氷室冬夏。
街は今日も、何も変わらず動いている。
友人と楽しそうに話す学生。無表情で歩く昼休憩中のOL。母親と手を繋いで歩く男の子。
そんな街の一部として、一人の少女が佇んでいた。
彼女は無表情に手元のスマートフォンを弄っている。特に何か目的があるわけではなく、ただの暇潰しだ。
場所は、ショッピングモールの時計塔下。
新興都市である新栄市最大の施設(と呼んでいいのかは微妙だが)であるショッピングモール、そこの中心にある時計塔はレンガで造られ、古風でお洒落だということで若者の待ち合わせ場所に人気なのである。
そんな場所で退屈そうにケータイを弄る少女もまた、待ち合わせの最中だった。
少女は髪を肩に掛かるかどうかぐらいまで伸ばしていて、色は艶のある黒。周りの同年代と思しき少女たちが焦げ茶やいっそ明るい茶色に染めている中、その綺麗な黒髪は少し目立つ。しかし、少女が周りの人間の眼を引いているのはそれが理由ではなかろう。当然、日本で黒髪が珍しいなどという輩はいない。
目立つのは、その容姿。細い、綺麗な柳眉にスっと通った鼻筋。手元のケータイを見ている目元は、周囲の男たちから見れば伏し目がちにしているようで、それがまた艷やかなのだ。
顔立ちとしては少しボーイッシュだが、十分に、いや十全に美人と評して差し支えないだろう。色白で化粧をしている様子がないというのも、男性の評価を高めている。
撫子と言うよりも、東洋系の美人と言うべきか。クールビューティという表現がしっくりくるその少女の名前は、氷室 冬夏。
そんな少女の名を親しげに呼ぶ、声が。
「よ、冬夏。お待たせ。」
声に反応して横を向いた冬夏の目線の先には、同年代の男子高校生が映っていた。その瞳は剣呑で、ネコ科の動物を思わせる。
目元に掛かりそうな黒髪に、中肉中背の背丈。黒い学ラン姿の少年を見て、少女は口元を綻ばせ――たりはしなかった。
「遅いよ、レオ。」
無表情のまま、相手の名を呼ぶ。その声にはあまり熱がこもっておらず、本当に怒っているのかそれとも社交辞令的な挨拶としてそういったのか、それすら判断が難しかった。
「悪い。講義が長引いてさ。」
しかし少年は普通に会話を交わす。表情による判断がない中で相手の意を汲み取るあたり、かなり親しい間柄だと見える。
そんな少年……獅子原 レオは、挨拶もそこそこに視線を冬夏の首より下へと向けてジロジロと眺めてきた。不躾に眺めてくるレオに、「なに?」と冬夏が口を開く。
「え、ああ、」ハッとして顔を上げたレオは、軽く眉根を寄せて、
「いや、なにっつーか、なんで制服?」
と首を傾げた。
襟とスカートが紺色のありふれたセーラー服は冬夏とレオが通う大葉高校の制服で、校則に休日も制服で行動せよなどという決まりはない。上にカーディガンを着ているとはいえ、冬夏の服装は大葉高校のセーラー服に違いなかった。
今日は土曜。ゆとり教育で半ドンがなくなったり、結局半日授業が復活したりと紆余曲折した結果、今現在の日本では各学校の判断で土曜日授業が行われたり、行われなかったりしている。大葉高校は基本的に土曜授業は無い。
そんな事情を考慮してのレオの質問への答えは、至極シンプルだった。
「だって、今日は土曜授業だったから。」
今日は、数少ない土曜授業だった。っそれだけである。
「……マジ?」
「うん。……そういえば、担任がキレてたよ。『進級早々サボリとは良い度胸だなあの猫目!』って。」
担任のマネをする冬夏の言葉に、レオは頭を抱えてぶつぶつ呟き出した。
「うわーマジかよ。普通に忘れてた……。覚えてりゃ連絡入れて……つーかそもそも講義の日程ずらしたのに……。」
「ドントマインド。」
適当っぽい慰めを言いながら、冬夏はケータイを仕舞う。ついでに補助バックを背負い直した辺りで、レオは自分の世界から帰ってきた。
そして矛先を冬夏に向けてきた。
「っていうか、朝に言ってくれよ! 今日学校だって!」
逆切れ、責任転嫁……と思うが、表に吐き出すのは内心とは別の台詞。
「私はてっきり、仕事で休むって連絡入れると思ったから。でも朝に担任がキレてるの見て、『ああ……』って。」
「ぐっ……。……うーん、今からでも遅くないかな。」
諦めの悪いレオに、
「もう遅いよ。手遅れ。」
冬夏はバッシリ止めを刺した。容赦は無い。
レオと冬夏の担任である女性教師は少々男勝りというか、過激な性格だった。その分生徒に歩み寄る性格でもあるため、意外と人気は高いのだが、その人気のうち半数ほど(つまり男子人気)はその整った容姿が理由である……という説もある。
未だに「いやでも仕事で忙しくてとか言えば……。」と往生際の悪いレオにこっそりため息を吐き出す冬夏は、同時にこっそり微笑んでいた。すぐに無表情へと戻ってしまっため、レオは気が付いていない様子だったが。
「それより、お腹すいた。早くどっかに食べに行こうよ。」
時刻は正午を一時間と少しオーバーしたくらい。冬夏の台詞に、レオも頷く。彼も空腹だったのだろう、すぐに乗ってきた。
あるいは現実逃避か。どちらでもいいや、と冬夏はその思考を止めた。
