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紳士は異世界でメイドハーレムの夢をみる 作者:むらのとみのり

第四章

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冬の過ごし方

「冬だなあ」

 小さなテントから顔を半分出して、エッサ湖にゆっくりと舞い始めた雪を眺めている。
 それにしても寒い。
 湖に面した裏庭の桟橋に設置した簡易テントの中には、俺の他に年少組が集まっている。
 それで何をしているかというと、釣りだ。
 汽水湖であるエッサ湖はこの寒さでも凍ることはないが、それでも釣りをするにはいかがなものかと思う。
 思うんだけど、皆が釣りをしたいというので、ここで風よけのテントを貼って仲良くやってるわけだ。

 俺の膝の上では馬人の撫子と牛娘のピューパーが並んで座って小さな釣り竿を構えている。
 撫子も最近は釣りをするようになった。
 でもって、俺の頭の上ではクントが小さな火の玉になって乗っかっている。
 クントはだいたいいつも誰かの頭に載ってるな。
 火の玉と言っても、見た目が燃えてるように見えるだけで、別に熱くはない。
 ただの光る塊だ。
 俺の横ではウクレやリプルらが毛布にくるまって釣り竿を垂らしている。
 フルンとエットは、どうということはないという顔でテントの外で釣っている。
 平凡な冬の一日ってやつだ。

「あっ! クメトスが帰ってきた! おーい!」

 フルンが手を振ると、はるか遠くの小舟の上で何かが動く。
 たぶんクメトスなんだろうが、はっきり言って点にしか見えない。
 そのままじっと見つめていると、だんだん大きくなってきた。
 たしかにクメトスだ。
 今日は早かったな。

 桟橋の反対側に船をつけると、送迎のボートに礼を述べて送り返す。
 ボートを漕いでいたのは、まだ入団して半年足らずの新人だ。
 見習いなのに白象騎士団はここ数ヶ月でいろいろありすぎて、さぞ大変だったろう。

「只今戻りました、ご主人様」

 桟橋に立ってテントの中を覗き込むクメトス。

「おう、おつかれさん。早かったな」
「雑用が思いの外、早く片付きましたので」
「それで、休暇は取れたのか?」
「はい、引き継ぎも順調ですし、火急の事態でも起きなければ、一週間は休みです」
「そりゃあ良かった」
「ところで、この寒空の下で釣れるのですか?」
「今んとこ坊主だな。今大物がかかったけど」

 そう言ってクメトスをテントの中に引き釣り込む。
 分厚い皮の外套の下は、薄手の麻のシャツだけだ。
 これで寒くないのかな。

「お、お待ち下さい。せめて体を清めてから」
「まあいいじゃないか、ホラ、ここに座る」

 と隣の僅かなスペースに座らせると、俺の竿を手渡した。

「よし、任せたぞ」
「はあ、それでは」

 と竿を垂らす。
 両手が塞がったところを見て、服の上から胸を揉む。

「ちょ、そのようにされては……」
「ほら、竿が動いてる。それじゃあ、魚が寄ってこないぞ」
「し、しかし」
「ホラ、修行だと思って頑張れ」

 そういいながら、さらに揉む。
 クメトスは騎士らしく、かなりガッツリした体格で揉み応えがある。
 反応もウブなのでなおさらだ。
 真っ赤に染まったクメトスの横顔を改めてまじまじと見る。
 初見ではおばさん扱いしてしまったクメトスだが、従者となった今、改めて見るととても美人に見える。
 西洋人というかギリシャ彫刻とでも言うか、そういう彫りの深い端正な顔立ちのせいで当初は随分違った印象を受けたのだが、エンテルに教わって髪を綺麗に整え、目尻などにちょっと手を加えてやると、モデル並みの美しい顔が出来上がる。
 騎士として鍛えた見事な体格も相まって、まるでスーパーモデルのようだ。

「そ、そういえば、一度、領地に顔を出していただかないと」

 とクメトス。
 彼女は小さいとはいえ、代々の貴族で、小さな山村の領主なのだ。
 うちの工場があるシーリオ村からさらに奥に分け入ったところにあり、まともな税収もないが、彼女にとっては大事な故郷だ。

 クメトスは本名をクメルトーレス・レビオックといい、レビオック家の現当主である。
 小さな屋敷では老いた執事とクメトスの乳母であったその妻が家を守っているとか。
 彼女の両親はすでにこの世になく、兄弟もいない。
 クメトス自身はこのまま独身を貫き、騎士として生涯を終えるつもりで、執事夫婦なきあとは領地を手放すつもりだったとか。
 当初、クメトスは領地をまるごと俺に譲るつもりだったそうだが、よそ者の俺に簡単に土地を譲ることは出来ないようだ。
 まあ、そりゃそうだよな。
 結局、そのままクメトスが領主を続けるらしい。

