帰り支度にかばん二つ
はたと、一つ思い至った。
「そうだ。それ、今回の異世界成人式が怪しいほど急に決まったこと、兄貴は知っているのか?」
今朝の兄貴は、今回の成人式は全然問題ないと言っていたはずだ。しかし、この不透明な状況は兄貴の考えと矛盾する。
「いえ、確実性はなかったのでまだ報告を上げてなかったのですが……多分中途半端にですが、お伝えすることになると思います」
「なんだその中途半端って」
当たり前の疑問を投げかけたのに、ちびは固まった。
話そうか、どうしようか。
俺から目を逸らしながらぐるぐる迷っているようだ。
しかし、結局理由を話さなければ俺が勝手に、今回の情報を兄貴にバラすと判断したらしい。
こそっと口許に手を当てて小声で教えてくれた。
「ここだけの話、『運営』は揺れているんです。敬次さんに学校のことは何でもお伝えすべきと考えている派閥と、せっかく心休まる生活をされているのに徒に不穏な報告を上げるべきではないという派閥があって……」
悩ましげに俯くちび。またここでも板挟みで苦労しているらしい。
「その間をとって、軽く耳に入れる程度になるってことか」
「お恥ずかしい限りです」
見るからにしょんぼりしている。おもわず慣れないフォローを入れたくなった。
「どちらも、本心から兄貴のことを心配してのことだろ。結構なことじゃないか」
「その通りなんですけど……。未だに卒業した敬次さんの存在で、『運営』がまとまってるってことは問題なんですよ。これからの『運営』が心配で……って始さんに愚痴ることじゃなかったですね」
ちびは少し笑うと、咳払いして仕切りなおした。
「そう。ちょうどいいことに、むしろこの『運営』の方針は僕らにとって好機なんです。
ちょっとだけ敬次さんの耳に入れることで、かえって敬次さんは心配しますから。きっと僕に情報収集を命じて、始君に伝えるように依頼すると思うんです」
「そうなれば、ちびは俺に公然と情報を流せるってことか」
「ええ。しばらくは、始君の言うとおりに『運営』に隠れて情報を集めます。『運営』が、敬次さんに成人式の情報を上げてからが勝負です。上手くいけば『運営』の情報部を公然と使って情報を集められるかもしれない」
「そううまくいくのか?」
「うーん、こればかりはどうなるかわかりません。敬次さん自身が、『運営』を私的に使うことに抵抗があるかもしれませんし。……でも、少なくとも始君に情報を流すことは許可されると思います」
ひとまず、どちらに転ぼうとも成人式の情報は確保できるということらしい。
「わかった。情報についてはちびに任せた。悪いけどよろしく頼む。ただし、負担が強かったら俺への情報提供は打ち切っていい。無理をしてちびが倒れたら、元も子もない」
ちびは、にっこり笑っておどけて見せた。
「大丈夫ですよ。僕、まだ若いし。敬次さんが居た頃は三徹くらい当たり前でしたから、見た目より体力ありますもん――――って、違います。敬次さんは女の子に徹夜させるような最低男じゃありません! 僕が勝手に敬次さんに隠れて徹夜していたんです!!」
途中から無表情になった俺を見て、ちびは必死に兄貴を庇いだした。大げさに手をぷるぷる振って疑惑を懸命に否定する。
よかった。
うっかり兄貴との戦争の決意を固める所だった。
ちびは、俺の不穏な雰囲気を敏感に察したらしい。わざとらしく、ぽんと手を打ち鳴らして強引に俺の意識を逸らそうとした。
不器用なことに、声までぎこちなく高くなっている。
「そうだ、始君!! あれからかなり時間が経ってますからもう帰りましょう! ねっ、ねっ!?」
次いで、ちびは慌てて自分の肩越しに教室の壁時計を指さした。俺に詰め寄りながらなので自分は全く文字盤を見ていない。
「ほら始君、もうこんな時間になっちゃいました。 敬次さんとご家族に心配される前に 一緒に帰りましょう! ほら、ホットココア飲みながら帰ると楽しいですから」
こいつは本当に一直線というか……。
俺を帰らせようと、なぜかココアまで持ち出した。それはお前の好物じゃないのか。
もはや訳が分からない。
俺と兄貴を喧嘩させたくないあまり、すっかり混乱しているようだった。
