二冊目――『届かなかったラブレター』
■二冊目――『届かなかったラブレター』
「最後に、この言葉が君に届くことを祈って綴ろう。
愛していた。片時も忘れることなく、ずっと……ずっと」
〇
「はぁ……はぁ……や、やっとこれで終わる」
ナナイさんから指示された返却業務の終わりがやっと見えてきた。
九龍で働き始めてから一か月。毎日重たいカートを押しつつ、細い路地を行き来するのには慣れてきた。しかし、それでも体力的にキツイのは変わらない。
「司書見習いの仕事だ」と言われていいように使われている気がしなくもないが、逆らえるわけもないので黙って従う他ない。
そんなことを思いながら今日も集荷カートを押していると――
「あの、すみません。この図書館に、手紙は置いてあるかしら?」
最後の目的地である『フィリップ漫画図書館』に向かう途中、着物姿の凛としたおばあさんに話しかけられた。
手入れされた白髪は絹のように美しく、背筋はピンとまっすぐ伸びており、「私も歳を取ったらこんな風になりたい」と思わせる素敵な立ち姿だ。
しかし、見惚れている場合ではない。
この図書館の司書見習いになった身として、できる限りのことをしてあげないと。
「えーと、どんな手紙をお探しでしょうか? 芸能人や戦国武将、いろんな人の手紙がここにはありますが……」
「あら、そうなの? 聞いていた通り、やっぱりすごい図書館なのね」
おばあさんがニッコリと笑う。
最近、悪魔的な笑顔しか見ていなかったのでとても癒される。
しかし――
「ただね……私が探してるのは、そういった有名な方の手紙じゃないのよ」
おばあさんは、少し言うべきかどうか迷うようなしぐさを見せた。
どうしたんだろう? と思ったが、すぐに決意したのか、ゆっくりと……だが、ハッキリとこう述べた。
「私が探してるのはね、自分宛のラブレターなのよ」
〇
九龍城寨図書館の一角……南七条西六丁目の雑居ビルの五階。ここが、ナナイさんの自宅兼事務所だ。
「ナナイさん、利用者の方を連れてきました」
ドアを開けて家主に伝えてみるものの、予想通りというかなんというか返事はなかった。
おそらく、どこかの図書館に読書へ出かけているのだろう。もしくは……昼間から飲み歩いているかだ。というか、飲んでいる可能性の方が圧倒的に高い。
――あの日、私に絵本を見つけてくれたナナイさんは本当にカッコよかった。だがクズ男ではあるので、現在の印象としてはプラスマイナスでいうとマイナスだ。
彼が帰宅するまでの間は、私がレファレンスを進めておくしかなさそうだ。
「すみません、汚いところなんですけどお掛けになってください」
先週、ようやくゴミの山から発掘した応接ソファにおばさんを案内する。
それから、私は二日前に掃除が終わったキッチンへと行き、唯一この部屋で人に出せる湯呑にお茶を注いでおばあさんへ持って行った。
「えっと……それで、さっき言ってたお手紙なんですけど、いつ頃の物でしょうか? いくつか心当たりのある図書館に行ってみようと思うのですが」
「あら、本当にそういった手紙もあるの? 噂には聞いてたけど、本当にすごい場所なのね」
おばあさんが驚くのも無理はない。
普通、『個人の手紙を収集している図書館』なんてものは聞いたことがないだろう。
しかし、この九龍には大小さまざまな図書館が一万六千館以上もひしめきあっており、なんだったら今も増え続けているとの噂だ。
それだけの数があれば、普通の図書館もあれば、『画家でも何でもない一般人のらくがき』を集めてる図書館もあり、それこそ『個人の手紙を収集している図書館』もたくさんあるのだ。
本に比べて手紙が見つかる可能性は低くなってしまうが、それでもこの九龍城寨図書館がある限り、諦めるのはまだ早い。
九龍は、最後まで諦めない人のための図書館だと私は思っている。
「本当に、来てよかったわ」
おばあさんが嬉しそうに笑う。
そして彼女は、探しているのが戦後に書いたラブレターへの返事だと明かしてくれた。
〇
「今時の若い奴らは、なんでも指先でササっとすませるだろ? でもよ、手紙は面倒くせぇから想いが乗っかって良いんだよ」
そう言いながら、黒崎さんは手紙の山をガサゴソと漁っていた。
まずおばあさんをどの図書館に連れて行こうか考え、八条通り沿いにある雑居ビルの一室へと案内した。
六畳一間にこたつと黒猫のミミ。それから天井まで積みあがった手紙だらけのこの空間は『黒崎郵便館』という、れっきとした図書館だった。
