時雨、継承者?になる
カーテンの隙間から差し込む光に起こされた、
日曜日の午前7時前
寝過ごしたか、と慌ててベットから飛び起き
カーテンを開けると
そこには雲ひとつない空と
まだ昇って間もない柔らかな日差しが、寝起きの体に染み込んでくる
「晴れた……!」
眠気まなこをこすりこすり、窓を開けてベランダに出てみる
高層マンションの最上階からは、至る所で満開を迎えている桜が、街を綺麗に彩っているのが見えた
日高時雨は
母と死に別れてから4度目の春を迎えていた。
時は戻って、昨日の夕方のこと
父、刀一から、母の墓参りにいくので、
今夜は早めに帰ると連絡があったが、
日を跨いでも、朝になっても
…帰ってこない
「一体いつになったら帰ってくるんだ」
時雨はぶつくさと文句を言いながら
墓参りに行く支度をしていた。
刀一は警察官だ。
以前は殆ど家には帰ってこない人だったが、
最近は時雨のことを心配しているのだろう、まだ仕事の合間を縫っては、ご飯を食べに帰ったり、無理やり休みを取ってくれている。
「線香と…水と…ライターは父さんが持ってるから後はゴミ袋に…花は途中で買う!うん、完璧だ。」
思ったより早く支度が済んでしまったので、手持ち無沙汰になってしまった。
綺麗に干した洗濯物を眺めながら、達成感に浸っていると
ゴトリ
と何かが落ちる音が聞こえた
反射的に音のした方を見る
視線の先には4年前から開けていない
母のクローゼットがあった。
いい加減、片付けてくれない?
そう言われた気がした。
母のクローゼットは
触れないようにすることが暗黙の了解となっていた。
内心、母がもういないという辛い現実を、2人ともまだ受け入れられずにいたのだろう。
「でも…ネズミでもいたらどうしよう…」
あの中には母の遺品がつまっている。
かじられでもしたら大変だ
クローゼットに手をかけ、
時雨はゆっくりと慎重に開く。
母の匂いが、ふっと鼻をかすめる
懐かしさでこみ上げてくる涙を
グッと噛み締めて、中を覗いた
すぐに目に飛び込んできたのは、母が特にお気に入りだと言っていた服が何着かと
「アルバムが…こんなところにあったのか!」
およそ10冊にも及ぶアルバムと、まだ整理されていない写真が袋に入ったまま埃をかぶっていた
特に色が褪せて、見るからに古いアルバムから開く
そこには、若いカップルの仲睦まじい様子が写してあった
母らしい丸っこい字で日付が記してある
「刀一さんと初デート…ってコレ若い時の父さんと母さんだ…!」
なんだか自分の知らない時代にタイムスリップしたような、両親の秘密をこっそり覗き見しているような、
背徳感とワクワクする気持ちで、ニヤつきながらアルバムを見ていると
「…何しているんだ?」
いつの間にか帰っていた父が、すぐ後ろで仁王立ちしていた。
「うぉわっ!いつ帰ってきたんだ?!」
「さっきだ。それより、夢中で見ていたようだが、それは一体どこから持ち出したんだ?」
ちらっと顔色を伺うと、厳しい表情。
怒られる…と、怯えながら、恐る恐る答えた。
「母さんの、クローゼット…中から音が聞こえたから、開けてみたんだ…母さんから開けろって言われた気がして…」
自分で言っていてなんだが、言い訳臭さを感じ、時雨は更に身を強張らせた
時雨のその様子を見た刀一は
何も言わずに、時雨の隣に腰掛けた。
「そうか、そんなところに…」
刀一は懐かしそうに目を細め、白い鶴の装飾が施されたアルバムを開く
そこには、白無垢を着た幸せそうな女性と、相変わらず硬い表情の男性が並んで写っていた。
「今日は結婚記念日だからな。」
あまり感情を表に出さない父の寂しそうな横顔を見るのは何度目だろう…時雨はぎゅっと胸が苦しくなり、視線をアルバムに戻した。
