郵便受けには不吉なお知らせ
夏が近い。
玄関を開けた途端、梅雨のジメジメした暑さがじっとりまとわりついた。
「あっつ……」
パジャマ代わりの襟が伸びたTシャツが汗をすいこむ。
ハーフパンツも中学のモノだ。少しよれている。寝起きの恰好のままだが、早朝なのでまぁ外に出れる許容範囲内だろう。
寝ぐせでところどころ跳ねた髪をかき混ぜた。
眠気で瞼が開かないが、お役目を果たさないと兄貴に怒られる。
毎朝の朝刊当番は、なぜか最後に起きる俺が任命されている。読みたい人や先に起きた人が取りに行けばいいのに、律儀に俺が取ってくるのを待っているのだ。
俺を朝刊係に任命した兄貴の言い分では「ずっと待っている人がいれば、いくら寝坊が好きなお前でも早起きできるだろう」とのことだ。
俺の良心に訴える作戦のようだったが、さにあらず。
待たせるのが兄貴なら別に良心の呵責もなく、何時間も寝坊できた。結局無駄な作戦だった。
……寝坊という割にまだ7時前だが、嘘は言っていない。全員早起きの朝島家からしたら俺は十分ねぼすけの範囲内だ。
別に後ろめたいとかそんなことはない。事実、わざと寝坊して新聞を取りに行くなんて、後ろめたい人間にできるはずがない。
あくび交じりに門に括り付けられている郵便受けを探った。ガサガサと紙のすれ合う音が今日はだいぶ大きい。
「んー、なんだ。新聞以外にだいぶ入ってる? っと!」
気合いと共に新聞とその他もろもろを引き抜く。
手の中に残ったのは、新聞、地域広報誌、そして郵便受けの取り出し口が詰まりそうなほどぶ厚く赤い封筒だった。
あて名は俺―――朝島始。
猛烈に嫌な予感がして慌てて封筒の裏の差出人を見る。
そこには『七草市市長、仏座なずな』の文字が禍々しい雰囲気をもって記してあった。
「……おいおい」
仏座なずなといえば、クレイジーさでは全世界に並ぶ者がいない我が七草市の市長様だ。
七草市は、ネットでは《日本最後の秘境》やら《魔都市》などありがたくない汚名を着せられている。
原因は、九割方この市長様だ。
実際、異世界へのゲートを開いただの、異世界から爆発的に増殖する植物を持ち込んで産業を興しただのその悪魔的所業には枚挙のいとまがない。
まぁ何だかんだでぶっ飛んだ所業の割に、しっかりと七草市にプラスになる政策を実行しているため今も解任には至っていない。
頼りになるが、関わってはいけない。そんなタイプの人間である。
……しかし、向こうから関わってきたときにはどうすればいいんだ。
新聞と広報誌を小脇に抱え、恐る恐る封筒の封を切り一枚目のプリントを取り出した。そこにはこう書かれていた。
成人式のお知らせ 2014.06.15
ご存知の通り我が七草市は財政破綻の只中にあり、残念ながら成人式に割く予算がありませんでした。
しかし幸い本年度は異世界にあるデス帝国フランドーレ村から援助を受け、異世界のデスマウンテンを会場として成人式を行うことが叶いました。
新成人の皆様はご家族と水杯を交わした上で、武器を持参し異世界ゲートへお越しください。
注)武器がない方は、自衛隊より貸し出しを行っております。
元来、成人式とは悪くすると死んじゃったりする過酷なものでありました。
自衛隊どころか米軍が行方不明となるような危ない場所であるからこそ、ここから帰ってきた時あなた方は他県民と比類なき立派な成人となっているでしょう。なお、引き出物はウルシオザウルという翼竜の肉だそうです。検疫局に持ち帰りの上、検疫が終了するまで食べないようにお願いします。
七草市市長 仏座なずな
ザッと血が下がっていくのが自分でもわかった。
(え、成人式ってそんなサバイバルだったっけ。つまんない式辞聞いて、記念品もらってそれだけじゃなかったか。つうか、七草市が財政破綻? そんなことニュースでは一言も……)
3秒ほどで50ほどの疑問が浮かび、そして思考停止した。考えるだけ無駄だ。ヤツはやると言ったら必ずヤる。
とりあえず、俺にできることは自分より頭のいい奴に指示を仰ぐことだった。慌てて踵を返して、家に駆けこんだ。兄貴ならどうすればいいのかわかりそうだった。
「間違いなく市長の悪ふざけだ。相手にするだけ無駄」
兄貴――朝島敬次はコーヒーを優雅に飲みながらプリントを流し読みし、飽きたように突っ返した。そして、いつものように新聞に目を通し始める。自分で言った通り全く相手にしてないようだった。
