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プロローグ



 街。

 街には様々な人間が、様々な思いで、思惑で、考えで存在している。

 友人と楽しそうに笑い合う少女たち、真っ直ぐに前を向き姿勢良く歩くサラリーマン、音楽を聴きながら無表情に進む若者。

 携帯電話でメールを送りながら歩く青年、電話をする中年、無表情にハイテンションなコメントを書き込む女。

 彼らは皆、街の一部である。

 がやがやと騒がしい街。

 そんな街の背景と化している人間が、ここにも一人。

「…………」

 その人間は少年だった。おとなしい黒い髪を少し邪魔なくらい伸ばしている。前髪の下から覗く眼はどこか剣呑で、ネコ科の動物を思わせた。

 少年は学生服のポケットから携帯電話を取り出す。いわゆる“ガラケー”と呼ばれる、旧時代的なデザインの代物だ。別名パカパカケータイ。

 しかし、旧時代的なのはデザインだけである。

 少年はそのガラケーのボタンを何度かプッシュし、自身の耳にあてがう。そのまま何度か鳴る呼出音を、ビルの壁に背を預けながら聞くともなく聞く。ガラケーは真っ黒い色合いだった。

 少年の右耳の意識はケータイへと向いていたが、左耳は漠然と周囲の音を聞いていた。女子高生の何気ない噂話からサラリーマンの謝罪の声まで、街から聞こえてくる声は今日も節操がない。心地よくて、それでいてノイズのように不快な騒がしさ。無いと寂しいのに、在ると喧しい。そんな音だ。

 少年は右目を閉じて、左眼だけで世界を見る。

 少年の左眼に映る世界は青いラインと白い電波で構成され、あまりに多い情報量は人を構成する青ラインをかき消してしまっている。もちろんそれは少年の妄想の視覚情報であり、実際には世界は変わらず見慣れた景色で其処にある。だが、少年の左眼に映る景色は“ただの”妄想の類ではない。

 記憶に基づく映像の再生と、妄想による投射。それによって少年の左眼は、青い世界と白い電波を幻視していた。

 そんな少年の右耳で、電話の呼出音がとまった。直後に、無言の催促が電話越しに届いた。

「こちら【レオン】。作戦位置に到着した。」

 催促に応じて、少年が少しハスキーな声でそう伝える。

 電話相手の反応は素早かった。

『了解。では早速【電 脳 化(サイバーダイヴ)】してくれ。犯人はすぐそこまで迫っている。』

「…………了解。」

 少年の返答は短く、彼はすぐにガラケーでの通話を終えた。ぱたりと上画面を閉じたガラケーの表面を、少年は自分の口元まで持ってくる。

 ゆっくりと目を閉じた少年は、まるで世界から隔離されたような孤独感を纏っていた。

 そして彼は周りに聞こえないような小さな声で、しかし確かな発声で、その言葉を唱える。


電脳直結(ダイレクト)――……開始(コール)


 瞬間、静寂。

 少年の手の中にあるガラケーを中点として、半球状に青い光が拡がっていく。その速度はまさに瞬く間、瞬き一つ分にも満たないような速さだったが、少年はその肌で、感覚で、世界の変貌を感じ取っていた。

 ――世界に馴染んでいく。そんな感覚。己と世界が完全に合致し、違和感が、齟齬が、ズレが、修正され正しく満たされていく感覚。

 瞬く間のその刹那の時間に少年の脳内で閃いた思考は、少年自身にすら正確に認識できていない。無意識下での言葉。恐らくだからこその、掛け値なしの本音。

「…………【一体化(ダイブ)……完了(コンプリート)】」

 閉じていた眼を開いて呟いた少年の声は、既に街を歩く人々には届かない。街の一部たちの喧騒も、少年には届かないように。

 世界は、その姿を変える。

 空は淡いグレーブルーに、人は青いラインで型どった細密なポリゴンのようになり、ビルと道路とガードレールだけが僅かに電子的でありながら現実と変わらずそこにあった。

 現実世界(リアルグラウンド)に対する電脳平行世界(サイバーグラウンド)。それがこの世界の名前。電波と電子と意識体だけで構成される、電脳(サイバー)世界(グラウンド)

 暫くぼうっと電脳の虚空を眺めていた少年は、手に持っていたガラケーをポケットに仕舞い込んでビルの壁から体を離した。その際にポリゴン人間と接触するが、ポリゴン人間はそのままスルリとすり抜けてしまった。

