本当の、キッカケ。
凛を迎えたのは、実家の母と愛娘優奈の姿だった。今までの気持ちを振り切り、母親の顔になっていた。
「お帰り!」
疑う事も知らない娘の満面の笑みに、少しだけ、胸が痛んだ。家族を裏切っているの?とも、思う。けど、娘への愛情に、嘘もなく、自分の、気持ちに正直なだけだと、言い聞かせた。これは、家族への、裏切りなのだろうか。もう、翔への、気持ちを持つ事は、家族への裏切りなのか・・・。社会的道徳から、外れた行為なのか?自分は、今の気持ちに正直でありたい。そう、思う事は、罪なのか・・・。
「只今。待ってた?」
小さな頬は、プルプルで、凛の唇を、弾き返してきた。いつも、癒される我が娘。
「何処行ってたの?」
「うん。」
凛は、笑顔になった。
「大好きな人と、お出かけしてたの。」
本当の事。
「ママの大好きな人」
「そうよ・・。」
イタズラっぽく、笑った。
「また・。そんな事を・・。」
脇で聞いていた母親が、呆れて言った。
「本当だよ・・。」
正直な自分の気持ち。凛は、それを、隠す事が、出来ない。夫、悦史への、不安な気持ちが、翔へ、求める安らぎになっているのは、自分で判っていた。そして、その気持ちは、決して、ゴールのない思いであるという事も。だから、それを、認め、翔への思いは、沈めようと、決めていた。
「帰ろうか・・。」
自分達の、家がある。翔と現実は、生きられない。今なら、間に合う。平和なこの娘の笑顔を、翳らせる事は、出来ない。今朝、夫の姿を、見てしまった事も、忘れてしまおう・・・。
「帰ろうか・・。」
娘に話しかけたその時、凛の携帯がなった。友人の明日香からである。
「凛?」
「どうしたの?」
明日香は、息咳ききっていた。
「いま・・・。子供の習い事の帰りなんだけど・・。」
話しながら、明日香は、凛に、話すべきか否か悩んでいるようだった。
「何か・・。あったの?」
「うん・・。今日、悦史さん。何処にいるの?」
「うん・・・。」
本当の事を、言うか、凛は、悩んだ。今朝、女性と一緒にいるのを、見たなんて、言えない・・。
「今。コンビニにいるんだけど・・・。その・・・。車があって・・・。うん。悦史さんの車ではないの。何を言ってるのか、へんよね。あの・・・。その。今朝、見てしまったの。悦史さんの車に乗る人の姿を・・・。」
・・・あぁ。やっぱり、そうだ。今朝、見たのは、夫の姿だったんだ・・。
そう、思ったが、凛は、今、始めてしったという頭を、ふった。
「そうなの?」
「実はさ・・・。見たんだ。子供達の、バスを待ってる時、女の人が車に、乗り込むのを・・・。」
「そう・・。」
気付いていたとは、いえ、今、咽は、カラカラになっていた。他人に、夫のしている事が、知られてしまった。屈辱感が、凛の感情を、ジリジリ焼き始めていた。
「まさかと、思って。その女の人の車が、まだ・・・。ここにあって・・・。」
明日香は、凛の事を、心配して、女の車の写真を撮ったらしいが、今の凛は、知りたくなかった。そうかもしれないと、思いつつ、娘との生活を壊さないようにしようと、思ったばかりだった。
「朝、そんな姿を見てしまったけど、夕方、着てみて、車がなかったら、見なかった事にしようと、思っていたんだけど・・・。」
明日香は、ため息をついた。
「ごめん。凛。怪しいと、思って。悦史さん。昔から、落ち着かない人だったから・・。」
彼が、落ち着く事は、確かになかった。女性が居るかもしれない。そう思った事もあったけど、自分が知らない所で、起きている時は、別に良かった。でも・・。
「明日香。今、何処のコンビニにいるの?」
凛は、明日香のいるコンビニに行く事にした。
雨が、ワイパーにはじかれ、街並みの光を、滲ませていった。斜めに、流れ落ち、いくつもの、景色を、後ろに流していった。
「良かった」
助手席で、安堵の声があがった。
「来てくれると思ってた。」
翔は、声のする方も、見ず、HDから、流れてくる音楽を聴いていた。
「ずーっと、待ってるつもりだったんだ」
そう、言うと疲れていたのか、すーっと、眠りについた。
「そう・・。」
翔は、呟いた。杏奈の服は、かなり濡れていた。風邪を、ひかせやしないかと、翔は、車にあったスポーツ用のタオルを渡していた。杏奈は、嬉しそうに、握り締めると、顔をうずめ
「翔の匂いがする」
と、言って、体を拭くことなく、手に大事そうに、握りしめたままだった。
・・・もう、逢わないほうがいい・・・
凛は、大切な人。これ以上、逢ったら、ドロ沼になる。このまま・・・。自分は・・・。
翔の心は、迷い始めていた。