君の頬濡らすのは・・・。
雨が、窓を打ち続けていた。大きな雨粒が、いくつも、ながれては、落ちていく。幾筋も、幾筋も。ずっと、携帯電話から、聞こえてくる翔の声を聞いていたのだが、聞きたくない内容だった。彼は、怒っていた。いつも、一緒にいる時には、見せた事のない、彼の怒った声。それは、信じていた者へ、裏切られたと感じた者が、ぶつけている怒りの塊だった。凛は、信じられない翔の罵声を聞きながら、ぼんやり窓を打ち続ける雨粒を見ていた。
・・・・雨粒って、本当は、丸いんだ・・・
ぼんやり、見ていた。今、ここで、起きている事を、認めたくなかった。これが、事実であると、認めたくない。凛は、混乱していた。つい、この間まで、彼と、ずーっと、一緒に居るって、約束していた。でも、もう、一緒にはいられない。判っていたではないか。かけがいのないもの。優奈を守る。それ以上の愛が、ある訳ない。我が子以上の愛はないのだ。翔は、しばらく、消息を絶っていた。そして、ある日。突然、メールを、送ってきていた。
「別れたほうがいいの。私達は、終ったのよ。」
凛は、大人の女を演じた。何て、残酷な女だろう。自分で笑った。散々、自分で一緒にいたいと言っておいて、子供をとってしまった。翔の気持ちなんて、二の次になっている。
「もう、終りになったの。聞いたでしょう?翔は、自由よ。」
別れを告げた。あっさりとした別れだ。本当は、別れたくなんかなかった。許されるなら、翔と、一緒になりたかった。が、翔と、一緒に出掛ける度、周りの目を気にするのにも、少々、疲れてきていた。知らない人達の中へ、紛れるように、隠れたり、電車で待ち合わせしたり、色々、小細工をしなくては、ならない。時々、それが、原因なのか、翔が、不機嫌になるのも、辛かった。
「私とは、いつか、別れなきゃ、ならないから」
凛が、思わず、言った時、翔は、本当に、辛い泣きそうな顔をして、凛を見た。その顔が、忘れられない。あの顔は、本当に、凛を愛していた顔だ。涙ぐんだ顔で、凛を、見つめ、そして、顔を伏せた。どうして、あんな事を、言ってしまったんだろう。もっと、彼に尽くし、愛せば良かった。いつも、自分の方から、別れをちらつかせておきながら、いざ、別れるとなると、未練があるのは、凛だった。
「本当は・・・。」
声をあげて、泣きたかった。本当は、翔の所へ、行きたかった。ここから、さほど、遠くない所に、翔のマンションはある。すぐ、行く事は、出来たけど、今の電話の翔は、もう、あの優しい凛の愛した翔とは、全く、別人になっていた。
「別れよう。あなたは、俺より、大切なものがたくさんあるだろう。」
翔の怒りは、静かだった。翔から、メールを受け取った凛は、その後、すぐ、メルアドを変えた。翔と、本当に連絡とらないほうが、いいと考えたのだ。連絡もしないまま、別れる。あの場で、翔が見た事が全てだ。言い訳もない。自分の選ぶべき道は一つだ。母親役にてっする。そうしないと、別れられない。翔なしでの、明日からの生活を考えると、不安で不安で仕方ないのだが、翔にすがる訳には、いかないと思っていた。メルアドは、変えたが、番号は、変えなかった。着信拒否さえすれば、連絡をとらなくて、済むと考えたのだ。
「あなたは、勝手すぎる!」
翔は、結局、母親に戻った凛を責めた。それでいい。人として、それが、一番だと思いながらも、彼なりに葛藤があった。湧き上る感情を抑えれば、抑える程、翔の感情は、ドス黒く吹き上げていった。恋しいほど、憎しみが増していった。凛は、怖いと思う反面、彼に激しく愛されていたと、感じるのだったが、もう、別れを受け入れた翔に、容赦は、なく、鋭い刃物となって、凛を、傷つけた。
「無理だったんだよ・・・。」
翔は、言った。
「本当に、さよならだよ」
「ごめんなさい」
「さよなら。」
「翔・・・。あたし・・・。良かったと、思ってる。翔に好きな人が出来て。」
嘘ばかり、言ってると、凛は、思った。そんな事、微塵も、思ってない癖に。
「優奈の事を考えてて・・。二人で、考えたの。もう、少しで、結婚記念日が、くるの。家族として、答えを出さなきゃ、いけないと思ってて」
余計な事を、言ってしまった。凛は、しまったと、思った。
「ふっ・・・。」
翔が、携帯の向こうで、笑ったのが、わかった。
「2人で、お祝いしなよ。」
冷たい声だった。
「じゃあね。さよなら!」
携帯は、切れた。更に、翔を、傷つけた。凛は、携帯を、握り締めたまま、何が、起きたか、理解できないで居た。ただ、もう、甘えさせてくれる。支えてくれた人が、居なくなった事だけは、理解できた。凛は、あわてて、変えてしまったアドレスから、翔に、メールした。
・・・ごめんなさい。一緒に、いれて、幸せでした・・・
また、嘘ばかり・・・。本当は、別れたくないくせに。
メールは、すぐ、返ってきた。
・・・俺もだよ・・・
「翔!」
後から後から、涙が、零れてきた。本当に、愛してる。翔と、一緒にいたい。傍にいたい。だけど・・・。たまらず、声をあげて、泣き出した凛に、車の、後部シートから、声がかかった。
「ママ?どうしたの?」
3歳になる娘の、優奈だった。
「なんでもない。お仕事の話だったの」
あわてて、かぶりをふった。
「ねえ、ママ。早く、パンを買いに行こうよ。パパ待ってるから」
「そうね」
凛は、娘に笑いかけた。
スーパーの、駐車場は、雨のせいか、急に、車が、混み始めていた。
「パン買わなきゃだよね」
別れで、泣いている暇は、なかった。凛は、家庭を、持っており、3歳の女児のいる1児の母親であった。
「そうだよ・・・。ママ。パパが待っているから。」
夫と子供のいる、何処にでも、いる普通の主婦だった。