 不可侵、それが同一の空間に存在しながら互いに干渉できない【平行世界】であるこの二つの世界の絶対的法則だ。

 少年は次々と自分の体をすり抜けていくポリゴン人間たちには目もくれず、ゆっくりとした速度で進み続ける。歩道と車道を区切るガードレールも気にせず飛び越え、少年は車道のど真ん中で歩を止めた。

 自分の左右を走り抜けていくポリゴンの車たち。まるでその光景に怯えてしまったかのように立ち尽くす少年の瞳に、“異常”が映る。

 それと少年との距離は、目測でおおよそ80メートル。それは青いラインに紛れ、チラチラと映る【黒】。

 黒い、髪。次いで見えたのは、肌色。

 少年がその眼に捉えたのは、明らかにポリゴン体でない“人間”の姿であった。

 人間それそのものがおかしなわけではない。事実、少年の体とて現実世界と変わらぬ容姿を保っている。つまり、少年が見ている人間は自分と同じく【電脳化(サイバーダイブ)】を行なった人間、ということだ。

 問題は、その事実そのもの。自分以外(・・・・)の人間が(・・・・)電脳化し(・・・・)ていると(・・・・)いうことだ(・・・・・)

 電脳法、と俗に呼ばれる法律によって、特定の公共施設や自宅等での【オフライン電脳化】、または学校での授業以外では、基本的に一般人の電脳化は禁止されている。そして今は、特例による一般人の電脳化の許可など出ていない。同時に言えば、少年以外の電脳許可を持つ人間が付近で電脳化しているという報告もない。

 つまり、少年の方向へ向かって走ってくる人間は、この時点で電脳法を犯しているということだ。

 しかし、彼が犯した罪はそれだけではなく、だからこそ少年が――――少年の所属する組織が駆り出されたのだった。

 少年と通信していた男の言を借りるなら【犯人】はこちらへと真っ直ぐに走ってくる。その速度は現実世界でならばかなり速いが、電脳平行世界に慣れた少年から見ると相当に遅かった。

「……初めてか、才能がないのか」

 呟く間にも犯人は接近し、遂に互いの顔を確認できるまでの距離まで詰まる。

 漸くこちらに気が付いた犯人が、その両目を大きく見開く。まさか先回りしているとは、とでも言いたげな顔である。

 ――プロを舐めないでもらいたい。

 犯人は驚きつつも、走る速度を緩めない。やはり素人か、と少年は嘆息する。慣れた犯罪者ならば、男子学生が電脳化しているという時点で即座に逃げの一手に切り替える。

 遂に距離が30メートルを割った。瞬間、犯人は必死の形相で吼えた。

退()けえええぇェェッ!!」

 咆哮する犯人の右手にバチバチとスパークが走る。青白い雷光を放つ右腕を、犯人が勢いよく突き出し――――



 犯人の体が中空へと吹っ飛んだ。



「――――…………ッ!?」

 あまりの衝撃に極限まで凝縮された体感時間の中で、犯人は必死に状況を把握しようとした。吹き飛び、空中で回転している体。その回転は自分の右頬を中点として起こっている。揺れる視界、暗む眼、その中で、偶然にも下を向いた視線の先の光景を見て、理解しがたいながらも犯人は自身の身に起こったことを理解した。

 すでに10メートル近く遠ざかった地面に立って右脚を横に振り抜いている少年が、一瞬で間合いを詰めて自分の顔面を蹴り上げ吹き飛ばしたのだ……と。

 直後、衝撃。

 ドゴォッ!! とおおよそ現実世界では爆発以外で聞くことは無さそうな轟音を響かせて、犯人はその体をビルの壁へと衝突させた。あまりのインパクトに犯人を中心としてビルの壁や窓がクモの巣状に砕け、弾けた。

「……カッ……!」

 圧迫された肺から空気を吐き出して、犯人は気絶する。クモの巣状にヒビ割れたビルに埋まる犯人の姿は、あたかもクモの巣に捕まった虫のようだった。

「……ふぅー……。」

 息を吐き出して振り切った足をゆっくりと戻した少年は、この数分の間で一番の大きな声で、しかし最も無意味な台詞を吐き出した。

「退けと言われて退くのなら、最初から遮らないっつーの。」




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