5 巫女役のサリ
見通しのよい高台では、巫女役の少女と指南役の老女が向かい合い、稽古に励んでいた。
春祭りの巫女舞いは、豊穣の神様への感謝と祈りを捧げる大事な儀式のひとつだった。例年、特別美しい衣装を着て踊るその役はとても人気があり、新成人の器量の良い娘が選ばれる。
今年、選ばれたのはサリだった。村長の娘で、昔からなんでも器用にこなす美人だ。
祭り間近でもあり、舞いは十分に仕上がっているようだった。
つい見惚れていると、サリが気づいて声をかけてきた。
「あら!アカネじゃない!」
アカネは思わず後ずさりした。
実は少々苦手な子なのだ。
「やだ、もう!そんなところでボケッと突っ立っているんだもの。驚いたわ。具合はもういいみたいね。良かった。ね、こっちに来て!一緒に座りましょう。トキ婆、少し休んでもいいでしょう?ずっと踊ってたから、疲れちゃったわ」
トキ婆が答えるより先に、サリはさっさと近くの倒木に座り、アカネにおいでおいでと手招きした。
断るなんて恐ろしいことは出来ない。
アカネは素直にサリの横に腰掛けた。
「高熱出したって聞いたときは、本当に驚いたわ。まさかアカネが寝込むなんて。でもすぐに治ったんだから、あなたって本当に丈夫よね。昔、崖から落ちても怪我ひとつしなかったんでしょ?ホントに不死身ね」
「えーと…、踊り、すごく上手いね。もう完璧なんじゃない」
「そう!ありがとう!でも、トキ婆はまだまだって言うのよ」
そうして声を低めて「なかなか厳しいのよね。昔は村一番の美人の舞い手だったって聞いたけど、本当かしら。想像つかないわよね」と言った。
アカネはちらっとトキ婆を見た。
しわだらけの顔は、起きているのか寝ているのかも分からず、小さな体を丸めて座っている。
確かに若い頃の姿は想像出来ない。
「ねえ、知ってる?」
突然体を寄せて囁かれ、アカネは少し狼狽した。
「なに?」
「昨日、父さんに聞いたんだけど、今年は春祭りに郡司様は来られないらしいの」
「え!じゃあ、誰が祭司を務めるの?まさか、村長が?」
「ムリムリ!父さんにそんな役、務められるわけないわ。逆に神様の怒りをかってしまう。ちゃんと代わりの方が来られるそうよ」
「誰?」
サリはもったいぶって焦らしたが、最後には教えてくれた。
「郡司様のご子息のアスナ様よ!ご幼少の頃から勉強のために都住みをされていらしたそうなんだけど、ほら、郡司様ももうご高齢だから、最近呼び戻されたんらしいの。それでね、頭の切れる大層な美男子なんですってよ!しかもまだお独り身!」
「へえ」
「へえって…」
サリは大きなため息を吐いた。
「ま、アカネじゃ仕方ないか。とにかく、あたし、春祭りでアスナ様の目にとまってみせるつもり」
「え?」
「巫女役は祭司様の一番傍にいられるのよ。こんなチャンス滅多にないわ。そうして、あたしを好いていただくの」
「そんな」
「無茶だって言いたいんでしょう?でも、可能性はゼロじゃないわ。アスナ様だってこんなに可愛くて魅力的な子がいたら、手を出したくなるに決まってる!あ、でもあたしだって馬鹿じゃないわ。正式にどうこうって話じゃないの。ただひと時の甘い恋。きっと都風の洗練された素敵な逢瀬よ。でも少し欲を言えば、郡家の侍女の勤め口くらい、もらいたいわ」
うっとりと話すサリに、アカネはついていけず口を開けっぱなしだった。
「ねえ、アカネも応援してくれるでしょう?」
「あ、うん」
「おしゃべりはそのくらいでいいじゃろう」
半ば置物と化していたトキ婆が、毅然と口を挟んだ。
「上手く舞わんと、獲物もよう釣れんぞ」
「やだ、トキ婆。聞いてたの?」
「あんなでかい声でしゃべっておれば、誰にだって聞こえるわ。若様の目に留まりたいのなら、もっと稽古に力をいれることじゃ」
「分かってるわよ。でも踊りの才能があるって、少しは認めてくれてもいいじゃない?才能は褒めて伸ばさないと」
「口ばかり達者になるんなら、他の娘に舞い手を任せてもいいんじゃぞ」
「…がんばりまーす」
サリはアカネに片目をつむって見せると、トキ婆の元へ戻っていった。
アカネはトキ婆に軽く頭を下げ、元来た道を歩き出した。
自己主張の激しく自信家のサリと話すと、たいがい圧倒されて、頭がぼんやりとくらんでしまう。
思いがけない最新ニュースを聞けたのは良かったが、郡司の息子に恋を仕掛けようとするなんて、無茶もいいところだ、とアカネは思った。
国の役職では最下位に近い郡司だが、豪族の長として古くから地域を束ねる彼の力は絶大だった。
租税徴収や交通の維持、治安の取り締まりや土地の把握維持など、引き受ける業務は多岐にわたる。
地元民にとっては、地域の揉め事や困り事を聞いてくれたり、祭礼の司を務めてくれる郡司は、生活に欠かせない身近な存在で、信頼は厚かった。
郡司が直接治める地は郡家領と呼ばれ、そこには郡庁はじめ、郡司が住む郡司館、お社や倉庫や役人の住居、市場が開かれたり旅人の宿や飲食店があったりと、かなりの一大集落らしい。
郡司は代々世襲制で、つまり郡司の子息が跡を継ぐことは、半ば決まっていた。
今回は村への挨拶代わりに、祭司を務めるのだろう。
大事な顔見せの場で、村娘に手を出すような馬鹿な真似、まさかしないだろう。
しかし、ともアカネは思った。
サリが言った最後の言葉は、なんとも魅力的だった。
郡家の侍女!
もしも、そんな勤め口があるのなら、今ある悩みは綺麗さっぱり吹っ飛んでくれる。
叔父の家を出て、自立できる。
好きでもない男の妻になることもない。
でも…
と、アカネは大きなため息を吐いた。
「そんなうまい話、あるわけないよな」
アカネは小さく独り言し、村へと下った。