はじまりのうた。
「…ここまでくれば…大丈夫っと。」
少女は辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。フードを脱ぎ、空を見つめ眩しそうにしている。さほど大きくない会場。そこから彼女は抜け出してきたのだ。街のビジョンにはニュースが流れていた。
「現在、行方不明とされているアイドル歌手の桜雪アリスさんは開演前に楽屋へスタッフが訪ねたところ既にいなくなっていたとされています。なお、警察へは〜…」
「ふぅ…もうニュースになってるか。売れてるから逃げたくなったっていうか、なんかもうイヤなんだよなあ…」
そう呟くとまた走り出した。街は人がたくさん行き交い、溢れている。上を見上げれば連なるビルの群れ。まさに都会という言葉を表しているようなこの街で私は冒険がしたくなった。
「…こんな街、だったんだ…」
あちこちきょろきょろしながらみていると声をかけられた。
「お嬢さん、こんなとこでなにしてんだ?」
「(やば…!!)」
「どうした?…あ」
背の高めな彼は街中のビルに貼り付けられたテレビを見た。そして…
「ふーん…アイドル歌手、ね。」
ニッと笑うとまた私を見る。バレたかな…とそんなことを考えながら見つめる。
「お嬢さん、このあと俺と出かけるか。いろんなモン見せてやるよ。」
「い…いやです!」
背の高い彼…お兄さんは困ったような顔をしてため息をついた。
「あんた、やたらと人目を気にしてるよな?さっきから。怯えたような顔して女の子1人でこんなとこふらふらしてたら変なヤツに捕まるのがオチだ。だからついてこい。なにもしやしないさ」
「…はい」
「よし、決まりだな。行くぞ。ついてこい。…ところであんたの名前は?」
今、名前を桜雪アリスと名乗ったら騒ぎになる。だから…
「アリスです。」
「アリスか、変わった名前だな。でも可愛いよ」
「あ…ありがとう…。あなたの名前は?」
「俺は冬樹。呼び捨てでいいよ。アリス、それじゃあ行こうか」
それからは電車でいろんなところへ行った。水族館、アミューズメント型施設のねこねこタウンやゲームセンター。全部行きたくても行けなかった場所だ。アイドルになったその日から私には自由に遊びに行く時間はなかった。デビュー以来、売れっ子になり、テレビで見ない日はなく、雑誌にもよく載っていた。もし、今話題になっているアイドル歌手と打ち明けたら冬樹はどんな顔をするだろうか。居るべき場所へ帰れと言われるだろう。そして会えなくなる。でもそんなのイヤだ…せっかくアイドルではない普通の女の子として接してもらえたのに。
「冬樹…」
「んー?」
「今日はありがとう。どの体験もずっとできなかったから嬉かった。プリクラ、大事にするね。私は…帰らなきゃ…」
路地裏にさしかかったところでパーカーを脱ぐ。キラキラした衣装。キラキラの髪飾りのアイドル歌手。知らない人はいない売れっ子がそこにいた。
「冬樹さん。私は桜雪アリスです。アイドル歌手としてデビューしてから街中で遊んだことは一度もありませんでした。したかった経験をさせてくれてありがと。よかったらこのあとのライブへ来てください。これ、お礼のチケットです。」
「アリス……そうだったのか。チケット、受け取るよ。ありがとう。もうステージに帰るんだな?」
ゆっくり頷く。冬樹の腕が私を包む。
「アリス、好きだ。1人の女の子として俺と一緒に付き合ってくれないか?」
「冬樹…私は…」
「知ってる。アイドルだから恋愛は…って言うんだろ。俺が事務所の人に頭下げるよ。付き合いたいんだ、お前と」
「ありがとう」
「付き合ってくれるか?」
「うん!」
「みーんなぁぁ!盛り上がってるー?」
「オォーー!」
「開演、遅れてごめんなさい。お詫びになるかわからないけど新曲歌います。聞いてください、あなたへ。」
まだ、うたは始まったばかり。