1 始まりの惨劇
夜の船遊びは、決して珍しい催しではなかった。
信頼する大叔父の提案だった。
中型の屋形船が海原に浮かび、船縁に吊された硝子入りの燭台は、幻想的な光りを灯していた。加えて月が冴えてる美しさと豪華な食事、酒、春の暖かい潮風に参加者たちは満足していた。
思った以上に気が晴れるものだ、と船上で青年は久しぶりにくつろいでいた。
絶世の美女と噂されたスオウの姫君の忘れ形見。
高位の者しか着ることの許されない黒紫の衣をゆったりと着くずし、船縁に背を預けて月を仰ぐ姿は神々しいほどの美しさ。
まるで絵巻物の一幕だ。
母の一族が死に絶え、後ろ盾の弱い彼を支えているのは溺愛してくれる国王である父と、この場にいる大叔父だけ。
嫡男という理由で次期国王の証、王太子位を授かったものの、敵は多く立場は弱かった。
いつひっくり返されてもおかしくない。
完璧な勉学や政務を求められる日々は窮屈で、気の休まる時はなかった。
「どこまで行くのだ?」
「たまには少し沖に出てみましょう。陸を遠くに眺めるのも、いいものですよ」
大叔父の言葉に、青年は頷いた。
なるほど。たまには、か。
囲うモノのない場所で、酒に酔い、ほろほろと船は流れていく。
「まだ行くのか」
「もう少し」
「まだか」
「しばらく」
「もう陸も望めぬぞ」
「そのようですな」
たまたま月に雲がかかり、辺りが一瞬暗く沈んだ。気づけば燭台の灯りも一時に消えていた。
どうした、と問う間もなく、白刃がきらめいた。
一瞬だった。
青年はあっけなく斬りつけられ、物言わぬ男たちによって海に放り出された。
その後、船は迅速に動き出した。
厚い衣が幸いして即死には至らなかったようだが、海は深く冷たかった。
出血で体中燃えるように痛んだが、もがくのを止めれば身体はうまく浮いてくれた。
震える体を仰向けにして空を見ると、月は再び顔を出していた。しかし船は遠くにも望めなかった。
荷を降ろし、さぞ帰路は早かろう。
歯噛みし、こぼれる白い息に血が混じった。
長くはもつまい。
裏切りによる死を考えないわけでもなかったが、信じていた分、辛かった。
いや、全て自分が招いたことなのかもしれない。
王太子になりたいと、思ったことのない自分が。
と、刹那の幻覚か。
夜空に一羽の折り鶴のような、白く淡い灯りを放つものが漂って見えた。
とり…。
青年の記憶が、痛みを超えて呼び起こされた。
母上の、白い鳥…。
それは彼がまだ幼い頃、母が人目をはばかるように見送った鳥によく似ていた。