「実家の執事夫婦も、ご主人様にお目通りする日を楽しみにしているようでして」
「うん、しばらくシーリオ村にも行ってないしなあ。でも川がもう凍結してるんだろう?」

 シーリオ村までは船で行くのが一番確実で、陸路だと山を迂回していくことになる。

「どうも今年は例年より寒いようですね。村もすでに雪で覆われているので、やはり春まで待ってということになるでしょうか」
「でも、早いほうがいいか。陸路で行けるように調整しとこう」
「よろしくお願いしま…ぁ、そこは……」

 モミモミ。
 ちょっとあったまってきたかな。
 そろそろ中からも暖めたい頃合いだが。
 そこに、牛ママのパンテーが湯気を立てながら大きな鍋を運んできた。

「おでんが出来ましたよ、あついうちにどうぞ」

 と、見るからに熱々でウマそうだ。
 魚の出汁のなかに野菜やら肉がぶち込んであるだけで、おでんとポトフの中間みたいな感じだが、うまいので細かいことは気にしない。
 テントの入口に鍋をおいてもぐもぐと頬張っていると、フルンがほったらかしにした竿がブルブル震えだす。

「お、引いてるぞ、フルン!」
「ほんとだ!」

 と駆け出していって慌てて飛びついて竿を引くが、こちらが引いた瞬間、魚も急にグイグイ引き始めた。

「でかい! 大物!」

 竿は今にも折れそうなほどにしなり、フルンも顔を真赤にして引っ張る。
 いつの間にか裏庭に出ていたコルスがそばに立って、

「そのように力任せではダメでござるよ。糸の先にいる魚の動きを感じるでござる」
「む、むずかしい! 見えないし!」
「見えずともつながっているでござろう、指先を通じて、見るでござる」
「が、がんばる!」

 フンフン言いながら魚と格闘すること十数分。
 ついにフルンは大物を釣り上げた。

「やった、でかい!」
「はは、見事でござるな、途中からはよく動きがあっていたでござるよ」
「うん、あのね、動きは見えないけど、動きたい感じとか、疲れた感じが分かる感じだった!」
「それがわかれば、十分でござるなあ」

 俺にわかるのは、あの魚がうまそうということだけだ。

「フルンはよく修行ができていますね。大人になる頃には、きっと優れた剣士になるでしょう」

 とクメトス。
 そういう彼女も、うちではトップクラスの実力者だ。
 オルエンやエーメスも十分に強いが、騎士としてはそれより頭一つは抜けているという。
 冒険者としての経験は全く無いが、そこはどうにかなるだろう。
 それよりも別の問題がある。
 彼女の体の変化のことだ。

「肉体的な能力に違いは感じないのですが、体の内にコアを宿したことで、以前よりも明確に精霊力を感じます。そのせいでなんというか、その……」

 体が火照っているのだ、という。
 ホロアとして生まれ変わった彼女は、他のホロア同様、主人に対して沸き起こる感情の変化に戸惑っているのだ。
 言ってみれば年中発情しているようなもので、クメトスもその例に漏れず、夜毎激しくなってきた。
 俺的には大歓迎だけどな。

 フルンが大物を釣り上げたことで、今日の釣りは終了となった。
 ちょうど雪も激しくなってきたしな。
 テントを片付けて家にはいろうとすると、大工コンビのカプルとシャミが出てきた。

「あら、ご主人様。釣りはもう終わりですの?」
「ちょっと雪がきつくなってきたしな」
「そうですの、困りましたわね。今から炉を使おうと思いましたのに」

 裏庭に設置した錬金術用の炉のことだ。
 こいつを使ってシャミが金属を加工するのだが、外にあるのでこういう時は不便だな。

「雪よけにテントを使うか? まだこれぐらいなら大丈夫だろう」
「そうさせていただきますわ」

 杭を何本も立てて、簡易の屋根を作る。
 さらに焚き火を起こしてやると、案外寒さはしのげるようだ。

「なんか楽しそうだな、よし、今度はここで酒盛りだ」

 というわけで、さらに空樽などで風よけを作り、雪よけの屋根も貼って裏庭で飲み始めた。
 こうなると降りしきる雪も立派なツマミになるもんだ。
 風流だねえ。



「ヘックショイ!」

 昨日馬鹿なことをしたせいで、今日は朝から風邪気味だった。
 ホロアはまず風邪を引かないというが、古代種もやはりそうらしい。
 暖炉の前で鼻を垂らしているのは、俺と奴隷で人間のウクレだけだった。

「おう、ウクレ。具合はどうだ?」
「はい、熱はなさそうですし、ちょっと鼻が詰まるぐらいなんですけど、皆休めって言うから」
「ははは。まあ、そういう日もあるさ。ネールはもう出かけたのかな?」

 元船幽霊のネールは今も毎日、ヘンボスのところに行って妹達の様子を見守っている。

「いつもの時間に。今日はエレンとクレナイも一緒でした。遺跡の跡を下調べするとか」
「ふぬ」

 はちみつとブランデーがたっぷりはいったお茶をすすってると、だいぶ楽になった。
 まあ、俺もそんなに寝込んだりするほうじゃないしな。
 となりでお茶をすすってるウクレを見ると、少しほてった頬に湯気があたって湿ってる。
 そこに暖炉の火が反射して、ピカピカ光って見えた。
 そばかすも少し減ったかな?

