逃げる勇気
森での仕事は、少しずつ形になってきていた。
薬草の見分けは安定し、無駄に立ち止まることも減った。
籠の中身を見れば、今日はどれくらいになるか、大体の見当もつく。
ミニウルフとの遭遇も、もはや珍しくはなかった。
鎌を構え、距離を取り、噛みつかれる前に動く。
怪我はするが、致命的なものにはならない。
倒したあと、震える手で回復薬を取り出し、傷を手当てする
解体も、完璧とは言えないが、上手く終えられるようになった。
素材を持ち帰れば、銅貨は増える。
確実に、昨日より今日の方が“仕事”になっていた。
――その日までは。
森の奥で、異様な気配に気づく。
足音。低く、重い。
姿を現したのは、ゴブリンだった。
一体だけ。武器を手に、こちらを見ている。
距離はある。逃げ道もある。
頭の中で、自然と計算が走った。
一対一なら、勝てる可能性はある。
七割……いや、六割くらいかもしれない。
だが、ミニウルフとは違う。
噛まれて終わり、では済まない。
失敗すれば、死ぬ。
和也は、迷わなかった。
鎌を構えたまま、後退し、踵を返す。
背を向け、全力で森を駆けた。
追ってくる気配は、途中で消えた。
息が切れ、足がもつれ、倒れ込む。
しばらく動けず、土の匂いだけを吸い込んだ。
――生きている。
それだけで、十分だった。
その日の依頼は、途中で切り上げた。
籠の中の薬草は、半分にも満たない。
ギルドで納品を済ませ、受け取った銅貨は少なかった。
だが、何も言われなかった。
教会へ戻り、いつものように銅貨を差し出す。
「……今日の分です」
シスターは頷き、受け取る。
「ありがとう」
それだけだった。
部屋に戻り、寝台に腰を下ろす。
今日の光景が、頭から離れない。
勝てたかもしれない。
冒険者として進むなら、倒すべきだったのかもしれない。
でも、命を賭ける覚悟は、なかった。
その夜、食堂の隅で話を聞いた。
商業ギルドで働いている、年上の孤児の話だった。
文字もろくに読めなかったが、今は荷の管理を任されているという。
冒険者ではない。
魔物とも戦っていない。
それでも、教会に金を入れている。
和也は、その話を黙って聞いていた。
強くならなくても、生きていける。
戦わなくても、役に立てる。
そんな当たり前のことを、今まで見ようとしていなかった。
翌朝、和也はシスターの前に立った。
「……商業ギルドのこと、もう一度、教えてもらえますか」
それは逃げだったのかもしれない。
だが、自分で選んだ道だった。
和也は、もう自分が冒険者に向いているとは思えなかった。