刀一が何か話だそうと口を開いた、その時
ごとり
クローゼットから聞こえた。
「あ、この音だよ!父さん」
時雨が言い終わらないうちに、何かに気づいた様子の刀一は、慌ててクローゼットを開け、
母の着ていたワンピースをかき分けて、奥の方へ手を突っ込んだ
そして
やたら細長い、木箱を取り出した。
刀一は急いで箱の横を探り、何かを確認するように見つめると
眉間の皺をより一層深くし、
「時雨、大事な話がある。」
意を決したように吐き出した。
墓参りに行く最中の車の中でも、刀一は考え事をしているようすで、とても話しかけられる雰囲気ではなく
時雨も黙って車の窓から外を眺めて過ごした。
母、詩音の好きな海の見える丘にある墓場は、
春の陽気に包まれ、
気持ちのいい風が陰気な雰囲気を吹き消してくれているようだった。
「詩音、待たせてすまないな。」
「母さん、久し振り」
2人でお墓に手をあわせる。
墓石を洗い、花を備えて、線香に火を…
「父さん、ライターは?」
「しまった。タバコと一緒に車に置いてきてしまった」
しっかりしてくれよ…と、車に取りに行こうとする時雨の腕を掴んだ刀一は、ポケットの中から、手帳を取り出し、一枚破った。
「何してるの?」
「いいから、見ていろ」
刀一はそう言うと、手帳にさしていたペンでサラサラと何かを書く
小さな声で何かをブツブツと呟き、
その紙に、ふっと息を吹きかけると
紙の先から小さな炎が灯った
「おおー!何?!父さん手品できたのか?!」
はしゃぐ時雨を見て
刀一は困ったように顔をしかめると、
はぁ、とため息をついた。
「手品ではないんだ、時雨。」
線香に火をつけると、役目を終えた炎は、ふっ、と消えた。
「日高家は代々、そういうチカラがある」
刀一の突然の発言に時雨は一瞬驚いたが、
「もう父さん、冗談キツいよー?僕もう四年生だよ?そのくらいわかるよ」
冗談を言っているのだと、間に受けなかった。
だが、刀一は顔をしかめたままだ。
「その辺りは今から一番詳しい奴に会いに行くから、そいつに聞けばいい。…その前に。」
刀一が、墓に向かって手をあわせる。時雨もそれにならう。
父さんは母さんに何を伝えたのだろう…
深刻そうな刀一の横顔と
祈るように合わせた手の意味を、時雨は知ることとなった。
詳しい奴に会いに行く
と言った刀一が、車を走らせて向かったのは
「神社…?」
そこは時雨の小学校区域内にある大きな神社で、お祭りや年末年始には人が多く集まり、
時雨も何度か行ったことがある所だった。
車を降りるとすぐに、
神主と思われる人が近づいて来た。
「やあ、詩音さんには、ちゃんと伝えてきたかい?」
神主は親しげに刀一に声をかけた。
父さんと母さんの知り合いなのかな…
そんなことを思いながら、
時雨は黙って境内の奥へ進む2人の後を追いかけていた。
神社の建物内に入る前に、あのクローゼットから出てきた細長い木箱を、神主は大事そうに受け取った。
「何か反応があったように感じた…が、俺には全くわからない。」
「うーん、刀一がわかないなら、私にはなおのことだ。とにかく、奥へ。巫女様がお待ちかねだよ。」
神主に神社の中へ案内される。
奥の祭殿には巫女姿の女の子が
ちょこんと座っていた。
髪には色々な装飾品がつけられて
整った顔に化粧が施され
黙って座っていると、まるで人形のようだった
巫女と呼ばれた女の子は時雨達に気づくと、まず、刀一に向かって深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。日高家ご当主様。」
日髙家…ご当主様…?