「あの、なんでしょう?」

 見られていることに気がついて、上目遣いに尋ねるウクレ。

「いやあ、今日もかわいいなあ、と思って」
「そ、そんなこと……ないです」

 モジモジと照れるウクレは更にかわいい。
 ニヤニヤと眺めていると、うちで俺の次に暇そうな燕がやってきた。

「二人共具合はどう? 顔が赤いわよ」
「ああ、もうダメだ。後生だから胸を揉ませてくれ」
「元気そうね、昼には良くなってるんじゃない?」

 そう言って隣りに座る。
 朝のうちは皆忙しいので、家の中はバタバタとしているが、それにしても元気だよなあ。
 同じように昨日外で遊んでた連中も、みんなケロっとしている。

「お前みたいなロボットの体が風邪引かないのはわかるけど、ホロアが風邪引かないのはどういう理屈だ?」

 と尋ねると、燕はしばらく首をひねりながら、

「さあ、遺伝的に抵抗力が上がってるんじゃないかしら? ご主人ちゃんはソースから自然発生したそのままの体だけど、この星の連中は違うんじゃない? 想像だけど」
「ソースってなんだよ」
「何だったかしら? えーとねえ、ほら地球でもこのペレラでも遺伝レベルで構造がほぼ同じじゃない。ようは同じソースから生まれたのよ……たぶん」
「また、たぶんか。お前の話はそればっかりだな」
「しょうがないじゃない、記憶が断片的すぎるんだから」
「まあいいけどな。じゃあ遺伝子レベルってアレか、遺伝子組み換え大豆とかそういうノリか?」
「たぶんね、寿命とかも伸ばしてたみたいだし」
「それで病気に強くなるのか」
「それが一番可能性が高いって話よ」
「なるほど」
「体の話だったら、クントの体を先にどうにかしてあげなさいよ」
「ああ、それなあ」

 火の玉少女のクントは、いわばホロアになりそこねたホロアもどきであって、人と同じような実体を持っていない。
 精神的にはまだ撫子やピューパーと同じぐらいの幼女であり、一緒に遊べないのがコンプレックスになっているようだ。
 魂の入っていない人形の素体を手に入れて、それに定着させるのが良いのではないか、ということで手配しようとしたのだが、子供サイズの人形というのはなかなか手に入らないらしい。
 さらに成長に合わせて体も大きくすることで、精神も成長させるのだとか。
 今は人形仲間にして義兄弟になった二人の弟分、ボルボルとアンチムに手紙で問い合わせているところだった。

「ま、遠からず返事が来るだろう。それでダメなら、人形工房にオーダーするという手もあるらしいから、ボルボルあたりに紹介してもらうよ」
「それならいいけど、体ってのは大事なのよ」
「そうなのかもなあ」
「そうなのよ!」

 そういえば、燕も初めて体を手に入れた時は随分喜んでたしな。
 なるべく早めにどうにかするとしよう。



 ソファに座ったまま、いつの間にかうたた寝していたようで、目を覚ますと毛布がかけてあった。
 暖炉の上の大きな振り子時計に目をやると、そろそろ10時だ。
 風邪っぽい感じはすっかり抜けたみたいだな。
 隣りにいたはずのウクレももういない。
 そういえば、今日もフューエルが来るんだっけ。
 最近は毎日のようにうちの地下に来て魔法の修行をしている。
 弟子であるウクレも熱心に修行しているようだ。
 魔法の使えない俺には、よくわからないんだけどな。
 起き上がって台所の方にいくと、アンとモアノアが朝の仕事を終えて休憩していた。

「ご主人様、具合はもうよろしいのですか?」

 とアン。

「おかげさまでね」
「なにか召し上がられます? ちょうど焼きたてのビスケットがありますが」
「じゃあ、それでももらおうかな」

 用意されたお茶とビスケットをかじりながら、台所を見渡す。
 リビングの方からは衝立で仕切られているだけで、ひとつながりになっているのだが、ここは水仕事がしやすいように床が石畳になっている。
 大きなかまどが2つと、最近作った薪のオーブン、そして洗い場と調理用のテーブルが2つ。
 大きな水瓶や酒樽も並んでいる。
 そのテーブルの一つで今、お茶を飲んでいるわけだ。
 もう一つのテーブルでは、パンテーとリプルの牛娘コンビが今朝絞った自分のミルクでバターかなにかを作っていた。
 シャミが作った手動の撹拌機があって、それをぐるぐる回している。
 こちらはミラーも二人、手伝っているようだ。

 かまどの奥は店の方に続いているのだが、今は6畳ほどのスペースが空いたままになっている。
 ここに新しいお風呂を作るらしい。
 探索のゴタゴタでカプルを駆り出していたせいで進んでなかったが、年内には待望の大きなお風呂ができるはずだ。
 今のところ、これが一番の楽しみだなあ。