ちびの必死さに免じて、折れることにする。
「……、そうだなもう20時だし帰るか」
「ええ、そうです。そうしましょう――――ん? 20時?」
ほっとして頷いていたちび。その顔がにわかに凍りついた。
バッと音が聞こえそうなほど、ちびは素早く振り向く。
彼女の視線の先には、無情なほど正確に20時を刻む壁掛け時計があった。
「――――嘘20時?! 本当に?! あれ、19時はどこに飛んでいったの!?」
自分から時計を指さした癖に、こいつはなんでこんなにショックを受けてるんだ。
そっちの方がよほど不思議だった。
そもそも、あの《フラ村のトレィアちゃんのファンタジックな可愛さ解説》を2時間以上やったんだから、20時過ぎでも十分収まったほうだと思う。
もしかしなくても、ちびは『熱中すると時間を忘れるタイプ』なんだろうか。
「ど、どうしよう。お母さんに怒られる! ただでさえ『運営』の仕事で遅くなっているから言い訳に苦労してるのに……」
こんどはあわあわして、意味もなく自分の頭をくしゃくしゃとかき回しはじめた。
本当に見ててあきない。
自然と口の端が上がった。
「わかったから、一緒に帰ろう。俺に勉強教えてくれたから、遅くなったんだろ。親御さんには俺から説明する」
「え?」
きょとんと動きを止めたちびを尻目に、俺は、自分の机に向かった。
そして、机の脇のフックに掛かった通学かばんを持ち上げる。
慣れた重みが腕に伝わった。
まだ小首を傾げたままのちびに向かって、ちょっと笑って見せる。
「そういうこと。それでいい?」
ちびは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
そして、理解すると目を見開いて泡喰ったように遠慮し始めた。
「だ、だめです、だめです。 うちのお母さん真に受けてしまいます。絶対いい顔しませんよ。“こんな遅くまで女の子を引き留めるなんて……”ってネチネチ説教を始めるに違いありません! 始君のせいじゃないのに責められるって理不尽すぎますよ!」
「その説教って、兄貴の説教と比べるとどう?」
「――恐ろしいこと聞きますね。そりゃ、敬次さんのお説教の方が怖いですけど。むぅ、いや、僕が言いたいのはそういうことじゃなくてですね……」
「わかるよ。けど兄貴の本気の説教よりマシなら、俺は怖くない。それにこんなに遅くなった原因は間違いなく俺にあるし、説教受けるのも仕方ないと思う」
「いやいや、それはいけません。始君は悪くありません。元はと言えば、僕が要領悪くて話を長引かせてしまったのが原因で……って、聞いてます?」
きょろきょろと教室中に視線を移ろわせていると、ちびのじっとりとした視線を感じた。
構わずちびの席に近づくと、机に掛かっただいぶ小さいかばんを取り上げる。
俺のかばんと、ちびのかばん。
大きさはだいぶ違うのに、重さはほとんど変わらないのが不思議だった。
『運営』情報部の腕利きは、常に情報に接していないと不安らしい。
「後は、帰り道で話そう。ついでにココアのある自販機も寄って行こうな」
ちびのかばんを差し出して、うながした。
かばんは俺が持っていってもよかったが、このかばんはちびの仕事道具が入っている。他人が触っていいものとは思えなかった。
ちびは、複雑な顔をして神妙に自分のかばんを受け取った。
「始君ってなんというか……けっこう強引ですね」
「嫌か?」
「嫌じゃないです。けど始君、将来は女性で苦労しますよ」
ちびは厳かな預言者めいた口調で、よくわからないことを言い出した。
「女性で苦労? どういう意味だそれ」
「無意識でやっているなら、あっちこっちに修羅場を招いて大変なことになるって意味です」
ちびは、肩をすくめると疲れたようにため息をついた。
修羅場、ね。
俺には一番近くて、縁遠い言葉だった。
学校中の恨みを買っている俺は、毎日のように軽蔑され、時折暴力沙汰に発展している。
そういう意味じゃ、毎日修羅場だ。
だが、ちびのいう修羅場はもっと色気のある意味なんだろう。
暴力に脅える俺にそんな日が来るとはとても思えなかった。