メロンパンの恋。
凛に逢いに行くのに、どれだけ時間がかかっただろう。すぐ、向かったつもりであるのに、顔を見るまで、気が落ち着かなかった。
・・・・不安でたまらない・・・
凛のあの声や様子は、初めてであった。何かが、起きた。あの不安そうな凛の声は、翔を、更に不安にさせていた。
・・・顔をみるまで落ち着かない・・・
凛が、何処か、遠くへ行ってしまうような、途方もない不安に、襲われていた。
凛に、言われていた建物を、目印に車を、運転し、遠く離れた場所に、とめた。何も、持たないのは、何か変かと、近くの、コンビニで、凛の好きなメロンパンやプリンを買ってみた。何か変である。
「とにかく・・。」
緊張していた。初めて、女性の部屋を訪問する訳でもないのに、翔は、中学生のように、緊張していた。何度も、凛のマンションの前を往復し、隠れるように、ホールに入った。監視カメラに、むりやり作り笑いをし、凛のルームナンバーを、コールした。一つ、一つの動作が、ぎこちなく、指先が、冷たくなっていた。
「どうぞ!」
ドアを、張り切って、開けたのは、予想を反した。小さな凛・・。否、優奈であった。
「これは、これは・・。」
凛に、娘が、いるのは、聞いていたが、目の前にして、翔は、驚いた。一瞬、引いてしまったが、翔、本来持っている、おどけた部分が、顔を出した。
「こんにちは。」
翔は、目線を、優奈に合わせて、お辞儀した。
「ママの先生なの?」
優奈は、ピンクの小さな自分の靴を、踏み潰しながら、聞いた。
「ママ・・。病気なんだって。だから、先生が、くるって、言ってた」
面影が、凛そのままである。上目遣いに、するところが、ふてくされた時の、凛の表情によく似ていた。
「名前は、何て言うの」
翔は優しく聞いた。
「優奈」
「言うな?」
「違う。優奈」
「?」
優奈は、むきになって言い返した。おでこの、傷が、痛々しい。
「名前、言ってなかった?」
奥から、顔を出したのは、凛だった。
「名前が、優奈と言うの・・・。」
泣きはらした顔をした凛の姿だった。
「凛・・・。」
前にいる優奈を通り越し、翔の視線は、凛に、注がれていた。
「待っていました。」
ゆっくりと、凛は、歩き出していた。化粧っけもなく、目は、幾分腫れていた。鼻は、赤く、何度も、鼻をかんだであろう擦り切れていた。
「凛・・・。鼻赤いよ・・・。」
「せんせ・。お靴脱いで。」
優奈は、小さな手で、翔の靴を、ひっぱった。前のめりになりながら、翔は、凛へと、駆け寄り、危うく、子供の前で、抱き寄せそうになった。
「何が、あったの?」
「翔。」
二人、寄り添おうとした時、優奈が、後から追いかけてき、翔のお尻を押した。
「何、持ってるの?」
翔の紙袋を、覗き込んだ。
「あぁ・・・。お土産だよ。優奈ちゃんに・・。」
「ありがとう」
母親の身を心配し、あまり、食事をしなかった優奈は、喜んで、袋の中に手を入れた。
「あぁ。優の好きなメロンパンだ。」
「そうなの?」
翔は、凛の顔を、見た。
「そうなの。好みって、母子似るのね・・。」
やっと、凛は、笑えた。
「そうなんだ・・。」
翔も、凛の笑顔を見て、少しだけ、安心した。
「あわてないで、食べろよ・・。」
いつしか、三人は、リビングの端に座り、パンをかじっていた。翔と凛の、小指だけが、そっと、触れていた。