「そういえば、メルビエの姉が今週にも出産だろうという話ですよ」
「ほう、とうとうか。大丈夫なのかな?」
「状態はいいようですね」
「無事に生まれたら、なにかお祝いをしないとなあ」
「それもそうなのですが、オムルでは赤子が生まれるとその都度リンゴの苗を植えるそうで、できれば植樹に参加して欲しいとロングマンが言っているそうです」
「へえ、そりゃあもちろん参加させてもらうよ」

 巨人のオムル族であるメルビエは、姉の出産に備えてちょくちょく実家に帰っている。
 歩いて二時間程度の距離だし、道も整備されているので、冬場でも大丈夫だろう。

「では、伝えておきましょう」

 そこに籠いっぱいに薬草を詰めたペイルーンがアフリエールを伴って裏口から入ってきた。

「あら、ご主人様もういいの?」
「まあね、そっちはなにやってんだ?」
「干してた薬草を、丸薬にしようと思ってね。もうじき神殿地下の探索でしょ、あれにオングラーさんなんかと店を出すから」
「ああ、そんな話もあったな」

 オングラーは向かいのお札屋を営む神霊術師の爺さんで、元冒険者であり、今は従者であるメイド族のエヌと二人で商売をやっている。
 うちのシルクロード商店街の会長でもある。

「じゃあ、今日はエンテルは一人か?」
「撫子とピューパーを連れて行ったわよ。子供向けの公開講義があるからって。ほら、漁師の子も来るとか」
「アースルちゃんか」
「最近のエンテルは発掘よりも教育に目覚めたみたいね。とくに私達の分野って人がいないからしっかり教育しないと」
「教育は大事だよなあ」

 教育といえば、レーンにハーエルの僧侶組と、オルエン達騎士組はそろって神殿の図書館にいるはずだ。
 以前からやっている魔法の修行の続きだ。
 今日は非番のクメトスも行っているのだろう。

「そろそろ次が焼けただすな」

 と我が家の料理長モアノアが立ち上がってオーブンから新しいビスケットを取り出すと、アンも立ち上がってポットにお茶を用意する。
 こちらは下に差し入れらしい。

「じゃあ、もうフューエルは来てたのか」
「んだ、今日は早かっただよ」
「持ってくのなら、俺も冷やかしに行こう」
「んだ、ごすじんさまが顔出すと、フューエル様もよろこぶだ」
「ははは、だといいけどなあ」

 差し入れを持ったアンとモアノアと一緒に地下に降りる。
 地下に降りる階段はすでに綺麗に整備されて手すりもついている。
 下に降りた最初の部屋は今は倉庫になっていて、常温で保存できる食料や、夏物の衣類などがしまってある。
 廊下に出て向かいの部屋は、フルンとエットが遊ぶスペースで、丸太と荒縄で組んだ巨大なジャングルジムのような物が設置されている。
 暇な時はここで一日中走り回っているようだ。

 ここでアンはカプルたちの事務所部屋に向かい、俺とモアノアがデュース達が修行している魔法部屋に向かう。
 入り口まで来ると、中ではビリビリバリバリと魔法が炸裂してて、ちょっと怖い。
 今はデュースがランダムに立ち上げた小さな火柱を、オーレが素早く氷の魔法で消していく練習をしていた。
 もぐらたたきみたいだな。
 一区切りついたところで差し入れを手渡すと、フューエルが俺を見てこう言った。

「あら、もう具合はよろしいのですか? いたずらをして裏庭に立たされて風邪を引いたと聞きましたが」
「そういう発想は立たされたことのある人間にしか浮かばないと思うんだが、どうかな?」
「憶測で人を評価するのは、リスクが大きいと思いますよ」
「逆転の可能性にかけるのも、時には大事だと思うがね」
「結果が出るときには、取り返しがつかない、ということも良くありますよ」

 そこにモアノアが割り込んで、ビスケットの籠を差し出す。

「ほれほれ、これでも食って二人共いたみわけだべ」
「いい匂い。いつもあなたの料理は楽しみなんですよ」
「そう言ってもらえると嬉しいだぁよ」

 そう言って立ったまま籠に手を突っ込み、バリバリと食べ始める。
 領主のお嬢さんの食べ方じゃないよなあ、と思うがこれ以上突っ込むのはやめる。
 みるとウクレは笑いをかみ殺しているし、オーレはよくわからない感じでニコニコしているし、デュースはいつものことだと呆れ顔だ。

 しばらく雑談してから、カプルたちの事務所部屋に移動する。
 こっちではカプルとサウとメイフルの三人が喧喧囂囂たる会議を繰り広げていた。

「だからー、この桃のシンボルはうちの看板なんでしょ! 誰が見てもピーチヒップのゲームだってわかるような共通化が必要なんじゃない!」
「そうは言うても、このどぎついピンクやと子供向けはようても、こっちの最高級品に貼ってもうたら台無しですがな」
「だからそんな古臭い装飾は止めて、全部共通のデザインにしようって話なんじゃないの!」
「差別化は必要でっせ! そもそもこない高いゲームに金だすようなお人は持つこと自体にステータスを感じるもんですわ。特に必需品と違う、こういう水商売ではそう言うお客はんの望みは最優先にせなあきまへん」
「だからこそよ、子供の頃に買ったチェス、その上位版を大人になって稼いで買う、さらに自分の子や孫にってそういうスパンの話をしてるんでしょ」
「そもそも、この最低価格のラインを自分たちで用意するのは、現状では無理がありますわ。せめて今の10倍ぐらいの工場規模にしないと」
「そないな余裕ありますかいな」
「そこはメイフルがどうにかしなさいよ!」
「そうですわ!」

