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ローズ・F・ケネディの警句

 


「俺は、ちびに感謝している」

 ちびはあってはならないことが起きたように、目を見開いた。



「ちびのおかげで、俺を心配してくれる人が兄貴以外にもいるってわかった。それだけでも感謝している。恨む気にはなれない」


 全校生徒に敵視されている俺を心配してくれる人が、一人でもいたこと。

 それがどれほど救いになったのか。いくら言葉を重ねてもこの嬉しさを全部伝えるには足りなかった。


 ちびは、納得いかないように首を振った。

「でも、それで僕たちのやってきたことが帳消しになるわけじゃない……」


「確かにお前のチームがやったことに傷付かなかった、といったら嘘になる」


 あえてちびの言葉を肯定すると、ちびはぐっと自分の手を握り締めた。

 ちびを傷つけたいわけじゃない。俺は、言葉を逸らせるように素早く言を継いだ。


「けど、傷はいつか治るんだ。お前はなにもかも取り返しがつかないと言うけど、けしてそんなことはない。事実俺は、ちびが心配してくれてそれだけで……救われたような気がする」


 照れて後半は自然に早口になったが、ちびは一言も聞きもらさなかった。

 また泣きそうに、ちびの瞳が潤む。


 だから、で続ける言葉は意識しなくても柔らかいものになった。

「だから、今は帳消しにならなくてもいい。傷を全部埋めるほど嬉しいことや、ちびみたいに味方になってくれる人がこれから先たくさんいるかもしれない。それで、全部昔のことを笑い飛ばせるようになれば、その時に全部帳消しになる」



 全部、これから次第なんだよ。



 これが、自分には最も必要な理念だった。しかし、まさかマイナス思考に凝り固まっていた自分の口から、こんな前向きな言葉が出るとは……。俺自身が一番驚いている。

 本当は、誰かに言って欲しかった言葉だったのに。

 誰かに言うことで初めて自分が慰められたような気さえした。


 ちびは、涙がにじむ目をごしごしと乱暴にぬぐった。合間合間にぐすっと、涙をこらえてしゃくりあげる音がする。

 ちびがポケットから出した白いハンカチはあっという間に、重く濡れていった。



 ややあって、ハンカチで目元を拭いながらちびは思いもよらないことを言い出した。

「……始君は、ローズ・F・ケネディって方、ご存知ですか?」

 泣いたからか、ちびの声は掠れていた。


「いや、知らないな」

 ケネディという姓で、真っ先に思いついたのはアメリカの暗殺された大統領だ。しかし、ローズという名には聞き覚えがない。大統領の縁者だろうか。


「ローズ・F・ケネディは、ジョン・F・ケネディ大統領のお母さんです。四男五女の9人の子供を育てた芯の強い女性だったみたいです」


 そう言ってちびは少し笑った。

 俺は、頷いて続きを促した。なにかとてつもなく大事な、ちびの心の内を明かされているような気がした。

 急かしたくない。


「その方が、こんな言葉を残したんです」


『時はすべての傷を癒すと言われているが、私はそうは思わない。傷は残るのだ。

 時が経てば、正気を保つために皮膚は新しい組織で覆われ、痛みは和らぐ。だが傷は残る』


「それは……」

 それは、ジョン・F・ケネディをはじめとした子供たちを失った、彼女の絶望が込められた言葉だった。


 ちびは、俺の呆然とした視線を受け止めて悲しそうに笑った。

「この格言を初めて聞いた時、僕は真っ先に始君のことを思い出したんです。

 ……君の3年間についた有象無象の傷も、彼女と同じく君の皮膚の下でずっと君をさいなみ続ける。それを考えたら、僕はすごく怖くなりました。僕たちは、自分が耐えられない傷を君に与え続けてしまった」


 ちびの懺悔ざんげは、深い。

 自分を擦り減らすような悔悛かいしゅんは、ともすると俺よりよほど悲痛だった。


「君に謝らなければいけないとずっと考えて、挙句の果てには君の心の内を暴いてさらに傷つけてしまいました。どれほど謝っても足りません」


 口調は静かで、だからこそ後悔が強く滲む。

「ちび……」


 どう声を掛けたらいいのかわからず、ただ名前を呼ぶことしかできなかった。


 それでもちびは、俺の声に応えてにっこりと笑った。


「でも、始君は強かった。僕は、始君の未来が苦しみに満ちたものと決めてかかってたのに……君は未来をとても綺麗に語るんですね」


「未来が決まってないことが綺麗なのか?」

 思わず、口を挟むとちびは深くうなずいた。


「えぇ、綺麗ですよ。未来が決まっていないってことは、可能性があるってことですから。僕は、可能性なんてはなから無いものと決めつけてしまった」


 本当は、可能性と言うほど確かなものではない。ただ先を考えないようにしているだけかもしれない。

 けれども、俺は今を全力で生きているつもりだ。

 傍目には耐えるだけの人生に疲れ果て、捻くれて、まっすぐに歩けなくなったように見えても、それだけは胸を張って言える。

 全力で生きた先に可能性があるのだとすれば、それが悔いのない自分の人生かもしれない。


「始君、僕は決めました」

 ハンカチを握りしめて、ちびは俺を見上げた。もうすっかり涙は引いていた。

 代わりにやたら強いまなざしが、並々ならぬ決意を語っている。

 嫌な予感がした。


 唐突な宣言に目を見開く俺に、ちびは高らかに宣言した。

「僕は、始君を卒業まで全力でサポートします!」

「……は?」


 待て、どうしてそうなる……?!


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