杏奈の魔性。
「気になるんだよ」
蓮は、決して、冗談で言っている訳でなく、移動してきてから、ずっと、杏奈の事が、気になっていた。
何処か、ぼっとしていて、陰りのある杏奈の事をいつしか、目で追いかけていた。目で追いかけていると、杏奈が誰が好きで、誰を意識しているか、一目両全であった。見れば、見るほど、翔と凛。杏奈のアンバランスな関係が、見てとれた。何よりも、杏奈の翔を慕う態度は、すぐ、わかっていた。
「だから・・。あなたが。」
コーヒーを飲み終え、給湯室に入る杏奈を蓮は、待ち伏せしていた。何度も、何度も、杏奈が一人でいる時を待っていた。なかなか、チャンスがなかった。いつも、誰かが一緒にいる。とうとう杏奈が、一人でカップを洗っている時に出くわした。
「ずーっとさ。」
杏奈は、背を向けていた。
「見てたんだ。」
「何を?」
無防備だ。
「あなたが、誰を見ているのか。」
杏奈の顔色が変った。驚いて振向く瞬間、蓮は、動いてしまった。
「ダメだよ」
杏奈は、言った。蓮は、両腕で、杏奈を抱きしめていた。
「どうして?」
蓮が聞いた。
「あいつがいるから?」
続けた。
「あいつは、あなたを見ていない。」
「違う」
杏奈は、首を振った。
「翔は、傍に居る。」
「居ないよ・・。今だって、あの女の所だ。」
「違う!」
杏奈は、持っていたカップを、床に叩き付けた。
「違うよ!」
派手な音がフロアー中に響いた。
「翔は、あたしの傍に居る・・・。いつだって。」
蓮のいう事は、当たっている。杏奈は、思った。否定したかった。凛といるのは、わかっている。でも、それは、勝手な想像だけで、現実ではない。認めたくなかった。今、電話しても、翔が出なかった事が、杏奈を興奮させていた。
「どうして、そんな事言うの?」
杏奈の瞳に、獣が潜んでいた。
「あたしに、興味があるの?」
蓮の両腕が、緩んでいた。
「そうなの?」
杏奈の顔が、蓮の前にあった。
「翔以上の、人なんて、いない。でも・・。」
蓮の頬を、杏奈の両手が包んでいた。
「同じくらいなら・・。」
厚い唇が、そっと、押し当てられていた。そう、それは、杏奈からであった。