 楽しそうだなあ。
 今一人、大工のシャミは、ペンを片手に書記を務めているようだが、横から覗くと落書きをしていた。

「何書いてるんだ?」
「ん? これ……時計」
「ほう」
「ご主人様のスマホ、載ってた、てんぷ」
「てんぷ?」
「振り子の代わり。バネで周期、決める。試作中。うまく行けば、手のひらサイズの時計、作れる」
「ほほう、そりゃ楽しみだな」
「うん」

 そういや時計の仕組みなんて知らないもんな。
 振り子時計が振り子の周期が一定なのを利用してるのはわかるが、それ以外はさっぱりだ。

「ちょっとシャミ! ご主人様と楽しそうに喋ってないで、あんたもなにかないの? ほら、こっちも見てよ」

 とサウに矛先を向けられたシャミが、手渡されたスケッチを前にしばらく悩んでから、

「こっちのロゴ。線が細すぎ。版が保たない」
「えー、でも彫れるでしょ?」
「彫れるけど、量産は、無理」
「うぐぐ、この流れる繊細なラインが積み重なる知性のきらめきを表してるのに」
「デザインはいい、でも、コスト、大事」
「ま、まあ、そりゃそうよね。じゃあご主人様もなにか無いの!」

 今度は俺かよ。

「あー、そうだな。じゃあ高級品は金ピカの桃にしようぜ。金持ちは金が好きなんだよ」
「えー、ほんとに?」
「金桃、銀桃、白桃、赤桃とかでグレード分けすりゃいいじゃん。いつかは金桃、みたいな」
「うーん、理屈はわかるけど……」
「まあなんだ、俺の適当なアイデアなんぞ聞き流して、しっかり頑張ってくれ」

 会議の邪魔をしちゃ悪いので、事務所をあとにして上に戻ると、牛ママのパンテーが隣の集会所にエクたちを呼びに行くところだった。

「もう、昼飯か」
「そうなんです」
「ふぬ、俺も覗きに行こう」

 と一緒に表から出る。
 左隣りのルチアの喫茶店は、祭りのあとも順調に繁盛しているようで、テーブルを増やして通りで賑やかにやっている。
 この寒空でも客が入るもんなんだな。
 ちらりと覗くと、判子ちゃんがお盆を持って走り回っていた。
 もう一人、最近雇ったパートのおばちゃんもいるな。
 彼女は昼時だけやってくる、ルチアの親戚らしい。
 この調子だと、遠からず二号店でも作りそうだな。
 その隣の本屋は休業中だ。
 これは、いつものことだ。
 向かいのオングラーは、表に出て長椅子で新聞を読んでいた。
 目があったので軽く会釈する。
 果物屋とパン屋は、まあいつもどおりだろう。
 モーラの仕立屋は看板を卸していた。
 あそこは外回りが多いようだよなあ、御用聞きに回ってるのかな?

 そんなことを考えながら集会所に入ると、子どもたちがワラワラと集まって、チェスチャンピオンのイミアと貴族奴隷のエクの試合を見ていた。
 イミアいわく、良い対戦をたくさん見ることが最も良いトレーニングなのだという。
 彼女は祖父の棋譜をひたすら見続けて勉強したのだとか。
 セスもフルンにいつも、よく見ろと言ってるしな。
 まあ、それは一流の育て方な気もするが。
 一流に慣れない多くの人間には、手取り足取り教えないとなあ。
 別のテーブルでは魔族のプールが近所の子にコマの動かし方を教えていた。

「どうだい、もうチェスは打てるようになったかい?」

 とその子に聞くと、

「コマは覚えたけど。でも、全然勝てないの」
「ははは、俺も勝てないからなあ」
「くだらん自慢をするものではない」

 とプール。

「勝つだけが全てではないという価値観の多様性を教えようと思ってだな」
「そういうのは屁理屈に過ぎぬ。多様性というのは各々の立脚する価値の上に成り立つものだ。ただ負けた自分を肯定するだけではなんの価値も生み出さぬではないか」
「ああ言えばこう言う、そう都合よく返せるもんだな」
「相手の言いそうなことを予測しておけばどのような言葉にも返せるというもの。チェスにも通じる心構えだな」
「くそう、俺は口でも負けるのか」
「ふん、最近、丸くなったのではないか? フューエルの尻に敷かれ過ぎであろう。今からそれでは、将来が思いやられるな」
「将来ってなんだよ」
「さあな、自分の胸に聞くが良い」

