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怪盗ヴェールは同級生の美少年探偵の追跡を惑わす  作者: 八木愛里
第一章 教会潜入編

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21 母との記憶

 物心がついた頃、母親に連れられて地下倉庫に足を踏み入れた。小さな私はすんすんと匂いを嗅いだ。油と粘土の香りがして、まるで小学校の図画工作室のようだ。ダンボールの箱が縦に並べられている。


「おかあさん、こわい」


 立ち止まった母親のスカートの端をぎゅっと掴んだ。


「どうして怖いの?」


 母親は背をかがめて、私に視線を合わせて聞いてくる。


「だって……」


 私は恐る恐る黒い箱を見る。


「何か黒いものがゆらゆらしてるんだもん」


 私の目には、黒い靄のようなものが、手前の箱から漂っているのが見えた。


「葵がそう感じるのは、間違っていないわ。この絵は私たちが手に入れる前は、ずっと縛られていたの。それを今、開放してあげるわ」

「かいほう……?」

「絵が苦しいって言っているから、それをなくすの」


 母親がダンボールから絵を取り出して、目を閉じる。すると、黒く揺れる靄がおさまった。


「こうやって、絵が苦しまないように願いながら手で触れると、本当の絵に戻るのよ」

「ほんとだ! 絵がきれいになった!」


 私は溌溂と叫んだ。


「……葵は苦しんでいる人を助けてあげられるようになってね」


 母親から優しく抱きしめられて、されるがままになっていた。

 曽祖父の影山峡雨が生み出した、悪しき絵画を回収する運命にあるとは知らないままで。



 いつの間にか寝てしまったようだ。昔のことを夢で見るなんて、疲れているのだろうか。


 その時だった。外からガタンと音がして、誰かが地下室に入ってきたような気配を感じた。私はずり落ちた眼鏡を直し、体を起こして鉄格子越しに外の様子を探る。


「食事を持ってきた」

「……智哉くん」


 鉄格子の外に、床にパンとリンゴ、牛乳の載ったトレーが置かれた。質素な食事だ。


「ありがとう」

「──君は、景吾ではないな?」

「え?」


 確信を持った智哉の声に、私は耳を疑った。


「前に、君があの部屋に入った時、景吾は泣いて神父にお願いしたんだ。成人しても、教会のお手伝いをしますから、と。そこまで言った君が、景吾であるはずがない」

「……親友の目は欺けなかったということだね」


 智哉に景吾ではないとバレてしまった。書斎に入る恐怖を知っている者が、書斎に入るはずがない。地下室に閉じ込められた時点で、智哉には景吾が偽物だとわかったのかもしれない。


「お前が怪盗ヴェールなんだろ?」

「……そういう君は、怪盗ヴェールを呼んだ張本人なんじゃないか?」


 智哉の言うことに肯定しながら、SNSで怪盗ヴェールに依頼した者ではないかと疑問で返した。


 「そうだよ」と素直に返ってきたことに拍子抜けする。


「怪盗ヴェールを呼んで、どうしたいの?」


「……教会の闇を世に知らしめたい」

 

 智哉は続けて言った。


「まさか、数分だけSNSにアップして、急に怖くなってすぐに削除した依頼を……根拠のない依頼のために来てくれるなんて思わなかった。……感謝します、怪盗ヴェール」


 智哉は頭を垂れた。その様子に、私は慌てて手を横に振る。


「そんな大袈裟な! 僕は盗みに来ただけ。感謝されても困るよ」

「いや、感謝するしかない。こんな教会は解体されて一からやり直した方がいい……。どうか、怪盗ヴェールの素晴らしい手腕で、この腐った教会を綺麗にしてくれ」

「まあ……依頼は受けるけど」

 

 智哉からしたら私は正義のヒーローだ。感謝して当たり前だろうけれど、真正面から言われるとむず痒い。

 

「……それよりもさ。僕をここから出してよ。鍵は持っているでしょ?」

「わかった。俺が出したと神父にバレないように対策だけしてほしい」

「もちろんだよ」


 私は微笑む。そして無事に鉄格子から脱出できた。

 やった!


「……でも、こんなに景吾に似ているのは、どうやって変装しているんだ? 一六五センチ程度の小柄なやつなんだが」


 智哉は私の顔を見下ろしながら、頭を捻っている。正体が女性で、背の高さは何も調整していないとは、到底言えない。


「それは企業秘密だよ。僕は老若男女に化けられるからね」


 私は片目を閉じると不敵に笑った。

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