「は…??何だそれ??どういうこと??」
だって…父さん、普通の警察官じゃないか…
ぽかん、としている時雨を見た神主が
刀一に声をかけた。
「時雨くんは、飛鷹家のことはどこまで知ってるのかな?」
刀一は気まずそうに目線をそらし言葉を探したが、諦めたようにうな垂れた
「……すまない。どう話せばいいのかわからなくてな…」
「つまり、時雨くんは何も知らない、と?」
面目なさそうに小さく頷く刀一に、はぁ、と頭を抱えた神主は
何かを決意したように時雨の肩に手を置き、真剣な眼差しで重い口を開いた。
「いいかい、時雨くん。さっぱりわけがわからないかもしれないけど、あとで私がお父さんの代わりに全部教えてあげるから。とにかく、今は黙って座っててくれるかい?」
時雨は素直に頷いた。
神主から巫女へ箱が渡される
木箱をみた巫女の表情がさっと変わった。
「父さま、札が破けています。」
木箱にはどこにも「札」と呼ばれる物は見あたらない。
ひとり置いてけぼりをくらっている時雨は、何がなんだかわからず、キョロキョロしていると、神主と目があった。
巫女の言葉に、刀一は「やはりな。」と眉間にしわを寄せた。
こちらへ歩み寄り、無言で刀一に紙と筆を渡した神主は、不安な様子の時雨に「大丈夫だよ」と、柔らかい笑顔をみせた。
「…刀一、書けたかい?」
刀一は神主に紙を渡した
「時雨君は、そこに座って。刀一…詠唱はわかるね?」
「あぁ。大丈夫だ。」
紙に向かって何やら言葉を紡ぐ父親の姿を、摩訶不思議なものを見るように見つめる時雨の視界を奪うように、
紙は時雨の額へ…
額に当てられたそれは、なんだかほのかに温かく、
そこからじんわりと力が湧いてくるようだった。
その、なんだかわからない心地よさに浸っていると、
じわじわと額に感じる温度が高くなり…
「…って!あっつ!!」
額が焦げ付くような熱さに身の危険を感じ、時雨は自分で紙を剥がしてしまった。
…やばい、どうしよう…
放心状態で座り込む時雨に、刀一は慌てて駆け寄った
「時雨?!大丈夫か?!」
「ごめん…父さん。熱くて剥がしてしまったけど…コレ…大丈夫なのか?」
心配そうに神主を見る俺たちをよそに、
大丈夫、と笑みを浮かべ、
何やら巫女に確認していた。
「はい。完全に破けました。ご当主様、札をこちらへ。」
木の箱を見張るように正座して待機していた巫女の元へ紙が手渡される。
巫女は、紙にふっと息を吹きかけ、木箱の上にそっと乗せた。
「新たな主人、日高時雨を守り給え」
紙は木箱に溶けていくように、消えてなくなってしまった。
終わった…?
しん、とした静寂を破ったのは
刀一のポケットに入っている携帯のバイブ音だった。
着信は勿論…職場から。
「仕事…行くの?」
いつものことだとは頭ではわかっているが、こんな訳の分からない状況の中でも自分を置いて仕事に行くのかと
時雨はイラつきが声色に出てしまっていた。
「すまない、時雨…」
面目なさそうに、シュンと丸めた刀一の背中を、神主は慰めるかのようにポンと叩き、
後は僕らに任せて、と諭すように刀一を出口へ向かわせた。
「刀一を見送ってくるから、時雨君は巫女の着替えの手伝いをしてやってくれないかな?