 くそう、好き勝手言いやがって。
 そういうプールのまわりにも結構子供が集まっている。
 はじめは魔族と聞いて怖がっていた子も、一度慣れると逆に物珍しさから寄ってくるそうだ。
 それにエク相手だと連敗のプールでも、年寄り相手だと、結構勝てるようになっているらしい。
 好んでそんなプールに教わる子供もいるのだとか。
 そうして教えているプールも、満更でもないようだ。

「まるで、石になる前の自分が別物であったかのようだな。あの頃の自分には到底想像もつかぬ生活をしながら、それでいて満足しておるのだからな」

 などと以前言っていたこともある。
 まあ、満足してるなら、俺に言うことはなにもないけどな。

 家に戻って食事をとる。
 午後になると修行を終えたフューエル達は買い物に行くのだという。
 俺は誘ってもらえなかったので、ゴロゴロ過ごすことにした。
 もう少し暖かければ、二階のテラスから湖でも眺めて過ごすのだが、昨日風邪を引きかけたばかりだしな。
 今日はおとなしく、暖炉の前で過ごす。
 用意させた水割りをテーブルにおいて、ソファにクッションを並べ、その上に斜めにふんぞり返って読みかけの本を読む。
 これはフルンがおすすめだからといって貸してくれたやつだ。
 昔の勇者の話らしい。
 こっちの本は基本的に手刷りなせいか、紙も固く製本もアバウトでカバーも分厚い。
 要するに読みにくい。
 もっとも自分で手に持つからしんどいのであって、誰かに持ってもらえばむしろ活字がでかくて読みやすいのだった。
 というわけで、ソファの手前にミラーを座らせ、本を持っててもらう。
 これぞ紳士の醍醐味だな。
 この優雅な姿勢でまったりと大昔の英雄譚に胸を躍らせるのだ。
 そういえば、読んでるうちに六大魔女とか言うのが出てきたんだけど、このうちの一人ってどうもデュースのことみたいだなー、と思いながら読んでたら、ちゃんと雷炎の魔女って書いてあった。
 さすが1000年も生きてるだけのことはあるぜ。
 誰も突っ込まなかったけど、ネールの話から想像すると、デュースも同じく1000年前の黒竜との戦いの直後に生まれたっぽいしなあ。
 あの二人合わせて2000歳だもんな。
 年増とか大年増とか、そういう表現でカバーできる範囲を超え過ぎだよ。
 それはそれとして読んでると、まあまあ面白いんだけど、どうも表現が堅苦しい。
 脳内翻訳の影響がどれぐらいあるのかは分からないが、最近、わりとそのまま読めてる気もするし。
 もうちょっと口語でわかりやすく書けばいいのになあ、と思ったが、エンテルあたりに聞くと、口語の小説などというのは聞いたことがないらしい。
 しいて言えば、舞台の台本集ぐらいだろうか、という。
 つまりこれはビジネスチャンスではないのか?
 夏目漱石だってルターだってわかりやすい言葉で書いたから歴史に名を残したんじゃないか。
 よく知らんけど。
 というわけで、突然思い立って、なにか書くことにした。
 暇をもてあますと、人間ろくなことを思いつかないよなあ、と思いつつ、筆記具を用意させる。
 いや、どうせなら優雅に口頭筆記かな。
 もう一人ミラーを呼んで、記録してもらうことにした。
 ふむ、何がいいかな。
 こういう時は自分の好きなものを……おっぱいかな?
 それだとポルノじゃないか。
 流石にまずいだろう。
 じゃあ、紳士としての紀行文みたいなのはどうだ。
 タイトルは紳士歴程、とかどうだろう。
 試練の道をたどり、ホロアマスターへと至る旅の記録だ。
 うむ、かっこいい。
 タイトルだけならすごく売れそうだ。
 書き出しはこうだ……。

「吾輩は紳士である、名前はまだない」
「名前はクリュウでは?」

 とのミラーのツッコミに、冷静になった。
 ただのパクリじゃないか。
 いかんいかん、なにかこう、もっと……。
 だめだ、俺って文才ないかも。
 いやいや、そんないきなりうまくいくわけないな。
 剣の修行と同じだ、とりあえず書いてりゃどうにかなるんじゃないかなあ。
 その前に飽きそうだけど。



 グダグダやっているうちに夕方になる。
 さっき帰宅したセス達道場組は、今は地下室でさらに修行してるらしい。
 がんばるなあ。
 俺の執筆活動は、すでに終わったけど。

「只今戻りました」

 そこにエンテル達も帰ってきた。
 撫子とピューパーも一緒だ。

「アースルちゃんを送って行ったので、遅くなってしまいました」

 何やら向こうでごちそうになったらしい。

「おみやげもらった」

 とピューパーが差し出したのは、いつもの干物だ。
 今日は立派な鯖だった。

「いつもありがたいな、今度酒でも持って行こう」

 というとエンテルも、

「ええ、それがいいでしょう」
「あちらも元気かい?」
「タモルさんは相変わらず。そういえばホムさんがおめでたで、夏には二人目が生まれるとか」
「そりゃめでたい。といっても、暮らしは大丈夫なのかな?」
「それで素直に喜べないとは言っていましたよ」
「大変だよなあ」