専門的に扱ってるのは戦前~戦後の手紙で、公的なものから個人のものまで大量に収められている。
「お、これだこれ。お姉さん、これでどうだい?」
そう言って黒崎さんがおばあさん(黒崎さんより二つ年上らしい)に手渡したのは、日にあせた古い封筒だった。
差出人は……ケビン・ウォーカー。
おばあさんがラブレターを送ったという相手と同じ名前だ。
手紙はすでに封が切られているものの、中身はちゃんと入っているらしい。
「よかったですね、すぐに見つかって!」
「ええ。本当に、すごい図書館だわ」
私が声をかけるとおばあさんがニコリと微笑んだ。
そして、彼女は封筒へ視線を落とす。さっきまでの凛とした立ち居振る舞いからは想像できないほど、緊張しているのがよくわかる。
数十年越しに見る恋の行方……緊張する方が当然だろう。
おばあさんは一度「ふぅ……」と息を吐きだすと、ゆっくり封筒から便箋を取り出した。そして、ほほを紅潮させながら長い間折りたたまれていた言の葉たちへと目を通した。
ところが――
「あ…………」
読み始めてすぐ、おばあさんが静かに首を横へと振った。
「……どうされました?」
私は不安になりつつ尋ねてみる。
すると――
「ごめんなさい……どうやらこれは、彼の書いた手紙じゃないみたいだわ」
おばあさんはそう言って、少し寂しそうに笑う。
手紙の差出人は同姓同名だが、かつて愛した人ではなかった。
「ちょっとそこで、お茶でもしていきませんか?」
黒崎さんの図書館を出たあと、私はおばあさんを『九龍ゼロ番地』という地区にある喫茶店図書館へ誘った。
九龍は通常の図書館よりもはるかに広大なのもあって、こまめな休憩を挟まないとすぐに疲れてしまうからだ。
それに……おばあさんのかつての恋愛についても、もっと話を聞きたかった。レファレンスのヒントにもなるだろうし、純粋に興味があったからだ。
「……私とケビンとの出会いは、戦後間もなくのことだったわ」
運ばれてきたアメリカン・コーヒーを一口飲み、おばあさんは私の質問に対して、懐かしそうに目を細めた。
当時、日本はアメリカに統治されていたらしく、おばあさんは十七歳だったそうだ。。
まだ学生だったある日。駅のホームで『シャーロックホームズ』というミステリー小説を読んでいると、若いアメリカ兵が「それ僕も、大好きだよ」と片言の日本語で話しかけてきたらしい。
それが、ケビンさんとの出会いだったそうだ。
「へぇー、ケビンさんって日本語が話せたんですか?」
「ええ。彼は海軍の特殊な部署にいたらしくて、日本語について学んだことがあったそうなの。ただ……私は初めて外国人に話しかけられたから、かなり怪訝な顔をしていたと思うわ」
おばあさんが苦笑する。
そのうえ、ケビンさんはたった数か月前まで『敵』だった存在であり、友達や家族を奪った憎むべき相手でもあった。心境はかなり複雑だったという。
その日は列車が来たことで、そのまま別れたが(当時、米兵と日本人の乗る車両は分かれていたらしい)、内心では戸惑いといら立ちが大きかったとおばあさんは語った。
「でも、そうして別れたあとはもう二度と会うことはないと思っていたの。それなのに……彼ったら次の日、わざわざ私が来るのを待っててね。とてもビックリしたわ」
そして、最初こそ怪訝に思っていたものの、おばあさんとケビンさんはミステリー小説好きということもあって、少しづつ話が弾んでいったという。一か月後には、お互いにすすめあった書籍を貸し借りする関係になっていたそうだ。
「彼は海外の小説を。私は日本の……江戸川乱歩なんかをおすすめしたものよ」
それから、二人が恋に落ちるのもあっという間だったという。
「本当に、素敵な毎日だったわ……」
そう話すおばあさんの表情はとても楽しそうで、まるで昨日のことのようにケビンさんとの日々を語ってくれた。
しかし……別れの日はある日突然やってくる。
彼に本国への引き上げ命令が出たのだ。
「辛くて辛くてたまらなかったわ……比喩でもなんでもなく、三日三晩泣いたのよ」
それからおばあさんは、駅に行くのをやめてしまったという。
これ以上会えば、別れが余計にツラくなると思ったそうだ。
しかし――
「でもね……彼の教えてくれた本の、とあるセリフを思い出したのよ。「泣いていたって何も始まらないじゃないか。挑戦してみない限り、未来なんて誰にも分らない」ってね。ありきたりな言葉かもしれないけど、当時の私にはどんな励ましの言葉よりも響いたの」