「んじゃ、どこ行く? 近場だと……。」
待ってましたとばかりに冬夏が即答、
「高級レストランに一票。」
その提案は、
「よし、ファミレス行くか。」
即座に却下された。
「えぇー……。」
「うるせい。どうせ俺の奢りなんだから文句言うなよ。」
片方は無表情、片方はしかめっ面だったが、これはこれで本人たちは楽しんでいた。
間を取ってステーキハウスに行くことになった二人は、並んで休日のショッピングモールの中を歩きだした。
♌
「そ言えば、お前部活は?」
そう訊ねて向かいに座る人間に視線を送ると、丁度おおきく切り分けたステーキを頬張る瞬間だった。見た目や雰囲気に反して口いっぱいにステーキを詰め込んだ冬夏が「ん?」と首を傾げる。その間にも咀嚼は止まっていなかった。
――この姿を見たらクラスの奴らビックリするだろうなぁ……と考えながら、レオはもう一度同じ質問を繰り返す。
「だから、部活だよ。バスケ部の定休って土曜じゃないだろ? つかバスケ部に定休ねーだろ。」
私立大葉高校は地区、全国でも運動部の強豪校で有名であり、冬夏はそんな中でも特に強豪と言われるバスケ部に所属している。バスケ部に決まった休みはなく、大会前日や直後が監督の気まぐれで休みになることはあるが、今日はどちらにも当てはまらない。
純粋に尋ねてくるレオに、ステーキを嚥下した冬夏は、
「サボった。」
とトンデモ発言をぶち込んできた。思わず飲んでいた水を吹き出しそうになり、耐えたらむせた。
レオがこんなにも驚いたのには、理由がある。
というのも、
「サボったって、いいのかよ副部長……。」
冬夏は大葉高バスケ部副部長だった。
彼女がバスケ部の副部長を任されるようになったのは一年生の時であり、それはかなり凄いことなのだ。流石に部長は二年生から選ばれたが、普通は副部長も二年から選出される。それだけ、冬夏の能力が高いということだ。
――リアルでは大した能力も持たない俺とは大違い、ってか。
そんな自嘲を一瞬胸に浮かべたが、それはすぐに霧散していった。この瞬間にはどうでもいい思考だ。
とにかく、強豪校の副部長を任される人間が部活をサボるなど、あっていいのだろうか。もう一度言うが、それでいいのか副部長。
しかし、冬夏自信は大して深く考えていないらしかった。そもそも気にしてすらいないのかもしれない。
再び、大口のステーキを食らう。
それを咀嚼し終えてから、冬夏は喋るために口を開いた。
「大丈夫だよ。部活に入った時も副部長に選ばれた時も、ちゃんと『家のことを優先して休むかもしれません。』って言っといたから。だから認可されてる。……事前に報告すれば、ね。」
「あー、なるほど……。つっても、今日は別に急ぐ用事もねーじゃん……。」
納得しつつも、イマイチ頷きがたい言葉にレオは余計な一言を付け足す。その蛇足な台詞に、冬夏はとぼけた顔で、首を傾げた。そして、
「レオとのデートは私の最優先事項だよ?」
さらりとそんな恥ずかしい台詞をのたまった。
再度、むせる。
「お、おまっ……、」
「冗談。今日休んだのは買出しの為。その為にここで待ち合わせしたんでしょ?」
「…………お前な。」
これで顔の一つでも赤らめていれば可愛げがあるのだが、生憎と全くの無表情。平然としているところが、可愛くない。
これもクールビューティたる由縁、か。
シモネタを振られても何食わぬ顔で「何?」などと返すその態度が良い! という男子の多いこと。どエムである。
――まあ、顔を赤らめてる冬夏なんて冬夏じゃない、という気もするけどな。
そう考えながら、レオはまだ半分以上残っているチーズハンバーグへと箸を向けた。
「ハンバーグを箸で食べるって珍しいよね。」
そんな様子を退屈そうに眺めていた冬夏が、不意にそう言った。彼女のステーキは付属の野菜やご飯も含めて既に完食されている。
「そうか? じゃ何で食べんの?」
「そう言われると……フォークとか。」
「……食べずらそー。」
「うん。言ってて思った。」
どうでもいいことをつらつらと話していると。
♪♪♪♪
控えめなメロディーが、レオのズボンのポケットから聞こえてきた。
「……あー、ちょっとゴメン。」
「いいよ。」
一応断りを入れてから、レオはポケットから音の発信源を取り出す。真っ黒な配色の、ガラケー。
「もしもし?」
『よお、ライオン君。今どこ?』
聞こえてきたのは、男の声。軽薄そうな印象のその声に、レオが表情を曇らせる。
「今は、大葉のショッピングモールで飯食ってますけど。」
『おっ、丁度いいねー。んじゃさ、今食ってるもの五分でかき込んで時計塔に集合ね。あ、電脳の方ね、サイバーグラウンド。』
何となく先の展開が予想出来るその台詞に、レオが「まさか?」と眉間にシワを寄せながら漏らす。
『そ、ブレイン発生ってわけ。』
「……マジ?」
嫌そうに呟いたレオの呟きを聞いて、こっそりとチーズハンバーグに手を伸ばしていた冬夏が、首を傾げた。
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