あ、木箱は神棚に置いておいてね」
「きききき着替え?!ちょ、僕おとこ…
時雨の反論も言い終わらないまま
2人は足早に出口へ行ってしまった。
時雨は神棚に置かれた木箱が気になり、恐る恐る近づいて触ってみる。
やはりあの不思議な紙は無くなっており、何の変哲もない普通の木箱に見える。
信じられない光景ばかりで、まるで夢でも見ていたような心地がした。
「手品みたい、だっただろ?」
巫女は顔に似合わず乱暴な言葉で、得意げに笑みを浮かべていた。
巫女はさっきの凛々しい表情とは打って変わって、
好奇心旺盛なキラキラした目でこちらを見ると、生意気そうな口調で喋り出した
「継承者って、すっっっっげぇ面倒くせーんだぜ?やらなきゃいけないこと山ほどあるし。ま、それは今から父様が、教えてくれるだろーけどよ」
「けいしょう、しゃ…?」
「ま、とりあえずこっち来いよ!」
この恐ろしく口の悪い巫女に不信感を抱きながら、時雨は恐る恐るあとをついていった。
奥にある控え室のようなところに入ると
すぐ目につくところに「着替えなさい」と言わんばかりに洋服が置いてあった。
「面倒くせぇーな、もぅ…おい、助手!手伝え!」
巫女は不貞腐れながらモゾモゾと着替え始めた
「ちょ、ちょちょちょ待って待って!!!着替えるなら僕部屋出るから!」
急いで引き戸を開けて出ていこうとする時雨を訝しげに見つめ、呆れてような、諦めたような顔で巫女は言った。
「…俺、男なんだけど」
「えぇ?!!……し、信じられない…」
「だろうなぁ、俺、可愛いもんな。あ、俺の名前、呉野拓海。たくみでいいよ。」
驚愕の事実を知って固まる時雨を横目に、
巫女…いや、巫女の姿をした拓海は、
しれっとそう言い放ち
無造作にポイポイと装飾品を投げ捨てていった。
鈴や簪に袴…どれも女の子が身につけるようなものばかりで、特に簪は綺麗な装飾が施されている。
床に散らばったそれらをテーブルに並べていた。
洋服に着替えて顔を洗った巫女は、どこからどう見ても男の子だった
「なんで君が巫女さんしてるの?」
「お役目だから。呉野家の継承者のな。」
「さっきから言ってる、その、けいしょうしゃって何?」
拓海は、んー…と暫く考えて
「俺はうまく説明できないから、お父さんに聞いてくれ」
と、だけ言うと、さっさと椅子に座ってテーブルに用意されていたお菓子を食べ始めた。
「あ、…えぇっと、名前なんだったっけ?」
「日高時雨…です。」
「へぇ、しぐれって珍しい名前だな。こっちの皿のお菓子は、しぐれのオヤツ。食べていいってさ。」
出会ってすぐ呼び捨てなのには少し驚いたが、時雨は不思議と悪い気はしなかった。
と、廊下から足音が聞こえてきた。神主が帰ってきたようだ。
「さあ!時雨くんはおやつを食べたら私の特別講習が待ってるからね。拓海は暫く休んでなさい」
「えー!俺も一緒に…」
拓海は不満げに声をあげたが、神主がそれを制止した。
「継承の儀式を甘く見てはいけないよ。「アレ」を封印するにはかなりの霊力を消費するんだ。時雨くんの前で倒れたくはないだろう?」
「たくみ君、体調…悪い?」
心配そうな目を向けられ、「う、」と気まずそうにした拓海は、諦めたようにため息をつくと、
「はいはい、わかりましたー!おとなしく休ませていただきまーす」
そう言って、さっさとおやつを食べ始めた。
「じゃ、時雨くん、おやつ食べたら奥の書斎にね?」
神主は、拓海の脱いだものを仕舞いに行くため先に部屋を出た。
「大変な儀式だったんだな…」
「べつにぃー俺は巫女の仕事しただけだし!それにこのくらい…ちょっと休めば大丈夫だから、そんなに心配するんじゃねーよっ」
先に食べ終わった拓海は、ぷいっとそっぽ向くと、そのままソファーに横になった。
「書斎の場所わかんなかったら、聞けよー」
「わかった。ありがとう。」
時雨がおやつを食べ終えた頃には
拓海のすうすうと小さい寝息が聞こえていた。