それからおばあさんは、自分の想いを手紙に綴ったそうだ。辞書を使い、慣れない英語で一生懸命ラブレターを書いたらしい。
そして、ケビンさんの帰国の日。
おばあさんは朝からケビンさんを駅で待ち、とうとう彼に手紙を渡すことが出来たという。
そして彼は、ずいぶんと上手くなった日本語でこう告げた――
「必ず返事を書く。だから、待っていてほしい」
と。
おばあさんとのカフェ時間を終えた後、もう少しだけ心当たりのある図書館を巡ってみた。
『九龍レター図書館』『大山便箋堂』……その他にも知っている限りを尋ねた。だが……結局、ケビンさんからの手紙を見つけることはできなかった。
「ありがとう、お嬢さん。こんな下らないことに付き合ってもらっちゃって」
おばあさんは遠方から来ていたのでそろそろ帰らねばならず、少し寂しそうにしながら私に感謝の言葉を述べてくれた。
私はもっと気の利いた言葉を掛けてあげたかったが、「下らないことなんかじゃありません」と首を振るので精いっぱいだった。結局、ナナイさんがいなければ自分の実力はこんなものだと突き付けられた気がして悔しかった。
せめて私は、これからも手紙を探し続けることをおばあさんに約束し、連絡先を交換して別れた。
〇
その夜。
私は図書バー『ゲーティア』へ向かった。
重厚な樫の木の扉を開くを、そこには案の定ナナイさんがいてグラスを傾けていた。
「どうした、辛気臭い顔をして。レファレンスでも上手くいかなかったか?」
ナナイさんがサラッと核心をついてくる。本当、悪魔のような人だ。
私は少しだけ「はう……」となりつつも彼の隣へ腰かける。
「……ナナイさんは、九龍に収蔵されてる手紙ってどのぐらい把握されてますか?」
「ふむ、手紙か。まだすべては読んでいないが、全体の七割ぐらいは把握しているはずだ」
ナナイさんのもとで働いてから知ったのだが、彼は九龍に収蔵されてる蔵書をすべて把握しているわけではないらしい。
彼曰く「俺は好きなものは少しづつ味わうタイプだ」とのことで、ワザと読む量や速度を調整しているのだという。
「それじゃ、ケビン・ウォーカーという人からの手紙を見たことはありますか?」
「ふむ。その差出人からの手紙なら、黒崎の爺さんのところで見たな。だが……貴様であれば真っ先に行くはずだ。その様子だと、当てが外れたか?」
「はい……同姓同名で別人でした」
「なるほどな」
そう言うと、ナナイさんはグラスの中身を煽り、一瞬で空にしてみせた。
そして――
「では、今日あったことを詳しく話せ。見たもの、聞いたもの全てな」
悪魔的な推理力を持つ司書のレファレンスが、今夜も幕を開けるのだった。
〇
「まずは、ケビン・ウォーカー氏の足跡をたどるぞ」
そう言ってナナイさんが向かったのは、中央広場から三十六号線を西に少し進んだところにある『ジョニー米国海軍資料館』だった。
ここはビルの四階から七階までがアメリカ海軍に関する記録や名簿、その他様々な資料を収めた図書館となっているそうだ。
軍服姿の館長に敬礼で迎え入れられつつ、私たちはあらゆる戦後の日本統治における名簿などを捲ってみた。
『GHQメンバー一覧』『戦後における米海軍駐留軍人名簿』など膨大なページ数の資料に目を通していくが、なかなか目的の名前は見つからない。
私とナナイさんの調査は、数日間にも及んだ。
ところがある日のこと。
『Secret』と判が押された『1946年における海難事故報告書』を読んでいた時のことだった――
「あっ……」
1946年に日本を出港した、アメリカ海軍の引き上げ船に関する記録。
その乗組員一覧、というページの中で私は見つけてしまった。
「ケビン・ウォーカー……行方不明」
それは絶望的な報告だった。
「そんな……嘘でしょ?」
私はひどく動揺した。
また同姓同名、とういう可能性もなくはない。しかし、今回は条件が揃いすぎている。
まさか、おばあさんの愛した相手がこんなことになっていたなんて……いったい、どうやってこの事実を伝えればよいのだろうか。
しかし――
「ふむ。これで一歩前進、と言ったところだな」
報告書をのぞき込んだナナイさんがのんきにそう言った。
「ちょ、ちょっと! 不謹慎なこと言わないでください! この報告のどこが一歩前進なんですか。進んだどころか、最悪の状況なんですよ⁉」
相手が悪魔だろうとさすがに憤慨した。彼の性格から冗談を言ったのではないとわかっていたし、本気でそう思ってるのが伝わってきた。
だからこそ、今の発言は許せなかった。
ところが――