「根拠は?」
「まず、七草市は財政破綻していない。これは市役所勤めの友人の証言で裏が取れている。
また、自衛隊で武器の貸し出しは憲法違反だ。国が許すわけがない。
何より、死の危険がある成人式など実施したら確実に犯罪だ。あの好き勝手できる地位に恋々とする市長が自分の立場を危うくさせる成人式をするはずがない……まだ根拠が必要か? 」
「……もう十分です」
「大方、経済破綻した夕張市の成人式を見てネタに走ったんだろう。あの人は不謹慎なことも平気でやる」
そう言われてみれば、そういう気もしてくる。市長は冗談を本気でやることもあるが、本気と見せかけて冗談で済ませることもある。
要は読みづらく、わけのわからない人間だった。
すると、これは嘘だらけのお知らせということだろうか。
……その可能性は大いにある。
「お前もまだ18歳とはいえ、新成人だ。こういう嘘を見抜けるようになりなさい」
俺の不満そうな顔を見咎めたのか、兄貴は新聞を畳みながら諭すように言った。
俺はもちろん反駁する。
「つっても2年前までは法律で20歳が成人だろ。それ考えれば18歳なんてガキなんだからわかんなくてもしょうがない」
「昔はともかく、今は少子化で18歳から選挙権が与えられる。それに準じての18歳成人式だ。大人としての責任は18歳でも十分担える。年齢を言い訳にできる時代ではなくなった」
面憎いほどに正論だった。ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。
俺はさらにふて腐れ、乱暴に椅子に座った。
テーブルの上には兄貴の作った目玉焼きやサラダの乗った朝食のプレート。
苛立ち交じりに目玉焼きにフォークを突き刺した。口に入れて咀嚼する。
こんなに冷めてもうまいのだから、いろいろおかしい。兄貴は嫁に行っても苦労しないだろう。
少し落ち着いたが悔しいので反撃に出る。
「じゃぁ、考えた上で言うけどさ。異世界で成人式やるのだけは本当だと思う」
「根拠は?」
さっきの俺のセリフだ。ほんと嫌味な兄貴だ。
「コレ。多分翻訳機だ。広報誌の異世界特集で市の職員が耳に着けていた写真があったから、間違いない」
テーブルの上にコトンと見た目の割に軽い音を立てて、機械を置く。
封筒には書類のほかに箱が入っていた。郵便受けにつっかえて取り出しにくかったのはこの箱のせいだったらしい。
その中には、耳に掛けるタイプのイヤホンとそれに繋がった小さなマイク付の機械があった。
「なるほど。なら、異世界での成人式は本当かもしれないな。市の広報誌を見てみろ。多分そこに本当のことが書いてある」
あぁ、そうか。市民向けの広報誌なら適当なことは書けないはずだ。
すっかり忘れられていた広報誌をめくる。
終わりの方に成人式のお知らせがあった。
開催日時、時間、場所。
……確かに集合場所は、地元の中学校だったがそこからさらに移動するらしい。
バスの行先は異世界で交流をもつフランドーレ村だった。バスで異世界行きのゲートを通行するという意味だろうか。
「『今回の成人式では、異世界との初めての民間交流を実施します。それがフランドーレ村と七草市の合同成人式です。異世界の新成人の方々と切磋琢磨できる貴重な機会となっております。安全は七草市、フランドーレ村共同で保証します。どうぞ奮ってご参加ください。』……だってさ」
これで、成人式を異世界でやることは確定だろう。
しかし、他の情報は確定しているのか?本当が一つでもあった以上、他は嘘と決めつけていいのだろうか?
「他の情報の真偽が不安か?」
俺と自分のマグカップにコーヒーを注ぎながら、兄貴が静かに尋ねる。なんで兄貴は俺の考えを読めるのか。
「心配なら、お前の友人たちに聞いてみろ。確かお前のクラスメイトには父親が自衛官の生徒と母親がPTA会長の生徒が居ただろう」
だからなんで、兄貴は俺のクラスメイトの親の職業までも知っているんだ。おれの微妙な表情を見てあっさりと兄貴は言った。
「俺はお前の学校の元生徒会長だ。そういう情報にアクセスできる環境にいたし、今でもその伝手はある」
何でもないように言っているが、普通はいくら生徒会長でも生徒の個人情報を閲覧できるわけがないのだが……。
俺の母校は兄貴が卒業してからも、その魔の手から逃げられないらしい。