 部屋着に着替えてきた撫子とピューパーが、俺の両隣にちょこんと座る。

「外は寒かったか?」
「はい、でもパンテーが編んでくれたマフラーが暖かかったです」

 と撫子。

「うん、あったかい」

 とこちらはピューパー。

「そりゃあよかったな」

 そこにエンテルもコートを脱いでやってくる。
 手には手紙を持っているようだ。

「誰からだい?」
「父からですね」
「そういや、祭りの間は来れなかったな」
「クラブの寄り合いがどうのと言っていましたから」

 そう言って手紙に目を通す。

「来週には都合がつくのでどうかという話みたいですね。宿を用意しておけと」
「家に泊まってもらえばいいじゃないか」
「父は人の多い家を好まないので、どうでしょうか」
「ふぬ、まあ無理にとはいわんが。そういえば、アフリエールの祖父母も、土木ギルドの会合で年末にこっちに来るらしいな」
「そう言っていましたね。どうもダンジョン内での拠点設営に土木ギルドが乗り出すのでは、という噂ですから、その件ではないでしょうか。これは学院で聞いた話なんですけど……」
「うん」
「先の探索でもそうでしたが、近年、大規模ダンジョンの発見がいくつかあって、騎士団だけでは拠点設営が追いつかないので、専門の人足や技師を送り込むのだとか」
「しかし、ダンジョンだと危ないだろう」
「ええ、ですから、ダンジョンに特化した職人を養成するといった話なのでは?」
「なるほど」
「そこで発掘経験の豊富な考古学者にもアドバイザーとしての話が来ているようなんですよ。私たちはよくダンジョンを掘り返したりしてますので。先日もギルドの人を紹介されたのですが……」
「まあ、やりたければやってもいいんじゃないか? けど、あまり好みじゃないだろう」
「確かに」

 と言ってエンテルは苦笑する。

「最近は後進の育成に力を入れてるそうじゃないか」
「そこまで大層なものではないのです。以前はひたすら遺跡を発掘するだけが楽しみだったのですが、子どもたちが自分の好きなものに興味を持ってくれるところを見ていると、昔の自分を思い出しまして。もっと知識が欲しいという衝動は、やはり大人が叶えてあげないと」
「そうだよなあ、年をとるとだんだん頭が固くなるしなあ」
「ふふ、ご主人様はまだまだ柔らかい方でしょう」
「そうかな?」
「柔軟すぎて、たまについていけない時もありますけど」
「褒めるのは生徒だけにしとけよ」

 ついで、神殿でお勉強に勤しんでいたレーン達が帰ってきた。

「只今帰ったでありますよ!」

 といつものごとくクロに乗ったレルルが、景気よく挨拶する。
 覚醒してとんでもない力を発揮したレルルだが、あのあと、一度も覚醒には成功していない。
 そもそも、何がどうなったのかもよくわかっていない状況だ。
 自由に覚醒状態になれるネールの話では、

「変わろうと思えば、自然に状態が変わるものなので、どうやるのかと言われても説明が難しく」

 とのことで、レルルはしばらく頑張っていたが、どうにもならなかった。
 ただ、レルルは覚醒して我を忘れた状態で友人を傷つけてしまったことにショックを受けていたようだ。
 そのことが今度は別の足かせになっているのではないだろうか。
 ままならんものだな。

 レルル達は奥に着替えに入り、一人残ったガーディアンのクロは、土間に移ってフルンとエットにじゃぶじゃぶと水をかけて洗ってもらっていた。

「二人共冷たくないのか?」

 と聞くと、

「冷たい!」

 と口をそろえて答える。
 やっぱ冷たいんだ。
 冷たさへの耐性が違うのかな?
 筋肉とか脂肪の量とかでも変わるよなあ。
 二人共抱っこするとすごくあったかいんだ、これが。
 逆にデュースなんかは脂肪がたっぷり付いてるせいかひんやりしてるしな。

「ボス、進展ガアッタゾ」

 とひっくり返ってタワシで擦られながらクロがそう言う。

「なんの話だ?」
「軌道管理局トノ交渉ダ」
「ほほう」

 軌道管理局ってのは先日まで探索していた、この街の地下にある遺跡のことらしい。

「認証ヲ通セバ、ノード229ガ交渉ニ応ジルト言ッテル。ヤツラ、主権限喪失ヲ認メナイ。頑固スギル」
「ふぬ、ようするに誰か責任者を立てればいいわけか……エンテルはどうなんだ?」

