で敵対組織と噛みあわせて……。

 普段良識ぶっているが、兄貴も上二人と似たり寄ったりの容赦の無さだった。朝島家で真にまともなのは俺しかいないのではないだろうか。


 ともあれ現在は与四郎兄貴も三弥子姉もすでに家を出ている。そのことが唯一の救いだ。

 あの二人はどんなところでも、生きていけるから心配はしていない。

 ただ敬次兄に苦労を掛けるのは金輪際やめてくれとだけ1000回は言ってやりたいだけだ。


「そのかいあって柄守(つかもり)高校の校風は昔より格段に良くなった。朝島家の面目も保たれたというわけだ。お前も学校が楽しいだろう」


 饒舌ではあるが、疲れたような話し方だ。そうであってほしいと祈るような願いが込められているのを、痛いほど感じる。ここでいいえと言えるほど俺の良心は擦れてはいない。


「……うん」


「そうか。ならばいい。お前には上の二人と違ってまともに育ってほしいんだ。朝島家全員が不良のレッテルを張られるのだけは我慢ならないからな」


 疲れた表情ながらも、心底安心したほっとした声色だった。俺が楽しく高校生活を送っていることが嬉しいらしい。 

 

 ……本当にそうなら俺ももっと素直に感謝できたんだけどな。俺の学校生活の苦労は俺がどうにかしなきゃいけない。兄貴もそうしたんだから、兄貴に当たるのは間違っている。 

 ただ、わかってても少しだけ悔しい気持ちはある。ほんとごめんな兄貴。



 苦笑いで歪んでいるだろう俺の表情を読まれるわけにはいかない。ごく自然を装って時計を見た。8時。そろそろ用意をしないと。


「兄貴は学校の時間、いいの?」


 立ち上がって、朝食のトレーを持ち上げる。兄貴は時計を見た後、俺を見上げてかすかに笑った。野郎の笑顔なんかかわいくない。絶対に、だ。


「今日は2時限目からだ。お前はちょうどいい時間だな。気を付けて行っておいで」


 

 制服を衣替えしてから半月経つ。

 白い半そでシャツは涼しいし、見た目も暑苦しくないので好きだ。ただ、弁当にケチャップを入れられないのが難点だ。制服に万一でも付いたら困る。


 チャリをひっぱり出しながら、先ほどの兄貴との会話を反芻した。


 長兄と長女が二人合わせて6年間も滅茶苦茶にしたウチの柄守高校。その後、敬次兄が文字通り命がけでまともに戻した3年間。敬次兄が卒業してから無事に俺が過ごした2年間。


 兄貴は俺が楽しく過ごしていたと考えているみたいだが、事実は少し違う。 

 兄貴はあの二人が規格外で、俺と兄貴だけがまともだと考えているみたいだが、事実はだいぶ違う。


「兄貴はお前だけはまともになれって言うけどさ。朝島家は敬次兄も含めて全員ぶっ飛んだ兄弟にカウントされているんだぜ。俺もとっくにまともじゃないってレッテル張られてたよ。」


 チャリのスタンドが引っかかってうまく外れない。

「人畜無害の普通のガキに見られるようになるまでに、俺がどのくらい……。まぁそれも兄貴の苦労に比べれば大したことはないんだろうけど、さっ……!」


 思い切りスタンドを蹴っ飛ばしてやっと外れた。

 このチャリも一年生の時から使っていたので、もう3年目に突入した。半年後の卒業時にはもうこのチャリもお役御免になるだろう。


 同時に俺の楽しい高校生活も終わりだ。二度と思い出したくない思い出が3年分増える。


 もう慣れた。


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