使えない宝
都会の高層ビルの最上階。
黒川惣一は、億単位の資産を管理する投資家だった。
時計はロレックス、壁には抽象画。
誰もが羨むような空間に、彼はたった一人で座っていた。
「これだけあっても…なぜ、使えないんだろうな」
銀行の残高画面には、ゼロが並ぶ。
けれど、それを見ても胸は躍らなかった。
何を買っても虚しさばかりが残り、誰かに贈っても感謝より距離ができる気がした。
ふと、彼は幼い頃の記憶を思い出す。
近所のおじさんがくれた、100円玉。
あれで買ったたこ焼きを、友達と笑いながら分け合った味。
お金は「使うもの」だった。そして「喜びを広げるもの」だった。
惣一は思い立って、久しぶりに電車に乗った。
都会を抜け、山のふもとの静かな村に降り立つ。
空気が澄んでいて、見知らぬ人が自然に「こんにちは」と声をかけてくる。
古民家カフェに入り、手作りのシフォンケーキとコーヒーを頼んだ。
隣に座っていた老婦人が言った。
「あなた、なんだか寂しそうね。でもここには、何もないけど、いろんなものがあるわよ」
惣一は笑ってしまった。「変な言い方ですね」
「お金はあるけど、使いたいと思えるものがない人より、
何も持たずとも、目の前の喜びをちゃんと味わえる人の方が、きっと豊かでしょ?」
帰り道、惣一はふと思う。
「使えない宝より、一杯のコーヒーを誰かと味わえる今の方が、ずっと尊いのかもしれない」と。
彼は都会に戻ると、一つの決断をした。
「本当に使いたい場所に、お金を使ってみよう」
まずは、あの村に本を届ける小さな図書館をつくることから始めた。
お金は、ようやく息を吹き返した。
それは誰かと一緒に味わう「幸せの通貨」になったのだった。
必要なのは、金額ではなく、使う理由と分かち合う心。