 前に彼女自身が生体認証のコードとなってうまく行ったこともある。

「スデニ試シタ、結果ハ不可。認証レベルガ低イ。エンテルハ技術院所属」
「ふぬ」

 所属が違うと。
 そもそも軌道管理局とか技術院ってなんだろう。
 クロの話では、そういうグループという認識であって、ただの警備員である彼女たちは、何を守っていたのかよく知らないという。
 名前から推測すると、技術院ってのは何かの研究所か工場かなあ、とは思える。
 あの謎の丸い飛行機とかを作ってたのかもしれないし。
 ただ、軌道管理局ってのはなんだろう。
 軌道ってのは静止軌道とかの軌道かな?
 とすると人工衛星とかを管理してたんだろうか?
 そういえば、以前紅と、そういうものがあったんじゃないかという可能性の話もしたな。
 結局、みつからなかったけど。

「じゃあ、軌道管理局とやらの子孫を探せばいいのかな」
「ソウ、ソウイウ感ジ。タノンダゾ、ボス」

 心当たりはある。
 基地の上にある下水場、あそこの管理人であるアムハッサ青年は、下水場の管理装置の声が聞こえると言っていた。
 それはつまり、あの施設に認証されているということではないだろうか?
 折を見て、彼の元を訪ねてみるとしよう。
 妹も可愛かったしな。
 地下のガーディアンが味方にならずとも、せめて敵対しなくなるだけで、探索は随分と楽になるはずだ。
 エンテルたちの要望に応じて、基地を探索するのは、その後でもいいだろう。



 メルビエを除いて全員揃ったところで、夕飯の支度が整った。
 いざ乾杯、と構えたところで、表からズシンと鈍い音が響く。

「メルビエだ!」

 とフルンが耳を立てて飛び出していった。
 馬車を出し入れする方の大きな扉を開くと、3m近いメルビエの巨体が立っていた。

「今、帰っただすよ」

 大きさを除けば、田舎者丸出しの赤ら顔に、凍りかけた鼻水が少し垂れている。
 ほんと、うちの従者もバラエティに飛んだラインナップだな。

「お帰り、寒かったろう。早く入って温まれ」
「んだ、これ、おとうからの土産だ」

 そう言ってでかい木箱をどすんと運びこむ。

「いつもすまんな。ロングマンは元気かい?」
「体は元気だども、あねさんのことでオロオロしっぱなしだ。村一番の強者が聞いていあきれるだよ」
「ははは、まあ大事な初孫だ、心配にもなるさ」

 家族全員が揃ったところで、改めて乾杯だ。



 翌朝。
 再び実家に帰るメルビエを見送る。

「たぶん、次はあねさんの出産後になると思うだよ」
「うん、お姉さんにもよろしくな。頑張って元気な子を産めるよう、祈ってるよ」
「んだ。じゃあ、行ってくるだ」

 東の大通りに向かう角で、何度も振り返り手を振るメルビエを見えなくなるまで見送る。
 大事な従者にしばらく会えないってのは、寂しいもんだな。
 そう考えていると、無意識に胸元のペンダントを握りしめていた。
 これはまあ、癖みたいなもんだ。
 しかし、まさかこの中にあんな空間があったとは。

 あのあと、内なる館――ただし土地のみ――に何度か出入りしてみたが、カプルの作った匣は元通りピッタリと閉じたまま動かないし、判子ちゃんもいない。
 ただ無限に続く草原に穏やかな風が吹いているだけだった。
 ネールの話にあったとおり、俺も家でも建ててみようかと思って、カプルを連れて入ってみたのだが、彼女の話では難しいという。

「ここの土地は、耕すには良い土地だと思いますけど、家を建てるのは難しいですわね。ほら、あの匣も少し沈んでいるでしょう。地面が柔らかすぎるのですわ。相当掘り返して地盤から固めないことには」
「なるほど」
「それに、水や下水の問題もありますわ。見渡す限り、川などもないようですし、まずは井戸を掘って、飲水が確保できるかどうかも確かめなければ」
「ふぬ」
「どうしても必要であればこちらを優先しますけど、ここに今すぐ家を建てるメリットは見いだせないと思いますわ」
「言われてみるとそうだなあ」

 そもそも、今住んでる家もまだ改築中なわけだ。
 地下室もあるしな。
 カプルにはお風呂を優先してもらうべきだよな、というわけで、この『内なる館』とやらは空き地のまま放置することにした。
 そのうち、使いみちも思い浮かぶかもしれないしな。

 一緒に見送っていた従者たちは家に入り、すでに朝の仕事を始めている。
 一人外に残った俺がふたたび通りに目をやると、職場に向かう職人や学生などがまばらに見える。
 また今日も街が動き出す時間が来たようだ。
 その中に一人だけ、妙に目立つ人物がいた。
 どうもこう、スケール感がおかしい。
 初めてメルビエを見た時のような違和感だ。
 ずんぐりとした体にやけに大きなザックを背負い、ひょこひょこと歩いてくる。
 それが目の前に来てやっとわかった。
 極端に小さいんだ。
 せいぜい俺の腰ぐらいしか身長のない、かと言って子供とも言えない、童話に出てくる小人のような女性が俺の前に立ち止まると、こう言った。

「あなたがクリュウ様ですね、しばらくお世話になります。どうぞ宜しくお願いします」
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