「貴様こそ、不謹慎なことを言うな。あくまでケビン氏は『行方不明』であり『死亡』したわけではない。勝手に彼を殺すな」
「そ、それはそうですけど……」
ナナイさんからは「不幸体質ですぐネガティブに考えるのが貴様の悪い癖だ」と、正論をぶつけられてしまった。
たしかに、彼の言うことは正しい。
だが……海での行方不明がほぼ絶望的な結果とイコールなのは、私でも知っていた。
〇
その後、私の嫌な予感は当たってしまった。
ケビンさんに関するその後の情報が見つからないのだ。
数か月にわたって調べ続けたが、わずかな手がかかりすら見つからない。
「はぁ……おばあさんに何て言えばいいんだろ」
私は午前の返却作業中、思わずため息をついてしまう。
軽い気持ちで引き受けたレファレンスだったが、こんな結果になってしまい申し訳なさでいっぱいだった。
ナナイさんはまだあきらめていないようだが、この状況ではもはや結果は見えてるとしか言いようがない。
「でもせめて……大好きだった人がどうなったかぐらい知っておきたいよね」
私は集荷した本をカートで運びつつ、この作業が落ち着いたらおばあさんへ連絡しようと心の中で決めた。
ところが――
「ん? 貴様の運んでいるその本……」
南八条通りでナナイさんに声を掛けられた。
ケビンさんの情報を探してきたようだが、やはり見つからなかったらしい。
しかし、彼は私がカートに乗せていた本を見て何やら考え出す。
そして――
「おい、リリカ。たしかばあさんは、江戸川乱歩をケビン氏に勧めたと言っていたな?」
「え? あ、はい。出会って間もなく、お互いのおすすめの推理小説を教え合ったと言ってました」
「なるほど……読めたぞ、今回の件」
そう言って、ナナイさんは突然踵を返す。
カートには『江戸川乱歩』と『エドガー・アランポ―』の著書がそれぞれ乗っていたが、私には何が何だかさっぱり分からない。
だがナナイさんが何か掴んだのだと確信して、私は慌ててそのあとを追った。
〇
「あった、これだ……」
ナナイさんが向かったのは北四条西二丁目にある『十角館』という図書館だった。
ビルの中とは思えないほど広く、温かみのある暖炉を囲むようにして本棚がぐるりと建てられていた。
そして――
「『Tokyo Detective Story』。直訳すると、東京探偵物語だ」
ナナイさんが棚から取り出したのは、一冊のミステリー小説だった。
いったい、なぜこの本を? と思っていると、私は表紙を見てすぐその理由を理解した。
「ナナイさん……この作者の方って、有名な人なんですか?」
「いや、そういうわけではない。著書自体、この一冊しか出していないからな。ただ……」
「ただ?」
「あとがきに書いてあるが、この作者は元々アメリカの軍人で、日本に一時期いたらしい。そして、帰国する時に船が事故に遭い生死の境をさまよったそうだ。一命を取り留めてからは米軍を除隊してリハビリに専念し、どうにかこの本を書き上げたと書いてあった」
私はナナイさんの言葉に安堵するのと同時に、本題へと踏み込む。
「じゃあ……その本のあとがきには、『手紙』について何か書いてありましたか?」
「いや、そういった個人に向けたメッセージは書かれていなかった。だが……本編の一番最後には、探偵が想い人へ手紙を送るシーンがあった」
私はそう言われて、すぐに本を取り出し該当のページを探した。
そして――
「私、館長に持ち出し許可を申請してきます!」
本を閉じて私は受付カウンターへと急ぐ。
ケビン・W・ランポ著、『Tokyo Detective Story』。
その名前はまぎれもなく、同姓同名を避け、なおかつおばあさんの目を惹くためにケビンさんが『江戸川乱歩』から取ったペンネームだった。いつか、彼女が見てくれることを信じて。
〇
そして二週間後。
例の本が、一通の手紙と共に戻ってきた。
封筒には知らない女性の名前が書かれている。
私は不振に思いながらも、その手紙を読んでみた。
すると……そこには、手紙の差出人はおばあさんの妹であること、二人は戦後のある時期を境に東京から大阪へ引っ越したこと、自分は結婚したので苗字が違うこと……そして、例のおばあさんが亡くなったことが書かれていた。
どうやら、私の送った本はおばあさんが既に入院したあとに届いたようで、もう意識がなくなる寸前、どうにか最後のページだけ読み聞かせてあげられたらしい。
そして……おばあさんは、最後にこう言ったそうだ。
「私もよ、ケビン。ずっとずっと、愛してた」と。